柔道 オリンピック正式種目への道

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最後まで柔道を愛し続けた嘉納治五郎。現在柔道を志す選手は世界中におり、オリンピックの正式種目にもなっています。柔道が正式種目となるまでの道や世界の柔道事情等についてご紹介致します。

治五郎永眠

治五郎永眠

東京開催が決定したあとも、治五郎はすぐには日本に帰国しませんでした。アテネオリンピアでクーベルタン男爵の慰霊祭に出席し、イタリア、フランスを経てアメリカへ渡りました。

そこでIOC(国際オリンピック委員会)委員と会い、日本でのオリンピック開催に同意した旨を感謝すると同時に、東京大会には多くの選手を参加させて欲しいことを依頼しました。礼に始まり礼に終わる柔道の精神を重んじる治五郎哲学が故の行動です。

礼を尽くし、やっと帰国の途についた船の中で、治五郎は母国の土を踏むこともなく亡くなってしまいます。高齢の上、長旅の疲れから肺炎を起こしてしまったのです。

多くの努力によって開催を勝ち取った待望の東京オリンピックを見ないまま、治五郎は生涯を閉じました。「柔道の形を写真に撮るのは、良いことだ…」臨終の言葉まで柔道のことだったと言われています。

柔道の勢い

柔道の勢い

治五郎らの尽力によって1939年(昭和14年)開催予定となっていた第12回東京オリンピックでしたが、第二次世界大戦勃発のため中止となってしまいます。

15年間続いた戦争が終わったのちも、占領軍が駐留し、柔道、剣道などは禁止され、オリンピックへの道は閉ざされたかに思われました。しかし、日本人の武道の精神が脈々と流れる柔道は、治五郎が教授した講道館の門下達によってひそかに継がれていたのです。

1948年(昭和23年)には、全日本柔道選手権大会、全国警察官柔道大会が行なわれ、翌年、全日本柔道連盟が結成されました。昭和25年には、学校柔道も許可され全国高校体育連盟に柔道部が発足、さらに、全日本学生柔道連盟結成と柔道は勢い付き、全国的な大会が毎年開催されるまでになりました。

世界の柔道

世界の柔道

講道館に携わる人々によって根気強く蒔かれた柔道の種は、50年を越えるときを経て、海外でも見事に開花しました。廃れたかと思われた海外の柔道は、日本に勝るとも劣らない関心を集め、1948年(昭和23年)には欧州柔道連盟が結成されます。

さらに、1952年(昭和27年)には、欧州柔道連盟は国際柔道連盟となり、世界の元締めとなる柔道組織が整いました。日本も加盟し、国際柔道連盟主催の記念すべき第一回世界柔道選手権大会は、東京で開催され、21ヵ国が参加しています。

海外の柔道は、さらに発展を続けました。そして、治五郎が亡くなって26年目の1961年にIOCで柔道がオリンピックの正式種目に取り上げられます。1964年(昭和39年)オリンピックが念願だった東京で開催され、初めて柔道が競技種目に加えられました。

国際柔道連盟発足から約60年が経ち、柔道連盟加盟国も200ヵ国程になり、世界の柔道は、更なる発展を今も続けています。

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嘉納治五郎が亡くなってからも、柔道の勢いは止まりません。治五郎や治五郎の弟子、講道館に携わる人によって普及された柔道は、日本はもちろん、海外でも大きな関心を集めました。1948年にはヨーロッパでは現在の国際柔道連盟の前身である欧州柔道連盟が結成され、その後、日本を含む多くの国が国際柔道連盟に加盟しています。治五郎により創始・普及された講道館柔道は、今も世界中の柔道家や柔道ファンから愛され続け、日々発展し続けているのです。こちらのページでは、東京オリンピック招致後の世界における柔道の勢いやオリンピックで柔道が正式種目となるまでの歩みについてご紹介しておりますので、ぜひご覧下さい。柔道チャンネルは、柔道を志すすべての方を応援致します。

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