「ウルフアロン」著名な柔道選手インタビュー

  

ウルフアロン

2017年ブダペスト世界柔道選手権大会(男子100kg級)で金メダルを獲得したウルフアロン選手。6歳から柔道を始め、東海大学付属浦安高校、東海大学と進み、現在は了徳寺学園に所属しています。東海大学柔道部のコーチ(男子)としても活躍している、ウルフアロン選手の柔道人生についてインタビューしました。

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柔道を始めたきっかけ

柔道を始めたきっかけ

柔道は6歳のときに私の母方の祖父に勧められて講道館の春日柔道クラブに行き始めたのがきっかけです。柔道を始めてから水泳も少しやっていましたが、練習が大変で、結局水泳は辞めてしまいました。

小学生の頃の柔道は、基本的な練習や礼儀作法を中心に学びましたね。特別な稽古などはしておらず、基礎となる部分を伸ばす練習をしていました。

中学校は、文京区立第一中学校に進学。中学時代は柔道よりも勉強を頑張っていて、学年で上から3番目の成績を取れるくらいでした。一方の柔道は、勉強を優先するあまり試験の1週間前などには練習を休んでしまうことも多く、都大会に出場しても2回戦止まり。この頃の自分は柔道にしっかり取り組んでいなかったと思います。

その結果、この時期は年下にも練習で負けるようになってしまいました。プライドが高く、年下に負けるということが悔しかった私は、このことがきっかけで、中学2年生の終わり頃から自主的にトレーニングを開始。再び柔道にしっかり取り組むようになりました。この出来事がなければ、柔道に本気で取り組もうと思うことは多分なかったと思います。

柔道に最適な場所を求めて千葉へ

柔道に最適な場所を求めて千葉へ

私は東京都出身なので、ずっと都大会に出場していましたが、やはり都大会はレベルが高く全国大会に一度も出場ができませんでした。

それから環境を変え、千葉県東海大学付属浦安高校(以下、浦安高校)に進学。

浦安高校の練習は、「やらされる」というよりも「自分で考えてできる」内容だと聞いていたので将来を考えたときに、柔道選手として強くなれるのではないかと感じて、入学を決めました。

高校に入ってからは、柔道の練習以外にも早朝にランニングをしたり、練習が終わった後はトレーニングを重点的に行なったりしていました。「柔道だけ」と心に決めていたので勉強の方は全然だめでしたね。

しかし、そのおかげで高校1年生の全国高等学校柔道選手権大会(以下、高校選手権)では、団体戦優勝。個人戦無差別級でも準優勝することができました。その後も高校三冠や全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会(以下、インターハイ)個人戦・100kg超級優勝と団体・個人と様々な大会で結果を残すことができました。

リベンジをするべく階級を変更

リベンジをするべく階級を変更

高校時代はたくさんの大会で優勝することができました。その中でも印象に残っている大会は高校2年生の終わりにあった2013年の高校選手権の個人戦と同年にあったインターハイの個人戦です。

私は100kg級の選手でしたが、高校選手権の男子個人戦は無差別級に出場。順調に勝ち進んでいたのですが準決勝で100kg超級の佐藤和哉選手に大内刈りを返されて敗退し、3位入賞という結果に。ちなみに佐藤選手は優勝しました。大会が終わってからも「佐藤選手に負けたまま終わりたくない」という悔しい思いだけが強く残ったので、8月のインターハイは100kg超級で出場して佐藤選手に勝利すると決意しました。

そして、階級をひとつ上げて臨んだインターハイ・個人戦男子100kg超級の準々決勝で再戦。あのとき決まらなかった大内刈りで投げて勝つことができたのでとても嬉しかったですね。

大きな怪我を経験した大学時代

大きな怪我を経験した大学時代

私は、押し付けられて練習をやるよりも自分で考えて練習をする方が強くなれると考えていたので、練習やトレーニングの時間を多く取ることができる東海大学への進学を決めました。

東海大学の練習では、自主的に練習している人が多かったですね。この自主的というのは強くなるためには当たり前のことなのですが、やる人は伸びる、やらない人は伸びません。強い選手・実力がある選手で、やらされる練習をやっている人は1人もおらず、考えて柔道をしないと上には行けません。

大学1年生のときは勢いがあって、いろいろな試合で勝っていましたが、大学2年生のときに団体戦の代表戦で違う階級の選手に敗退。これはとても辛い経験でしたが、この敗北から学ぶことも多く、それからは国内外の試合で結果を残せるようになり、柔道グランプリ・ウランバートルでIJFワールド柔道ツアーで初優勝を飾ってからは、講道館杯全日本柔道体重別選手権大会や全日本選抜柔道体重別選手権大会でも優勝できるようになりました。

大学4年生のときには、ブダペスト世界柔道選手権大会に出場。リオデジャネイロ五輪(柔道)のメダリスト・ガシモフ(アゼルバイジャン)選手とリパルテリアニ(ジョージア)選手、世界ランキング1位のコレル(オランダ)選手という世界の強豪選手に勝利、優勝することができました。

試合の結果などを見れば分かるのですが、私は延長戦に入ってから試合が決まるという形での勝利が多く、短時間で外国人選手を力でねじ伏せて勝利するといった試合をできる力はないと感じていました。なので、粘り強さを鍛えるために、練習の前にはランニングや、スタミナ重視のトレーニングをしていましたね。

2017年の末頃には左胸を怪我。そこまで大きな怪我ではなかったものの、大事にしたくないと思い柔道グランドスラム・東京は欠場。2018年の柔道グランドスラム・パリも、左膝を怪我してしまい出場は見送り。なかなか本調子に戻るまでには時間を要しました。

膝の怪我は、半月板の負傷で1ヵ月間歩くことすらできませんでしたね。怪我の期間は松葉杖をついて歩く練習、負荷のないトレーニング、スクワットの重量をどんどん上げていき、徐々にもとの身体の状態に戻していきました。

また、注意を怠った結果起きた怪我だったので、今は集中力が切れてきたら練習ではなくアップやトレーニングなどをするようにしています。もう膝の痛みや違和感というのはほぼないのですが、やはり自分の中で少し怖いなという部分があるので、徐々に消していかなくてはいけませんね。

社会人になって、柔道が「趣味」から「仕事」に

社会人になって、柔道が「趣味」から「仕事」に

大学を卒業して2018年度からは了徳寺学園の職員として働いています。今までの私の柔道は、簡単に言えば「趣味」という範囲でしたが、社会人になって「仕事」になり、気持ちも大きく変わりました。

また東海大学のコーチもやっており、「生徒」という立場から「教える側」にもなって、ひとつひとつの行動など、責任感を持って人のお手本になるようなことをしなくてはいけないなと思っています。

怪我から復帰したあとは、試合慣れをするため、感覚を取り戻すために復帰戦として2018年6月に全日本実業柔道団体対抗大会に出場しました。オール一本勝ちでチームの優勝に貢献できたかなと思います。

現在取り組んでいることとしては、今までよりもさらにスタミナを付けるように努力をしているということ。また昨年はやはり大内刈りで決めている試合が多くて、外国人選手にもその対策をされてきているので、技の幅を広げています。

組手はどうしても外国人選手が嫌って持たせてくれないので、そういうところの研究も多くしていますね。

東京五輪(柔道)について

東京五輪(柔道)について

2年後の東京五輪(柔道)も2018年からポイントが加算されていくので、大きな大会で優勝をして弾みを付けなくてはいけないなと思います。

東京五輪(柔道)までは、あと2年しかありません。目標はもちろん東京五輪(柔道)の金メダルですが、これからの男子100kg級の代表争いもかなり激しいものになっていくと思うので、やり残したことはないと言えるように、しっかりと準備をしていきます。

インタビュー:2018年10月

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東海大学卒業後、了徳寺学園に所属し、男子柔道100kg級で活躍しているウルフアロン選手のインタビュー記事です。2017年ブダペスト世界柔道選手権大会(男子100kg級)で金メダルを獲得するなど、国内外で様々な功績を残してきたウルフ選手。相次ぐ負傷により柔道グランドスラム・東京、柔道グランドスラム・パリには惜しくも参加できませんでしたが、復帰後は変わらない強さを見せてくれました。そんなウルフ選手が柔道を始めたきっかけから今後についてまで、ウルフ選手の柔道人生について詳しくインタビュー致しましたので、ぜひご覧下さい。

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