嘉納治五郎と柔道整復師の意外な関係
柔道の創始者であり、「柔道の父」と言われる嘉納治五郎(1860〜1938年)が柔道を始めたきっかけは、柔道整復師(接骨院)にあったのはご存知でしょうか?
学生時代の嘉納治五郎は、ひ弱であったため、横暴な態度を取る先輩や同級生にいじめられ、悔しい思いで歯を食いしばる日々を過ごしていました。なんとか強くなりたいと考えた治五郎は、 ある日「柔術」という非力でも大力の者を倒せる武術の話を聞き、大きな関心を抱くまでになったのです。
東京大学文学部に入学した治五郎は、「整骨師(接骨師)は、昔は柔術家だったそうだ」という話を聞き、骨接ぎや整骨院などの看板がかかっている治療院を必死に探し歩き、整骨師である八木貞之助が営む整骨院の看板を見つけ、藁にもすがる思いで飛び込みました。
昔、柔術をやっていた八木貞之助は、治五郎の強くなりたいという熱意に感心するが、自身が老齢で道場もなかったので、同じ柔術家の福田八之助を治五郎に紹介しました。治五郎は、福田八之助の道場に入門し念願の柔術を学べることになりました。
熱心に道場に通って稽古をしていた治五郎は、福田八之助が他界したあと、遺族より伝書を託されて福田道場の責任者となり指導を行なうまでになり、柔術を通して強さを身に付けた治五郎は、「柔術」を改造し「柔道」へとさらに発展させていきました。
柔術の「活法」から柔道整復術へ
嘉納治五郎が、柔術を求めて接骨院を探し歩いたというように、接骨院(柔道整復術)の源流は、「柔術」にあると言われています。
柔術には、相手を倒す「殺法(さっぽう)」と相手から受けた痛みを治す「活法(かっぽう)」があり、柔術の達人と言われる人達の多くは、相手を倒す技だけでなく、絞め技や投げ技などで、ダメージを受けた人を目覚めさせ、立ち直らせるのに「活を入れる」といった活法を身に付けていました。
その「活法」の技術が現在の柔道整復術へ発展していきます。弟子が怪我をしたときには、患部に手を当て、視診、触診で状態を把握し、自然治癒力を高めながら、完治へ向かわせます。道場主には、怪我を素早く治す技術(柔道整復術)が必要だったのです。
柔道整復術を通じて柔道の精神を学ぶ
現在の柔道整復師の資格取得には、柔道経験の有無は問われません。しかし、柔道整復師の専門学校の中には、治療法の学習と併せて、柔道の実技のカリキュラムが組まれている学校もあります。これは柔道整復術の源流には、柔道と深い関係があったことによるものです。
嘉納治五郎により、柔道へと発展させた柔術を起源にする「柔道整復術」を学ぶことは、柔道の精神を学ぶことにも通ずると言えます。

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