著名な柔道家インタビュー

吉田秀彦 バルセロナ五輪(柔道)金メダリスト その2

1992年のバルセロナ五輪(柔道)において、見事金メダルを獲得し、2011年4月に実業団の監督として柔道界に復帰した吉田秀彦さん。 そんな吉田さんに柔道との出会いや五輪でのエピソード、これからの活動などを中心にお話を伺いました。

吉田秀彦氏

ヒーローだった古賀(稔彦)先輩

古賀稔彦先輩は色んな意味で良いお手本でした。僕の中での古賀先輩はヒーローだったので、いつかこうなりたいと思って勉強させてもらいました。

バルセロナ五輪(柔道)のときは、事故とは言え怪我をさせてしまい非常に落ち込みました。初日の練習中での事故だったから試合まで10日間くらいあったからね、少しは良くなってくれないかなと気持ちの部分で参っていましたよ。

靭帯を怪我すると本当に動けないから、とても柔道をできるような状態じゃなかったですよ。でも、古賀先輩が逆に「頑張れよ」って言ってくれたときは、すごく嬉しくて気持ちが楽になった。

僕が金メダルを獲ったときは、次の日に古賀先輩の試合が控えていたので、正直、全然喜べませんでしたよ。

でも、古賀先輩とは選手村で同じ部屋だったので、部屋に戻ると先輩は明日の試合に向けて早く寝ていたんですが、ムクッと起き上がって「おめでとう」と言ってもらえたときは非常に嬉しかったですね。

そして、次の日に先輩が金メダルを獲ったときは、ホッとしたのと同時に、心の底から嬉しさが込み上げてきました。

バルセロナは、なんだかんだ言って、古賀先輩がいいところを持っていった大会でしたね。僕は、引き立て役だったのかなと思いますよ。

金メダルの印象は、現地では「ホッとした」の安堵感だけだったんで実感は全然沸かなかったんですけど、成田空港に着いたときのみんなの歓声や報道陣を見て、「金メダルってすげーな」って思いましたよ。

悲願の世界柔道選手権優勝

吉田秀彦氏柔道をやっていて世界柔道選手権は一度は獲りたいタイトルでしたね。

それまでは2位や3位とあと一歩だったんですが、ようやく四度目の正直である1999年バーミンガム大会で優勝できたことは非常に嬉しかったです。

当時は、みんな20代で引退する人が多くて、僕は30歳という年でしたので、周りからはあまり期待されていなかった中での優勝でしたけどね。

そして翌年、2000年シドニー五輪(柔道)だったんですが、試合中に右肘関節を脱臼してしまい、さすがに現役生活も限界だなと思ったよ。

現在の「世界柔道選手権」や「柔道グランドスラム」は、僕らの頃と違って毎年開催されているし、ルールだけ見れば日本人に有利になってきていると思います。しっかり練習すれば、日本人の世界チャンピオンが何人出てもおかしくない大会になってきてますね。今の日本人選手は、自分の技を持っている選手が少なく感じる。

僕は、全日本柔道連盟の人間じゃないから大きなことは言えないけど、ロンドン五輪(柔道)に向けて、マスコミなどへ取り上げられるようなヒーローを育てる必要があるのではと思うよ。

選手も注目されれば、練習も頑張れると思うし、必死こいてみんなに頑張って欲しい。世界チャンピオンになれば、自信が持てるし、何より今後の柔道人生も大きく変わってくるから、選手たちは注目されるように頑張らなきゃね。

※2011年3月現在


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