「吉村和郎」著名な柔道家インタビュー

吉村和郎 全日本柔道連盟強化委員長インタビュー

吉村和郎(かずお)氏は、アテネ五輪では監督として女子チームを率い、史上最多の7階級中、金メダル5個、銀メダル1個という素晴らしい成績を挙げ、講道学舎コーチ時代は、古賀稔彦や吉田秀彦ら多くの世界チャンピオン、五輪チャンピオンを育てています。

豪放な物言いと一見怖い外見ながら、細やかな気遣いで選手から絶大な信頼を置かれる吉村氏に、その指導法を中心にお話を伺いました。

吉村和郎氏

プロフィール

  • 生年月日:1951年7月6日 出身地:熊本県 身 長:175cm
  • 主な戦歴

    • 1973年 | 世界柔道選手権大会(スイス:ローザンヌ) 軽中量級 3位
      1977年 | 全日本選抜柔道体重別選手権 71kg級 優勝
      1978年 | 嘉納治五郎杯国際柔道選手権大会 71kg級 優勝
      1979年 | フランス国際柔道大会 71kg級 優勝
       | モスクワ プレオリンピック柔道競技 71kg級 優勝

講道学舎で培った指導スタイル

講道学舎での13年間というのは、自分の中では凄い財産になった。まずは厳しさだよね。
横地治男理事長の軍隊式の厳しさというのは凄かったんだよ。でも、厳しい中にも情があった。子供を絶対に見捨てないという。やっぱりそれが教育だと思うね。
それと、勝ったヤツはみんなが誉めるからほっておいてもいいけど、負けたヤツこそフォローしてやらないかんというのも、そこで学んだよね。
負けたときというのは、負けた本人が一番苦しいんだ。そんなときに怒られたら、反発心しかおきないから、そのときいかにフォローして気持ちを盛り返させるのかと。最終的には、次のインターハイに勝てばいいんだとかね。
気持ちを切り返させるのが、指導者の仕事だと思うね。

指導者としてのスタートは講道学舎から

指導者になったのは講道学舎(古賀稔彦や吉田秀彦を輩出した柔道の私塾)からなんだけど、その動機は不純なんだわ(笑)。週3日、1日1時間指導すればいいと。しかもそれで世田谷に住めるという条件だったんだな。これは楽だと思って受けたわけだよ。
当時の講道学舎というのはまだできたばかりで、実際に練習は1日1時間だった。九州から来たヤツがほとんどで、体が小さくて、そんなに欲があったわけでもない。俺もあるわけじゃないし、選手たちにもないと。ただ、やっていくうちに、人間っていうのは情が湧いてくるわけだ。やるからには強くさせなきゃいかんと。でも、1時間の練習を急に2時間3時間にしたら、子供は反発というのがあるわけよ。
それでまずは、何のために田舎から東京に出てきているんだ、という意識をはっきりさせることと、来たからには強くならにゃいけないという気持ちにさせなきゃいかんと。それで、練習試合をさせたわけだよ。そうしたら、体が小さいこともあって、同じ中学生・高校生でも7人制でやったら0−7で負ける。いちおう町道場でやってきたという自負があるからとにかく悔しがるんだよ。 「先生、なんで負けるんですか?」と。「それは練習量が足らないんだろう」と。「お前、1時間の練習で勝とうと思うのが大きな間違いなんだ」と。「強くなりたいか?」と聞くと「なりたい」と言う。「じゃあ、練習時間を1時間半にしようじゃないか」と増やしていったわけだ。
でも、子供の限界っていうのは、俺はだいたい2時間だと思っているんだよ、練習で集中力を持続できるのは。だから、いろんな指導者がうちは3時間やっている、4時間やっているって言うけれども、結局は集中力が欠けて、無駄が多くなってくる。だから2時間の中で、どうやって力を出し切るかと。
練習相手がいない時には、必ず一人打ち込みをやらせる。その2時間は絶対に休ませないという練習をして、半年後にまた練習試合をしたら、2−5とか3−4になってくるわけだよ。
「頑張れば、こういうふうになれるんだ」と、で1年経ったときには、代表戦で戦えるようにまでなっていったわけだよ。

10の短所を見るより1の長所を伸ばす

吉村和郎氏講道学舎の主旨としては「英才教育」と、亡くなった横地治男理事長が言っていたけれども、英才教育というのはエリートを連れてきてこそ英才教育だと思うんだよね。でも、最初の頃は人材が集まらないから佐賀のひとつの道場の選手を連れて来る、というような感じだったから英才教育でもなんでもなかったわけだよ。
でも、子供というのは何かいいものを持っているわけ。指導者がそれをいかに伸ばしてやるかなんだよね。
だから、常に思うのは10の短所を見るより1の長所を伸ばしてやるということ。
そのほうが子供は大きく伸びるんだよ。それを、お前はここが悪い、あそこが悪いってずっと言っていたらいかんと思うんだよ。悪いところを一番分かっているのは本人だからね。
もうひとつは、指導者というのは、自分の技を押し付けるのが多いんだよ。でも、その子が小さい頃からやってきた柔道というのを崩してはいけないと思うんだよね。崩すんじゃなくて、それに枝葉をつけてやることが大事だと。一時よく言われたのは「講道学舎の柔道をやらしていたら、将来的には伸びない」と。「あれでは世界に通用しない」と言われたけど、やっぱり個性を生かしてやることを一番に考えた。講道学舎からいろんな選手が出たけど、同じような選手はほとんどいない。背負い投げするヤツ、一本背負するヤツ、内股するヤツね。そういう部分で個性というのを大事にしてやる。
選手にとって、最初に習った先生が本当の先生なんだよ。それを「その技はダメだからこっちにしなさい」って言ったときには子供は不信感を抱いてしまう。だから、最初に習った技を伸ばしてやり、それに枝葉をつけてやるというのが、本当の指導者じゃないかなと、俺は思うわけよ。

子供を伸ばすには、性格の見極めが大事

吉村和郎氏子供を伸ばすためには、技術的なこともそうだけども、メンタルの部分、要するに性格的な部分を指導者が見極めることが大事なんだよね。10人おったら10人顔も違うように、性格も違うわけだよ。だから、みんな同じように指導していたら無理がある。
それと、団体生活においては、そこで起こっていることを、指導者が常に把握しておかなきゃいけない。ということは、情報を収集しておかなきゃいかんわけね。それを頭の中に入れておく。ケガしたヤツは、ほねつぎに行かせないで俺のところに来させたんだよ。いちおう俺もほねつぎの端くれで、免許は持っているから。技術がないわけじゃないんだけどな(笑)。でも、免許を持っているとなると、できると思うんだよ子供は。だから、脱臼したら「先生、はずれました」って来るわけ。そうすると、「おおそうか」って治療して。……骨折になるなんてこともあるんだよ、これが(笑)。でも、これが信頼関係なんだよな。
そういうときっていうのは、あいつらが唯一心を許すときなんだよ。道場では絶対に許さないんだわ。だから、俺はテーピングを覚えたりして、あいつらと密接な関係を作ろうと思ったわけだよ。そうして、ホッと気が抜けたときにしゃべる本音を頭の中においてアドバイスするわけだよ。そうすると「先生はなんも知らんわりには、俺のこと分かってくれているんだ」と。そうして絆というのができ上がっていくわけだよ。
それから、子供たちの精神力を鍛えるには、競わせること、ライバル心を持たせるということが一番だと思うね。練習でも試合でも、ここで自分が休んだらもうレギュラーから外されるという危機感を持つわけだよ。そういうライバル心を持たせると、これがひとつの団結力につながるよね。

勝負に対する執念が凄かった古賀

稔彦(古賀)にしても秀彦(吉田)にしても大介(秀島)にしても誠(瀧本)にしても、共通して言えるのは、負けず嫌いだったってこと。勝負に対する執念が凄かった。
当時、俺は誰かをチャンピオンにしなきゃいけないと思っていたんだわ。誰かをチャンピオンにすれば、目安ができるわけだよ、子供たちに。古賀ぐらい頑張れば、チャンピオンになれるんだというように。
古賀を初めて見たとき、あいつは中学1年生だったから身長も160cmあったかどうか、体重も50kgそこそこ。
でも、そんな小さいヤツが首を絞めても、絶対に「まいった」しなくて、何がなんでも逃げてやるという気持ちがあるわけだよ。そういう勝負に対する執念っていうのがね、古賀は凄かった。
秀彦なんかは、反対。あいつは首絞めたらすぐに泣きおったから(笑)。でも、あいつのいいところは、泣いてても向かってくるんだよ。そこが普通の子とは違ってたわな、やっぱり。

畳の上に上がったときには自分しかいない

吉村和郎氏全日本の強化コーチになったのはソウルのアジア大会(86年)から。
88年のソウルオリンピックには、教え子の古賀が出たわけだけど、自分にとっても大きな表舞台だった。
自分の頭の中には「古賀を絶対に優勝させるんだ」という信念があったわけだよ。ただ、勝負には運不運がある。というのは、1回戦で地元韓国のチュンという選手と当たったんだ。チュンにはジュニアのときに負けているし、会場も異様な雰囲気だった。しかも、初日に伸二(細川)が負け、2日目の洋祐(山本)が負けている状況の中であいつの出番になった。それでもなんとか1回戦のチュンに勝って、その時点で自分はもうチャンピオンになれると思っていたんだな、たぶん。
でも、次の楽勝だと思っていたソ連の選手と実際にやってみたら、柔道をさせてくれなかった。で、惨敗したと。古賀は、あれで奈落の底にドーンと落ちたわけだよ。それから古賀が考えたのは、「今まで私は先生のロボットだった。自分で考えて自分で動ける選手にならないと、試合には勝てません」と。あいつはそれからいろんな技を勉強した。釣り手を使うことも覚えたし、新しい技もやりはじめた。
で、翌89年のベオグラード世界選手権で優勝したんだわ。
今の選手にも言うんだけど、50畳の畳の上に上がったときには、もう自分しかいないんだと。コーチは試合場に、ベストの状態で選手を送りだすだけ、上がったらもう本人次第だと。

運も大切。勝負は総合力

教え子というのは不思議と似てくるのかなぁと思うね。というのは、俺の教え子はみんな最初の世界選手権で負けているんだよ。古賀稔彦も吉田秀彦も秀島大介も瀧本誠も。俺の悪運を引き継いでいるんだわ。ただ、あいつらには強い運があって2回目があった。俺は2回目のときは中止になったから。これが勝負の分かれ目やね。強運を持っている者とはここに格段の差がある。
運も大切だよ。勝負は総合力だからね。選手を選考するときに、コーチに自信を持って選べというのはそこなんだよ。 自分の目で試合を見て、練習を見て、こいつは絶対に勝てるという信念を持って使わないと、選手は期待に応えてくれない。
だから、俺の場合は、「お前にかけておるんや」とはっきり言う。それだけ信頼しないと、選手は使えないんだよ。

チームがひとつにまとまったアテネ五輪

吉村和郎氏アテネオリンピックで女子が好成績(金メダル5個、銀メダル1個)を挙げることができたのは、まず練習量を男子並みにしたこと。
それと、もう一回基本に戻って打ち込みを多く取り入れたことが良かったんだろうと思っている。
あとは、俺が顔に似合わず、まめに選手にコンタクトをとって話を聞いていたことだな(笑)。女子は、ベテラン選手であってもどこかでフォローが欲しいんだわ。その気持ちを察して親身になって話を聞くことは絶対に必要なことだと思うね。
あと、アテネのときは、女子がチームとしてひとつにまとまっていたんだよ。
女子っていうのは、普通は2〜3人の仲良しグループになってしまって、全体としてまとまることはないのに、あのときは個性派ぞろいのチームがひとつにまとまっていた。女子では本当に珍しいことなんだよ。
あいつらみんな、「これだけやったんだから、私たちは絶対に負けることはない」って言っていたけど、合宿で、一緒に頑張ったことで結束力が高まったんだろうな。谷亮子とか上野雅恵とか、日下部基栄とか阿武教子とか、ホント、個性の強いヤツらばっかりだったのに、あれには驚いたよ。

金メダル増産は意識改革から

以前の女子の選手は、3位に入ればいいという雰囲気があったんだけど、まず、それを意識改革させたんだわ。もう3位だったらいらないと。せっかくやるんだったら1位を目指せ、頂上を狙わないのならいらないと。頂上を目指さなかったら、それだけの練習ができんやろうと。
そんな中で、一番良かったのが上野雅恵の優勝。それまで大舞台で他の選手を使わず、あいつばっかり使っていたんだわ。 たいがい俺がえこひいきしたと思われるんだよ。でも、違うんだわ。俺に見る目があっただけなんだ(笑)。 谷本歩実を北京オリンピックの代表にしたときもそうだったし、谷をブラジルの世界選手権に選んだときもそうだった。でも、選んだときは批判するけど、終わったら批判しないんだよ。見る目があったと言われるんだなぁ(笑)。 それはなぜかと言うと、普段から長く見てきているから。
代表を選ぶということは、その選手を信じることだからね。俺がなぜ海外まで試合を見に行くかというと、内容を見に行くんだよ。勝敗そのものよりも、勝ち方や負け方。たとえ勝ったとしても、逃げてなんとか勝つような試合をしていたら、世界では勝てない。
逆に負けても攻めの柔道をしていたら可能性がある。その可能性に賭けてみようと思うわけだよ。
そこで選ばれんかった選手は理由を考え、選ばれなかった鬱憤を、次のチャンスに出してくれればチャンピオンになれるだろうし、ぜひそうなってほしいと思うね。

草食系男子、肉食系女子

吉村和郎氏今は、男子も女子も見る立場になっているわけだけど、最近は男子のほうが草食で、女子のほうが肉食なんだわ。
女子のたくましさというのは、下に受け継いでいかないといかんわな。築き上げたものを、維持するっていうのは物凄く難しいわけだよ。どこかではまだ甘えがくるし、そこをどう引き締めてかかるかが問題なんだよ。
だから、強化選手も少人数にして、監督を若返らせた。身近にして、選手に直接ガンガン言えるヤツを監督にした。 全日本で教えるのと所属チームでやるのとは、また変わってくるから。 国際を見て、世界を見たときの目と、国内を見ていた目で指導するのと、違うわけだよ。それを選手がどう判断するかっていうのが、大きな課題だよね。
そのために必要なのが、所属チームとのコミュニケーションだよ。これはしっかりとやっていかないといけないと思っている。
男子は、素材はいいのがおると思うんだわ。ただ、高校までは凄くいいんだけど、大学で伸び悩んでいるのがけっこう多い。大学というのは昔の感覚が残っていて、放任主義が多いんだけど、今の子たちは放任しておくとダメなんだわ。でも、逆に教えすぎると今度は依存症になってしまう。そのへんが難しいところなんだな。
最近の選手を見ていて不思議なのは、選手同士が凄く仲がいいこと。あんなに仲が良くて、勝負できるんかいなって思うんだわ。俺らの頃はライバルとは一切練習もせんし、口も利かんし。 頭の中じゃ、あいつ車に撥ねられんかなとか思っていた。実際にやったらヤバイけどな(笑)。でも、そのくらいの気持ちがなかったら勝てないわ。

男子は全階級が厳しい状況

外国人と言っても、柔道歴で言ったらもう日本の選手と一緒なわけよ。昔はいろんな格闘技から移ってくるやつがいたけど、今は子供のときから柔道をやっている選手ばかり。だから、昔はロシアの選手は3分過ぎたらバテるなんて言っていたけど、今はバテない。反対に日本人のほうがバテてるよ。
それを上回るには、それ以上のことをやらなけりゃ無理。ある部分の研究は必要だと思うけど、その前に鍛え上げることが必要だと思う、男子の場合は。まずは基礎。基礎ができていれば、応用が利くわけよ。ただ、体力がなさすぎると思うんだよ、今は。普段から厳しい練習をして、自分を追い込んでいないと、難しい部分はあるね。
重量級が厳しいと言われるけど、正直言って、全階級厳しい。男子をどう立て直していくかは、今の日本の大きな課題だね。信一(篠原)が新監督になって、もちろん1年目からしっかりと強化していくけど、その結果は2012年のロンドンオリンピックで花咲きゃいいかなぁと思うわけよ。それを今年一気に花を咲かせようと思ったら、それは無理があると思う。
原点に戻っておけば、怖いものはないと思うんだよ。落ちるところまで落ちているんだから。あとは上がるしかない。失敗を恐れることはないんだよ。世界選手権とオリンピックで結果を出せばいい。国際大会で一喜一憂するから駄目なんだわ。あれは選手にとって練習の場であって、自分がいいものを出して、何が足らんかという課題を洗い出し、それを克服して次に向かう。そうするうちに勝てるようになるわけだよ。外国の選手はだいたいそうじゃない。だから、連戦が効くわけだよ。

必要なのは基本。打ち込みが足りない!

日本柔道が今やらなければいけないことは、原点に戻って基本をしっかりとやること。これがやっぱり肝心だと思う。 外国の選手の技を真似してもダメ。日本人は手先が器用だからいろんなことができるわけだ。それを生かさないでパワーに頼っていたら、うまくいくわけがない。
それと、掛け切る柔道、投げ切る柔道を心掛けることも大事だと思う。
最近は、みんな技が中途半端になってきていると思うんだわ。それは、やはり打ち込みが足らないから。自分の技を作るのは打ち込みだし、技が掛からなくなったとき、微妙な足のずれとか腰のずれとか、技を矯正するのも打ち込みだからね。男子なんかは特に、全面的に原点に返って、基本に戻って、再出発しないとダメだと思うね。

行き当たりばったりの人生

吉村和郎氏俺自身の人生というのは結構行き当たりばったりなんだわ(笑)。柔道を始めたのも、兄2人がやっているのを見に行っていて、小学校1年のときにおやじから「どうするか?」って聞かれて、じゃあ俺もやるって感じだったし、柳川商業(現、柳川高校)に行ったのも、兄貴が行っていたから。
高校の練習は、やはりきつかったね。練習は毎日。先輩に「お前、日曜日は全国的にみんな休んでいるだろう。こういう日に練習すると、人より強くなるんだ」と言われて、「ああ、そうかな」と、日曜日も行きよったんだわ。あそこはスポーツ学校だから、テニスも強かったし。テニスで韓国から留学してきていたヤツが、メシ食ってからまた練習にいくんだ。こいつらに負けてたまるかと思って道場に行ってみたり。そういう環境だったなぁ。
日大に行ったのも、高校3年の12月頃に、兄貴が酔っ払って電話してきて「お前、日大に行け」と。そのとき、他の学校に行くことがほとんど決まっていたんだよ。でも、兄貴がそこに行けっていうから「じゃあ、行こうか」と。
自分の信念で入ったのは警視庁だけだよ。これは木村忠雄先生という方がおったからな、恩師が。

勝負はワンチャンス

自分自身はローザンヌの世界選手権は3位だったんだけど、あのときは準決勝の野村(豊和)さんがその前の試合で脳震盪を起こしていたこともあって、油断していたというか、まぁ勝てるだろうなと思っていたわけだよ。
で、決勝の組み合わせを見ても、どっちが上がってきても前に勝っているから、「もうこれは世界チャンピオンやな」と思っていたんだわ。そうしたら残り40秒、背負い投げで「技あり」を取られて負けた。そのあと代表になったスペインの世界選手権(1977年)が中止になったから、結局、2度目のチャンスはなかったわけだ。
だから、今の選手たちには言うよ、「勝負というのはワンチャンスやぞ」って。そのワンチャンスをつかみ切らなかったら、次はこない、絶対に。

古賀に託した世界チャンピオンの夢

吉村和郎氏自分が世界チャンピオンになれなかったから、指導者になって教え子に自分の夢を託したいというのはあったかもしれんね。
古賀を見たときに、こいつを絶対に世界チャンピオンにしようと決めた。だから、初めて出たエッセンの世界選手権(87年)であいつが負けたときはショックだった。今まで柔道をやってきて、一番悲しかったのはこのときだな、自分のことより何よりも悲しかった。 でも、自分の頭の中では、あいつは大学4年生で世界チャンピオンにしようと思っていたんだよ。だから、ちょっと早かったな、スタートラインが。
エッセンで負けて、ソウルオリンピック(88年)で負けて、ベオグラード世界選手権で勝ったのが大学4年生のとき(89年)。
俺の計算はぴったり当たっているんだよ。優勝したときはうれしかったよ、中学1年からずっと見てきたわけだから。 あいつは1回地獄を見たから、やはりそこから這い上がってきたヤツは強いよ。
俺たちのときは、一度外国人に負けたら、もう使ってもらえなかったけど、今は、だいたいの選手が何度かチャンスをもらっている。だから、それをなぜ活かさんのかなと思うんだわ。
チャンスをもらったんだから死ぬ程やれよと言いたい。出たいヤツはいっぱいいるんだから。それを肝に銘じて、日本代表として恥ずかしくない試合をしてほしいね。

※このインタビューは、2009年5月12日に行なわれたものです。


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