「田知本遥」著名な柔道選手インタビュー - 柔道チャンネル
田知本遥
リオデジャネイロ五輪(柔道)女子70kg級で、見事金メダルを獲得した田知本遥選手。
金鷲旗全国高等学校柔道大会や全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会で優勝を飾った学生時代のお話や、リオデジャネイロ五輪(柔道)での心境を伺いました。
8歳で始めた柔道

柔道を始めたのは8歳の頃。「習い事をしたい」と親にお願いし、そこで柔道を勧められたことがきっかけでした。
本当はピアノなどのお稽古ごとを習いたかったので、柔道はあまり好きではなかったのですが、練習の前後に同年代の子達と遊べるのが楽しくて、道場にはちゃんと通っていましたね。
高校時代の思い出に残る大会

高校時代の印象に残っている大会は、初めて団体戦で優勝した1年時の金鷲旗全国高等学校柔道大会と全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会(以下、インターハイ)です。
その中でも3年時のインターハイでは、初の個人戦優勝となったので、特に印象に残っています。
- 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)
柔道競技大会 2008(女子70kg級)
中学生の頃から「全国で1位を獲る」という目標を持っていました。それが初めて叶った大会だったので、これらの大会はとても印象深く思い出に残っていますね。
ロンドン五輪(柔道)を意識し始めたきっかけ

東海大学に進学してから、世界ジュニア柔道選手権大会連覇や2010年の柔道グランドスラム東京での優勝などを経験し、2012年のロンドン五輪(柔道)への出場を意識するようになりました。
- 世界ジュニア柔道選手権大会 2009(女子70kg級)
- 柔道グランドスラム東京 2010(女子70kg級)
高校生の頃は漠然と「出場したい」と思っていただけで、本当に出場したいのかどうかもあやふやな気持ちだったのですが、シニアの大会で優勝できるようになってからは、「もしかして本当に目指せるのではないか」という実感が芽生え始めました。
ロンドン五輪(柔道)出場時の心境

ロンドン五輪(柔道)への出場が決まったときは、あまり現実味がなかったです。「一生懸命頑張った結果、気付いたら出場が叶っていた」という感覚だったので、あまり実感や責任感もなく、「何も分かっていない」状態でした。
ロンドン五輪(柔道)に向けた合宿などでも、日本代表として過酷なメニューを与えられていましたが、ただ先輩たちに付いていくために一生懸命こなしていただけでした。もう本当に、必死でしかなかったです。
思いの強さで獲得したリオデジャネイロ五輪(柔道)日本代表の座

2016年4月の全日本選抜柔道体重別選手権大会では、「優勝しなければリオデジャネイロ五輪(柔道)への道は開かない」という状況の中で、優勝を掴み取ることができました。
「絶対に私がリオデジャネイロ五輪(柔道)に出場するんだ」という強い思いを、最後まで貫き通した結果だと思っています。
- 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2016
(女子70kg級)
リオデジャネイロ五輪(柔道)に向けた練習

ロンドン五輪(柔道)のときとは全く違い、「自分に今何が必要で、何をしなければならないのか」ということを自分で考えて練習できるようになりましたね。
その時々で必要な練習というのは一人ひとり違うと思うのですが、「自分にとって必要な練習を自分で決める」というスタイルを貫き通しました。
ノーシードで挑んだリオデジャネイロ五輪(柔道)

リオデジャネイロ五輪(柔道)はシード権がない中での挑戦となりましたが、それは自分で選んだ道ですし、組み合わせの結果も想定内だったので不安はなかったです。
通常シード権があれば準々決勝で当たるような強豪選手とも2回戦で対戦しなければなりません。「負けたら敗者復活のチャンスもない」という背水の陣でしたが、「すべてを出し切るしかない。やるかやられるかだ」という思いで試合に挑みました。
リオデジャネイロ五輪(柔道)での戦いを振り返って

2回戦のキム・ポーリング選手(オランダ)との対戦では立ち上がり7秒で有効を奪われましたが、そこで変な焦りが生まれなかったことが勝因だったと思いますね。最後まで攻め続けた結果、勝つことができました。
ケリタ・ズパンチッチ選手(カナダ)との準々決勝は、2回戦が終わってすぐの対戦だったので体力的には辛かったですが、リオデジャネイロ五輪(柔道)に向けてスタミナを温存したり回復させたりする練習が実を結び、試合に活かすことができました。
ラウラ・ヴァルガス=コッホ選手(ドイツ)との準決勝では、ゴールデンスコアの死闘を戦い抜いたあとだったので疲労が強かったのですが、なぜか緊張せずに挑めましたね。通常よりも、かえって落ち着いた状態で戦うことができました。
リオデジャネイロ五輪(柔道)決勝戦での心境

決勝戦の前は、すごく穏やかな気持ちでした。「もしかして私はもう満足してしまっているのではないか」と少し焦りましたが、そうではなくて、ただただとても幸せを感じていたんですね。
リオデジャネイロ五輪(柔道)という最高の舞台の決勝戦で、これまでの大会でも対戦してきた見知った相手と戦える、ということがとても嬉しくて「あとはどうなってもすべてを出し切って終わるだけだ」と思いました。
指導を先行されたときも、「まずい」とか「勝たなきゃ」という気持ちはなく、自然と「自分自身の柔道」をするために体が動いたんです。「まだまだ私らしい柔道をする時間はたくさんありましたし、それが上手く相手に当たれば必ず投げられる。」って思えるほどの落ち着きもありました。
もちろん「勝ちたい」とは思っていましたが、「自分の柔道を出し尽くしたい」という気持ちの方が強かったです。その気持ちの通過点としてたまたま技がかかり、投げることができたという感覚でした。
金メダルを獲得した瞬間は、「これまでやってきたことが報われた」という思いと同時に、「終わった」という安堵感が生まれました。ずっと張り詰めていた糸が、ようやく切れた瞬間でしたね。
しかし南條充寿監督からは、「金メダルを獲ったあとが大事だぞ」ということを言われました。
金メダルを獲得してからの環境の変化

金メダルを獲ってからはやはり注目されることも増えましたし、これまでに体験したことのない、慣れないこともたくさんやらせてもらっています。戸惑いや刺激が毎日あって、日々勉強させてもらっていますね。
練習がしっかりできるようになってから、心と体に相談して、今後の方向性を決めたいと思っています。
ファンの方へのメッセージ

たくさんの方に「(リオデジャネイロ五輪(柔道)を)見ていたよ」、「応援していたよ」と声を掛けて頂いて、とても嬉しく思っています。
私のことを全く知らなかった方々がそのように応援して下さる機会というのはなかなかないことだと思いますし、それはやはり4年に1度のこの舞台ならではの力だと感じますね。
本当に感謝しています。
インタビュー:2016年11月

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