「山岸絵美」著名な柔道家インタビュー - 柔道チャンネル
山岸絵美
柔道女子48kg級で活躍した山岸絵美氏。現役時代は国内外の大会で優勝をするなど数々の実績を残し、2015年に現役を引退。現在は三井住友海上女子柔道部の特別コーチを務めています。
今回のインタビューでは、山岸さんが柔道を始めたきっかけから、今後の目標までお伺いしました。
きっかけは父と弟

私が柔道を始めたきっかけは、父と弟が柔道をやっていたからです。実はあまりよく覚えていないのですが、気が付いたら私も自然と弟と一緒に練習へ行っていましたね。元々体を動かすことが好きだったので、結構早くから色々なことを吸収していました。
柔道の練習がない日は、弟と一緒に腕立て伏せや背筋、腹筋、チューブトレーニングなどの基礎トレーニング。それと、毎朝家族で早朝ランニングもしていましたね。独自の稽古などは特にやっていませんでしたが、基礎トレーニングは毎日しっかりと行なっていました。
本当は辞めようと思っていた柔道

中学2、3年生のときから、三井住友海上の柔道部の合宿によく参加させてもらい、そこで柳澤久監督にたくさん稽古を付けて頂きました。合宿には世界の前線で活躍している選手がたくさんいて、感激して正直練習どころではなかったですけどね。
中学3年生のとき(2001年)には、全国中学校柔道大会44kg級で優勝。本当は中学で柔道を辞めようと思っていたのですが、全国大会優勝の結果が自信になったこと、また合宿でたくさん稽古を付けてもらった経験が今後も活かせるのではないかと思い、高校でも柔道を続けることにしました。
- 全国中学校柔道大会 2001(女子44kg級)
負けられなかった高校時代

高校は藤村女子高校に進学。しかし当時の練習は高校ではなく、三井住友海上の道場で選手の皆さんと一緒に取り組んでいました。
「三井住友海上の皆さんと練習をしているのに、高校生の大会で負けたら恥ずかしい」と思いながら常に戦っていましたね。先生や監督からも一流選手と同じ指導をして頂き、意識を高く持っていました。それでも、結構負けてしまっていたのですが…。
高校時代に印象に残っている大会は2002年に出場したアジアジュニア柔道選手権大会45kg級(以下、アジアジュニア)です。
実は、アジアジュニアには中学生3年生のとき(2001年)にも出場したことがあったのですが、そのときの結果は優勝には届かず、準優勝でした。だから、高校生になってもう一度出場することができ、優勝できたことはすごく心に残っていますね。
もうひとつ心に残っているのが、高校3年生時の2004年全国高等学校総合体育大会(以下、インターハイ)。女子48kg級が新設された年です。
ランダムで誰とでも当たる大会だったのですが、初戦の相手がまさかの小林咲里亜選手。当時ものすごく有名な強い選手で、とても緊張していたし、「初戦では負けられない」とか、色々な気持ちが混ざり合っていました。
そんな自分に対して「ダメだな」と思ってしまって、そこからはもう開き直りましたね。そうしたら、気持ちがスッキリして順調に進むことができて、インターハイ48kg級の初代チャンピオンになることができたんです。
- 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会 2004(女子48kg級)
原動力は金メダルを獲ること

高校卒業後は、三井住友海上に入社して、全日本選抜柔道体重別選手権大会(以下、選抜体重別)や柔道グランプリ・青島(青島国際柔道大会)など、国内外の様々な試合で結果を残すことができました。
当時は、「五輪(柔道)で金メダルを獲る」という目標を持ちながら、何事にも取り組んでいましたね。この目標のおかげで、どんなにきつい練習でも耐えることができたのかなと思っています。
2008年の北京五輪(柔道)が開催されるまでの間、国際大会で優勝するなど実績を残したのですが、残念ながら五輪代表に選出されることはありませんでした。安定した勝利がなく、それが原因で信頼もなかったかもしれません。力不足で選考に落ちる形となったのかなと感じます。
それでも、その時期は本当に怪我もなく、勢いが止まることのない一番良い時期だったと、自分では思っていますね。
目標を見失った時期

2010年頃は、福見友子さんや浅見八瑠奈さんと共に「女子48kg級の世界3強」と呼ばれていた時代でした。しかし、48kg級にはこの2人以外にもたくさん強い選手がいて、すごく意識していましたし、対戦相手についての研究などもしていました。
2011年の全日本選抜柔道体重別選手権大会では福見友子さんや浅見八瑠奈さんを破って優勝したものの、国際大会での実績の差もあってか、この年に行なわれたパリ世界柔道選手権大会の代表から外れてしまいました。
- 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2011
(女子48kg級)
このときは、「勝っても代表に選ばれなかった」という事実が本当に悔しかったですね。当時は肩の怪我を抱えていたこともあり、気持ちがすごく落ちていた時期。「目標」を見失っていましたね。追い討ちをかけるように「いくらテーピングをしても両肩を脱臼する」ということもたびたび起こるようになりました。集中力も欠けていたのでしょうね。
しかし、肩を脱臼したことで、よりパワーを付けることなど、学べたこともたくさんありました。このとき学んだことが、このあとにも影響していると思います。
強い気持ちが柔道を続けさせてくれた

「頂点を目指すには練習しかない」と思っていたのですが、体力的にもきつい部分があり、練習も満足がいくようにできなくなってしまったので、「もうだめなのかな」と思いましたね。「勝てない自分」ではなく、そういったことがきっかけで、2015年9月に引退を表明しました。
引退するまで、現役生活が結構長かったですね。ここまで長く柔道を続けることができたのは、「柔道が好き」という気持ちや、「チャンピオンになりたい」、「絶対に優勝したい」という気持ちがあったからだと思っています。
引退後の道

引退後は、今までの経験を活かせることがしたいと思い、三井住友海上の少年柔道クラブで週に一度指導をしています。今後は、自分が今まで色々な人から吸収してきたことを、さらに色々な人に分け与えていきたいと思っています。
また、三井住友海上の広報部で社員としても働いています。広報部という「サポートをする」側になってみて、こんなにも支えられているのだなということを実感しました。現役時代には気付かなかったのですが、すごく恵まれていたのだなと思いましたね。
指導者側になって選手を育てる

強さを求めていくと、辛いことがたくさんあると思いますが、柔道はそれだけではありません。相手のことも理解し、思いやりも身に付けて欲しいと思います。柔道を通して、人間関係や道徳も学んで欲しいですね。
私は柳澤監督からそういったものを学んだので、同じように皆さんに伝えていきたいなと思っています。強いだけではなく、礼儀正しい人を育てていきたいです。
それと私自身、現役時代にはよくアロマでリラックスしていたこともあり、最近アロマセラピストの資格を取りました。これをきっかけにこれからアロママッサージなども習い、それを選手のケアなどに活かしていきたいですね。
インタビュー:2018年2月

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