「山下泰裕」著名な柔道家インタビュー

山下泰裕東海大学体育学部長インタビュー

※2011年10月に東海大学副学長に就任されました。

2009年4月に東海大学体育学部長に就任した山下泰裕氏。

柔道界の顔として、日本のみならず世界中で活躍されてきた山下氏に、現在、大事にしていること、プーチン氏との交友エピソード、現役時代の思い出話など、幅広い内容のお話をお聞きしました。

山下泰裕氏

プロフィール

  • 生年月日:1957年6月1日 出身地:熊本県山都町 身 長:180cm
  • 主な戦歴

    • 1977年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
      1978年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
      1979年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
       | 世界柔道選手権大会(フランス:パリ) 95kg超級 優勝
      1980年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
      1981年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
       | 世界柔道選手権大会(オランダ:マーストリヒト) 95kg超級 優勝
       | 世界柔道選手権大会(オランダ:マーストリヒト) 無差別級 優勝
      1982年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
      1983年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
       | 世界柔道選手権大会(ロシア:モスクワ) 95kg超級 優勝
      1984年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
       | ロサンゼルス五輪(柔道) 無差別級 優勝
      1985年 | 全日本柔道選手権大会 優勝

学部長就任で人生の方向が変わった

体育学部長に就任して、少し自分の人生の方向が変わった気がしています。つまり、自分が教わってきた大学に対して貢献、恩返しをしなければいけないと感じているところです。
どこの大学も少子化により若者が減ってきて、非常に厳しい状況にあります。東海大学も同様です。だから、学部長になった今、まずは学生たちのため、先生方のため、事務職員たちのために行動しなくてはいけないと考えています。これは私の考えですが、私のような立場の人間が、下の方を見ているか、上を見ているのかによって、かなり違うと思うんですね。もちろん両方を見ないといけないのですが、上の意に沿って上が喜ぶようにだけやっていると、下の気持ちというのが理解できない。あるいは上からの押し付けになっていくと思うんです。だから、「東海大学の役に立つ」というのは、まずは体育学部の先生方がここで働くことのやり甲斐や生き甲斐を感じる。そして、大学で学んでいる学生たちも「東海に来て良かったなぁ」と感じる。そういう体制を作って初めて、本当の意味で貢献していると言えると思うんです。
今までは外のことばかりやっていて、中(大学)のことはほとんどやってきませんでした。だからこそ今、学生のために、大学のために、私が本気で汗をかこうと思っていることをきちんと示さなければならない。学部を、学科を、学生や教員を取り巻く環境を、変えようとしているという気持ちが伝われば、協力してくれるだろうし、いろんなことが変わると思うんです。

物は見方

山下泰裕氏周りの方々に「学部長になられて大変でしょう」とよく言われますが、今までもいろんな局面で、新たな体験とか、新たな問題との遭遇というのはありましたから、自分ではそうは感じていません。物は見方で、この年齢(52歳)でそういう問題に直面し、あるいはそういう役割を担うことは、これからの人生の中で、必ず生きてくるだろうと思っています。やるからには、前向きに考えるのが、私の生き方ですから。
地域との交流も積極的に行ないたいと思っています。大学が何のために存在するのか、また、何を目指しているのか。存在意義、社会貢献、これは非常に大切なことだと思うので、いろんなところと協力関係を作ってネットワークを築いていく。お互いの持ち味を発揮しあうことで相乗効果も生まれてくると思うんです。
何かをやろうとしたとき、自分だけでやるのもいいけど、いろんな人と連携してやることで、長く続くし、より効果的になる。労力は、最初は少し大変に感じるけど、長い目で見ると、かけたエネルギーが3倍、5倍になって帰ってくるような気がします。

「しなきゃいけないこと」は何もない。

私は「しなきゃいけないこと」というのは、極論すると、何もないと思っています。24時間全部自分のものだと思っているので、どう使おうと全部自分の判断です。その代わり、誰にも責任転嫁はできない。
食べるためにやりたくないことをやることはあります。場合によっては意に反してもしがみついている。だけども今の私にとっては、「しなきゃいけない」のではなく、自分がやりたいこと、今やっていることが強く繋がっているからやっているだけなんです。地域との連携にしても、別にやらなくてもいいんです、今までずっとやってきているわけではないですから。でも、うちの大学にとって、学部にとって大事だな、大学の使命のひとつだよな、と私自身が思うからやるわけです。
今やっていることは全部ではありませんが、多くは自分の意志に基づいています。義務というのではなくて、自分の役割と言った方がいいかもしれません。だから、それをやっているからといって柔道界から離れるとか、NPO法人柔道教育ソリダリティー(以下、NPO)や神奈川県体育協会から一歩引くとか、東京五輪招致運動を辞めるとか、そういう話ではありません。自分の中でプライオリティを決めて、時間の配分をしっかりしていかなくてはいけないと思っています。ただ、学部長に就任したということは、自分の中にひとつの大きな柱ができたことは間違いないことです。
そういうなかで大変ありがたいのが、私のやっているひとつひとつの仕事に、私と同じ志を持って、いろんなところを引き受けてくれる人がいること。学部長の仕事にしても、NPOの仕事にしても、マスコミ対応、県体協、柔道ルネッサンス、いろんなところで、そういう仲間が支えてくれている。どれひとつ取っても自分ひとりで動いているのではなくて、そういう仲間のサポートがあるからこそできているんです。

活き活きと生きる

山下泰裕氏自分として、今いちばん大事にしているのは「活き活きと生きる」ということ。「いきいき」のいきは「活」。活きのいい魚の「活き」です。
先日、ある講演会で「大事にされていることは何ですか」と質問され、「活き活きと生きることです」と答えたんですね。すると、「どういうときに活き活きと生きておられますか」と聞かれた。「いや〜、それは難しいですね。どういうときに活き活きと生きられませんかと聞かれるのは答えやすいけど、ほとんど毎日活き活きと生きているものですから」と答えたんです(笑)。すると「それは素晴らしい。でも、なかなかできないですよね。では、どうしたら活き活きと生きられますか」と聞かれた。私は少し考え、「まず、活き活きと生きたいと日々思うことでしょうね。そう思えばどうしたら活き活きと生きられるのかということを常に考えると思いますよ」と答えました。私としては、自分自身も活き活きと生きたいし、周りの人たちにも活き活きと生きてほしいんです。
それと人を育てるということも大切だし、簡単ではないなと感じています。厳しさだけでは人は育たないし、優しさだけでも育たない。頑張っていることを認めることも大事だし、間違っているところはビシッと厳しく言うことも大事。両方がないと、たいていの人は成長しないんじゃないですかね。それぞれが役割を担い、壁にぶつかったり、場面場面で様々な失敗をしながら、少しずつ分かっていくのだと思います。
でも、今こんなことを言っていても1、2年後には、「いや〜、なんか分かったつもりで話していたけど、何も分かっていなかったなぁ」と思うかもしれない。でも、そう素直に思える人間でありたいという気持ちもあるんです。振り返って、そう思えるということは、自分自身が成長したことだと思いますから。
もうひとつ大事なことは、みんないいところもあれば、足りないところもあると思うんですね。いろんな煩悩、欲望があったり、わがままなところがある。そんな自分を認めて、そして許して、しかし少しでも良くなりたい、昨日の自分よりも、半年前の自分よりも少しでも成長したい。そういう気持ちが大事だと思います。いくつになっても聖人君子になんかなれないですよ。なれないけど、人間として成長したい。少しでも人の役に立つ人間になりたい。それが大事なことじゃないですかね。

世界の柔道のため、年間100日を海外で

山下泰裕氏国際柔道連盟の教育コーチング理事の頃(04年〜07年)は、年間100日ぐらいは海外でした。しかも、全柔連の強化副委員長という立場での活動はほとんどせず、世界の柔道のために飛び回っていた。日本の柔道のために行ったのは、そのなかのほんの10日間ぐらいかもしれません。
国際柔道連盟の立場で行くこともあれば、日本の外務省からの依頼によるもの、あるいは国際交流基金とか、NPOの立場で行ったこともありました。逆に外国から来る人たちも東海大学で受け入れていましたから。それで言うと、その時期、かなりアクティブに行動していたんじゃないかと自分でも思いますね。
ただ、体はひとつしかないですから、自分一人で飛び回っていたらやれることもほんの少しになってしまう。だから、そういうニーズに応えながらいろんな教材を作って無償で配布したり、リサイクル柔道衣を贈ったり、あるいは指導者を派遣したり。国際オリン五輪ピック委員会や全日本柔道連盟をはじめ、いろんな組織の力を借り、資金的な協力を受けながらやっていくことを大事にしていました。私一人が300日使ったって、自分だけでやれることには限界があるし、そんなことをしていたら、いずれ倒れてしまう。それまでは、活動のための資金まで自分で集めようとしていましたから。
NPOを創ったのは、そういった柔道普及活動のための資金調達という一面もあるわけです。トヨタの奥田碩相談役と本を出版したりという活動をしていく中で、奥田さんの秘書の方から「山下さん、あなたがやられていることは素晴らしいと思うけど、どうも見ていると、あなたのエネルギーが本来やるべきことよりも、それをやるための資金集めのために使われてしまっている感じがする。小さくてもいいから広く、浅く、多くの人から協力してもらえるような組織を作ったらどうですか?」というふうに言われたんです。
それまではそんなことは考えたこともなかったんですね。それを聞いて、組織って何だろうとか、自分なりにいろいろと考えていくうちに、改めて、これは自分だけでやっていくには限界があるなと。それで、NPOを立ち上げようと思ったわけです。奥田さんご本人にも相談して、「ああ、いいじゃないか」ということで支援して頂いて、この組織ができあがりました。組織ができあがってすぐに、東建コーポレーションの左右田社長にもお話ししたら、「うちも協力しよう」ということでずっとこの活動に対してご理解を頂き、ご支援を頂いているわけです。

プーチン首相との交流

先日、プーチン氏がロシア語で書いた柔道の本が、英語版、フランス語版、イタリア語版、ドイツ語版ではできているけど、日本語版がないということで、ロシアの友人から、「プーチン首相の訪日に合わせて、これを日本語版で出版してほしい、NPOで協力してくれないか」という話があった。それで、来日に合わせて出版し記念パーティを行なったところ、首相はモンゴルに行くスケジュールを1日延ばしてまで出席して下さった。外交スケジュールを変えることは普通では考えられないことなんですが、それがプーチンさんの柔道に対する思いだと思うんです。
私がプーチンさんと初めてお会いしたのは2000年の9月。プーチンさんが大統領になって初めて日本に来られ、森喜郎元総理と首脳会談をやられたときでした。日本滞在中に半日時間があり、たいていの大統領はそういったときには日本の先端企業の技術力を見たいと言うらしいのですが、プーチンさんは「ぜひ講道館に行きたい」と言って、実際に講道館に来られた。そのときに、お出迎えをしたのが最初でした。

素晴らしい柔道家、プーチン

山下泰裕氏スケジュール的に厳しかったこともあり、できれば首相には柔道衣を着てほしくない、勧めないで下さい、と外務省から言われていたのですが、エレベーターで上がってこられたとき、プーチンさんはご自分で柔道衣を抱えていて、来客室にご案内したらすぐに「どこで着替えたらいいかな」と(笑)。さらにプーチンさんは「講道館に来ると、我が家に帰ってきたような気がする。それは私だけじゃない。世界中の柔道家にとってそうだ。同じ気持ちだ。なぜなら世界中の柔道家にとって講道館は、大事なふるさとだからだ。隣に座っている森さん(元総理大臣)は柔道じゃなくて、どうもボールゲームが好きみたいだ」とおっしゃった。そして、「今日のゲストは私じゃない。私は同じ仲間だ。今日のゲストは森さんだろう」とまで言うわけですよ。これを聞いて、さすが一流の人は、人を惹き付ける話をされるなぁと痛感しましたね。
さらに衝撃が走ったのは、柔道のデモンストレーションをご自分でやられたあと、嘉納行光館長が6段の証書を差し上げたとき。証書は喜んで受け取ったのですが、6段の紅白の帯を差し上げて「良かったらその黒帯をはずして、この帯を締めて下さい」というと、プーチンさんはそれを断った。一瞬「なぜ?」という雰囲気が流れて、サービス精神がないなぁ、ほどいて紅白の帯に替えればいいのにと思った瞬間に、「私は柔道家です。この6段の重みがよく分かります。私はまだ残念ながらそのレベルではありません。ロシアに帰ってもっと練習を積んで、早くこの帯に相応しい柔道家になりたい」と仰った。これを聞いて、本当に素晴らしい柔道家だなぁと魅せられましたね。
2005年11月に井上康生を連れ、去年の5月には藤猪(省太)先生、柏崎(克彦)先生、森脇(保彦)先生ら、日本が不出場だった幻のモスクワ五輪(柔道)(関連リンクメンバーでロシアに行きましたが、首相になったばかりで一番忙しいプーチンさんがわざわざ私たちのために、迎賓館で晩餐会を開いてくれた。みんなすっかりプーチン信者ですよ。でもそれは単に一緒に食事をしたからじゃなくて、柔道に対する思い、柔道に対する正しい認識、日本に対する思い、そしてその語り方。そういうところすべてを見て、その人柄に魅せられ、惹かれたからなんです。

柔道家として大事なこと

われわれ柔道家にとって大事なことは、柔道を通して体得したもの、学んだものをいかに人生で活かしていくかだと思うんですね。プーチン首相にしても柔道で学んだことを土台にして、人生の素晴らしい実を実らせて、素晴らしい活動をされている。柔道でチャンピオンになればいいというものではない。たとえチャンピオンになれたとしても、それをいかにその後の人生に活かしていくか。そして、チャンピオンになれなかったとしても、それをいくらでも人生の中で活かしていく方法がある。だから「道」と付いているんですよね。そこのところを、柔道家はみんな大事にしてほしい。柔道だけじゃなくて「道」が付くものを大事にしている人たち、やっている人たち、あるいはスポーツマンはそういうものを、もっと大事にしてほしいですね。

柔道教育ソリダリティー

日本の心、柔道を世界へ伝えるため、柔道を通じた文化交流、異文化理解のため、そして青少年の育成を目的に立ち上げたNPOは、たくさんの人たちに協力して頂きながら、いろいろな活動をしています。
最近の大きな活動としては、外務省の草の根文化無償資金と協力しながら、南京に日中友好柔道会館を、来年3月ぐらいを目処に開館するのがひとつ。それから、来年、私と井上康生がイスラエルとパレスチナの中間点に行って、柔道教室を行なう予定です。そこで、たぶん私が、柔道の和の心、自他共栄の精神について話をします。それから、NPOが中心になって、パレスチナ、イスラエルの子どもたちを日本に招待して、日本の子どもたちとの交流を図りたいと思っています。
もうひとつ、富田常男の小説『姿三四郎』を英語で翻訳して世界の国々に配ったり、世界の図書館に寄贈するという活動を進めています。
もちろん、リサイクル柔道衣を贈ったり、外国からの指導者を受け入れたりという活動はずっと続けています。日中友好柔道会館にしても、箱物を作ればいいというものではなく、そこで日本の心を理解してもらうこと、正しい柔道を伝えることが目的なので、指導される方々を呼んで研修をするとか。NPO設立の目的や主旨をよく踏まえて活動したいと思っています。
いろんな方に支えて頂いて、参加して頂いて、自分自身が頭で描いていたよりも、はるかに大きな役割を果たしてこれたのではないかと思っています。

松前重義前総長の教え

山下泰裕氏東海大学の創設者である、松前重義前総長は、私に常々こう仰っていました。「単に試合で勝つだけではなく、日本で生まれ育った柔道を通して、世界の若人と友好親善を深めなさい。さらにそれだけでなく、スポーツを通して世界平和に貢献できる人間になってほしい」。松前前総長はそういう思いで私を応援してくれていたのです。
松前前総長の仰っていたことは、まさしく嘉納治五郎先生が提唱してきた自他共栄の精神です。私はできる限り、それを実現していきたいと考えています。
いろいろな国を訪れて感じることは、日本というのは我々が思っている程、世界では理解されていませんし、日本に対する認識はそんなにあるわけではありません。経済的には大国だと言われていますが、日本というのは資源のない国ですから、もっと世界との交流を盛んにし、お互いに相手を理解しあう、共存共栄の道を図っていくことが大事だと感じています。私にできるのは柔道ですから、柔道という切り口で、自分のできることをやっていきたい。柔道がスポーツになり、スポーツがスポーツを含んだ文化になり、そして経済とか学術とか様々な分野で世界の人々と交流していく。そうすることが、日本が世界において、なくてはならない国、信頼できる国になるために不可欠なのかなと思います。

周りがどう思うかは関係なかった

山下泰裕氏現役時代の思い出?私はあまり過去を振り返ることはないのですが、強いて言うなら、大会としては3つあります。それは、初めて日本一になった全日本選手権。ロサンゼルス五輪(柔道)。そして、現役最後の全日本選手権です。瞬間としては、ひとつは全日本選手権で初めて優勝して白石礼介先生、猪熊功先生、佐藤宣践先生の胸に飛び込んでいった瞬間、もうひとつはロスの五輪で優勝して、日の丸を仰ぎ見ながら「君が代」を歌っている瞬間、この2つです。
現役時代、勝つことが当たり前と言われることへのプレッシャーというのは、あまりなかったです。逆に相手が「俺は負けて当然で、かないっこないよ。山下しかいないよ」と諦めてくれたらこんなに楽なことはなかった。でも、周りの人がどう思うかは、私にはあまり関係なかったです。自分がどう思うかの問題ですから。
ロスの五輪でも「山下さん、負けられないから大変ですね」と言われましたけど、「バカ言うんじゃないよ、勝つってそんなに簡単なもんじゃないんだよ。負けられないんじゃない、勝たなきゃいけないんじゃない、俺が一番勝ちたいんだ」というのが、そのときの気持ちでしたね。私自身が受け身は嫌なんですよ。そのときに自分がどう思うかですよ。

大会成績

全日本柔道選手権大会
(1977年〜85年)
  • 1977〜85年 … 優勝
ロサンゼルス五輪(柔道)
(1984年・無差別級)
  • 1984年 … 無差別級 優勝
世界柔道選手権大会
(1979年・1981年・1983年)
  • 1979年 … 95kg超級 優勝
  • 1981年 … 95kg超級/無差別級 優勝
  • 1983年 … 95kg超級 優勝

現役引退で、気が楽に

そう言いながらも、現役引退を発表したその日、実はすごい気が楽になったんです。ちょんと飛び上がったら3mぐらい上がりそうなくらい(笑)。そんな身軽さだった。背負っているときには分からなかったけどやはりプレッシャーがあったんですね。そのときには「いいな、こんな気軽な身もいいよな。でも、またいつか、再びそういうものを背負える人間になりたいな」というのが率直な感想でした。周りの期待というのは重荷ではあったけど、やり甲斐であり、自分の誇り、プライドでもあったわけです。ちなみに、全日本の監督を辞めたときは2mぐらいでしたね(笑)。

勝ち続けることができた理由

山下泰裕氏私が、どうして勝ち続けること(203連勝)ができたかというと、それは、過去を振り返らなかったからだと思います。現役時代は、自分の考える理想の柔道と比べ、決して満足できるものではなく、「俺はこんなもんじゃないはずだ」といつも思いながら、上を向いて、前を向いて頑張った。
で、現役を辞めて初めて自分が登ってきた道を振り返ったわけです。そしたらね、びっくりした。「わ〜、俺、こんなに頑張ったのか、すげえなぁ」と。ただ、理想の山の頂点を目指してやってきて、「こんなもんじゃいかん、こんなもんじゃいかん」と頑張ってきた結果が203連勝、全日本選手権9連覇、五輪優勝だった。登山と一緒ですよ。これがもし途中で、「ちょっとひと息つこうかとか、どれぐらい登ったか下を見て、おぉ、なかなかじゃん、俺もやるじゃない」なんて言ってほっとひと息ついていたら、きっと最後まで登れなかっただろうと思います。

過去は変えられないけど、未来は変えられる

現役時代も今も同じですよ。今はまた違う山に登っているので、途中で下を見たりしません。私がいつも「過去は振り返らない」と言っているのはそういうわけです。
でも、自分に対するご褒美、自分で自分を誉めてあげることは大事だと思います。ただひとつ言えることは、過去は忘れているようでも、それは頭の中に残っているんですよ、潜在意識で。自分が何か大事な決断や判断を下すときには、必ずそういうのが甦ってくる。過去のマイナスな面を引きずって生きても何もない。過去は変えられないけど、未来は変えられる。今、頑張れば未来は変わっていくわけです。そして、これからの人間が、過去の自分の成果に満足したり、あぐらをかいたりして、これでいいだろうと思ったら、それは堕落の始まりだと、私は思っています。

※このインタビューは、2009年6月5日に行なわれたものです。


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