「山部佳苗」著名な柔道選手インタビュー

  

山部佳苗

国内外問わず数々の大会で優勝し、リオデジャネイロ五輪(柔道)女子78kg超級では銅メダルを獲得した山部佳苗選手。
リオデジャネイロ五輪(柔道)に関するエピソードや、支えてくれた恩師・コーチへの思いを語って下さいました。

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父と兄の影響で柔道を始めた幼少期

父と兄の影響で柔道を始めた幼少期

父と兄が柔道をやっており、その影響を受けて6歳から柔道を始めました。ピアノや水泳も習っていましたが、その中でも柔道を続けることを選びましたね。「人を投げる」ということが好きだったのだと思います。

父は柔道七段の有段者だったので、幼い頃から技の入るタイミングなどをよく教えてくれました。札幌市の厚別区体育館柔道クラブに通い始めてからは前転や側転などの基礎的な稽古をするようになり、それに加えて「勝負とはなにか」、「試合では勝負に徹さなければならない」といった、試合に対する意識についても教わりました。

でも、私はあまり先生の言うことを聞く方ではなかったですね。当時の先生方はきっと、苦労しながら指導方法を考えてくれていたのだろうと思います。

折れた心を支えてくれた恩師の言葉

折れた心を支えてくれた恩師の言葉

旭川大学高校 3年生のときに、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)五輪(柔道)大会(以下、インターハイ)で3回戦敗退を経験し、「もう柔道を辞めようかな」と考えたことがありました。2年生のときに3位に入賞していたので、「今年こそは優勝だ」という思いがあり、私なりに色々と作戦を考えて臨んだのですが、全く結果が出なかったことで「もう柔道は嫌だな」と思ってしまったのです。

そのときに、「まだまだできる、お前の実力はこんなもんじゃないよ」と背中を押してくれたのが柔道部の村瀬秀行監督でした。「大学に進学して柔道をやってみたら良い」というアドバイスも頂き、「インターハイだけがすべてではない」と、そう思えるようになったのです。

もしもインターハイの結果を酷く叱責したり、「お前なんかもう無理だよ」と言ったりするような監督のもとにいたら、ここまで柔道を続けていなかったかもしれないですね。

大学時代の印象的な大会

大学時代の印象的な大会

山梨学院大学に進学してからは、2009年の全日本ジュニア柔道体重別選手権大会や、2010年の全日本学生柔道優勝大会で優勝など結果が出るようになりました。

ですがそれよりも一番印象に残っている大会は、2012年の全日本学生柔道優勝大会の団体戦ですね。その年、私はキャプテンだったのですが、チームを優勝に導くことができなかったことを今でも後悔しています。

私がもっとチームをまとめられたら良かったと思いますし、私自身が勝負どころであまり前に出られなかったことも敗因のひとつでしたね。

社会人としての覚悟

社会人としての覚悟

大学卒業後はミキハウスに入社し、社会人となりました。

「会社に入社させて頂くということは、世界を目指して戦わなければいけないということだ」という、学生時代とは違った覚悟が生まれましたね。しっかりと上を目指さなければいけないという思いは常にありました。

そのような思いが、2014年のヨーロッパオープン・ローマ優勝、オール一本勝ちでの柔道グランドスラム・チュメニ優勝という結果に繋がったのだと思います。

薪谷翠コーチの存在

薪谷翠コーチの存在

ミキハウス柔道部の薪谷翠コーチは、私にとってとても大きな存在です。 薪谷コーチがいなかったら、今回のリオデジャネイロ五輪(柔道)への出場もなかったと思います。技術面はもちろん、勝負に対する姿勢や執着心など、私に足りない部分をしっかりと学ばせて頂きましたね。

薪谷コーチはリオデジャネイロ五輪(柔道)のような国際五輪(柔道)に出場したことがないとのことだったので、「絶対にリオデジャネイロ五輪(柔道)に出場して、あの会場を一緒に歩きたい」という思いが自分の中にありました。

初心に帰って目指したリオデジャネイロ五輪(柔道)

初心に帰って目指したリオデジャネイロ五輪(柔道)

リオデジャネイロ五輪(柔道)までは、「目の前のやるべきことをやっていこう」という気持ちで、上を見すぎないように過ごしていたと思います。

2016年2月の柔道グランドスラム・パリで初戦敗退。ここでどん底を味わってから、「やるべきことをやって目の前の試合に勝つ」という初心に帰ることができました。

支えてくれた人達への感謝の気持ち

支えてくれた人達への感謝の気持ち

リオデジャネイロ五輪(柔道)の舞台に立つまではとても苦しい日々を送っていましたし、「代表入りは難しいのではないか」と思うこともありました。 そんな私を、会社の方々やコーチは本当にしっかりと支えてくれました。だからリオデジャネイロ五輪(柔道)の畳に上がるときは、その方々への感謝の気持ちで胸がいっぱいになりましたね。

「一本を取る柔道をしたい」という思いはありましたが、試合中は「たとえ一本が取れなくてもとにかく勝って次に繋げたい」という一心で戦っていました。

準決勝での敗北

準決勝での敗北

リオデジャネイロ五輪(柔道)が始まり、初戦と3回戦は順調に勝ち進みましたが、準決勝でロンドン五輪(柔道)金メダリストのイダリス・オルティス選手(キューバ)に敗れてしまいました。負けた瞬間は、「やってしまった」という心境でしたね。2016年5月に対戦した柔道グランドスラム・バクーでは私が勝利していたので、オルティス選手はこちらの戦い方をかなり研究したのだろうなと思います。

試合の途中、指導で追いついたので「ここが勝負だ」と思い向かっていったのですが、それでも勝つことはできませんでした。オルティス選手からはこれまでに見たことがない程の必死さが伝わってきましたし、相手の方が一枚上手だったということなのだと思います。

必死で掴み取った銅メダル

必死で掴み取った銅メダル

準決勝までは指導を先に取られてしまう試合が続いていて、「私らしい柔道ができていない」という感覚がありました。だから3位決定戦は、最初から勢い良く攻める試合をしようと思っていました。

開始23秒で大外刈りを掛けて技ありを取ったところまでは良かったのですが、試合と試合の間隔が短かったこともあり、徐々に体力の限界を感じ始めました。それでも「メダルを獲るのと獲らないのでは全く違う」という思いで、必死に戦いましたね。

メダル獲得が決まった瞬間は「リオデジャネイロ五輪(柔道)が終わったんだな」という思いと、「とりあえずこの4分間の試合が終わった」という安堵感がありました。

道民栄誉賞を受賞

道民栄誉賞を受賞

リオデジャネイロ五輪(柔道)後に、札幌市長から道民栄誉賞を頂きました。受賞が決まったときは、「このような名誉ある賞を私が頂いて良いのかな」という不思議な気持ちになりましたね。

大変光栄な賞を頂いたことを、とても嬉しく思っています。

東京五輪(柔道)に対する思い

支えてくれた人達への感謝の気持ち

ロンドン五輪(柔道)からリオデジャネイロ五輪(柔道)までの4年間は、私にとってとても苦しく辛いものでした。そしてここから東京五輪(柔道)までの4年間は、それ以上に苦しい期間になるのだろうと感じています。

4年間で私がどう変わるかは分かりませんが、その苦しさを乗り越える覚悟ができたときに、「2020年の東京を目指します」と言えたら良いなと思っています。

 

インタビュー:2016年9月

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東建グループがお届けする柔道情報サイト「柔道チャンネル」では、リオデジャネイロ五輪(柔道)を終えた選手・監督のインタビューを一挙公開!今回は、リオデジャネイロ五輪(柔道)女子78kg超級で銅メダルを獲得した山部佳苗選手にお話を伺いました。高校時代、 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会での敗北を経験し柔道を辞めようと思ったという山部佳苗選手。しかし恩師である村瀬秀行監督に救われ、山梨学院大学柔道部に入部。大学時代には全日本学生柔道優勝大会や、全日本ジュニアで優勝を飾りました。社会人になってからも、選抜体重別選手権や柔道グランドスラム・チュメニなど、数々の大会で輝かしい成績を残している山部佳苗選手。そんな山部佳苗選手が、苦しみながらも出場を果たしたリオデジャネイロ五輪(柔道)でのエピソードや、支えとなっている薪谷翠コーチへの思いなどを語って下さいました。
柔道好き必見の、山部佳苗選手インタビュー。ぜひお楽しみ下さい。

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