「上村春樹」著名な柔道家インタビュー

上村春樹新講道館長&全日本柔道連盟会長インタビュー

講道館長、全日本柔道連盟会長に就任した上村春樹氏に、柔道界の現状と今後、そして、ご自身の選手時代、監督時代の話など、幅広くお聞きしました。

上村春樹氏

プロフィール

  • 生年月日:1951年2月14日 出身地:熊本県宇城市 身 長:174cm
  • 主な戦歴

    • 1973年 | 世界柔道選手権大会(スイス:ローザンヌ) 無差別級 2位
       | 全日本柔道選手権大会 優勝
      1975年 | 世界柔道選手権大会(オーストリア:ウィーン) 無差別級 優勝
       | 全日本柔道選手権大会 優勝
      1976年 | モントリオール五輪(柔道) 無差別級 優勝
       | 全日本柔道選手権大会 3位
      1978年 | 嘉納治五郎杯国際柔道選手権大会 95kg超級 2位
      1979年 | 全日本柔道選手権大会 3位

講道館長、全日本柔道連盟会長として

講道館長・全日本柔道連盟会長になった今、何をやらなければいけないのか、自分に何を求められているのかと。私たちが後世に正しい柔道を伝えるためには何をしなければいけないのかということについて、今まで考えてきたことを整理して、その上で何をするかを決め、取り組んでいきたいと思っています。

世界に広まった『柔道』

127年前に嘉納治五郎師範により創始された柔道は、いまや世界中に広まり、現在199の国や地域が国際柔道連盟に加入するまでになりました。IOC(国際オリンピック委員会)が205の国や地域、FIFA(国際サッカー連盟)が208の国や地域の加盟数ですから、まだ100年ちょっとしか経っていない柔道がここまで広まっていることはすごいことだと思います。
そして、柔道はそれぞれの国が、その国に合った形、あるいはその国民性に合った柔道というのを作り上げてきました。その国に古来から伝わる格闘技の技術を柔道にミックスしたり、体の大きいところは体の大きい者に合ったような柔道が作られています。これについて、漢字の「柔道」と横文字の「JUDO」は違うというような表現をされることがありますが、私は一緒だと考えています。私たちは「JUDO」も全部受け止めて、同じ「柔道」として今後取り組んでいかないと、逆に、変な形になっていってしまうと思うのです。

今、私たちがすべきこととは?

上村春樹氏

柔道の目的は「己を完成し世を補益する」こと。つまり、柔道の修業を通じて、世の中のためになるような人になりなさい、ということです。教育としての柔道は、これからも地道な活動をしていかないといけないと考えています。
かたや、競技としての柔道も、もっとエキサイティングで面白いものにしていかなければならないと考えております。教育としての柔道と競技としての柔道が別かというと、決してそうではありません。
人によっては五輪チャンピオンになりたい、人によっては道場で自分の技を磨きたい。このように目的は様々でも、気持ちは一緒だと思うのです。これが融合したものを作っていかなければいけないと思っています。

国際ルールの改訂

五輪などの際には、ルールのことが話題になることが多いですが、国際柔道において、私は以前から、ルールが行きつくところまで行ったら、必ず帰ってくるという考えをずっと持っていました。なぜかというと、競技そのものが面白くなくなるからです。ルールをあまりにも細分化したり、足取りやタックルみたいな、技とは言えないようなものが増えてきて、面白くなくなってきた。そこで「効果」は廃止し、そして下穿(ズボン)をいきなり持つことや極端に腰を曲げた姿勢などをやめさせるルールが作られました。それによって正しく組むようになってきました。
2月の『グランドスラム・パリ大会』も見てきましたが、いきなり足を取ったり、腰を曲げて組まさないような姿勢をとる選手が非常に少なくなってきている。だんだんいい方向に向かうという印象を受けました。
そういった世界的な流れを作るためにも、私たちは「正しく組んで、理にかなった技で一本を取る柔道」を目指していきたいと思っています。

ダメージが伴わなければ「一本」ではない!

柔道は、なんでもかんでも、ただ倒せばいいというものではありません。背中をついたら「一本」だと思われていますが、本来「一本」は背中をつくだけではなく、ダメージが伴わないと「一本」とは言わない。そのダメージを少なくするために受身があるわけです。
この前、ヨーロッパで議論した中で、「上村、柔道はもう日本だけの文化ではない」と言われました。そのときに私は「そうだ。柔道は日本だけのものではない。世界に根づいた柔道という文化なんだ」と答えました。よって今後も柔道を正しい方向に向かわせるように、私たちは協力して作っていかなくてはならないと思うのです。
こだわりを持って、柔道という文化を後世に正しく伝えていくことが私たちに与えられた仕事だと思います。今後も国際柔道連盟の人たちと議論していきます。

上村春樹氏

柔道の持つ、教育的な要素

少子化で子供たちが少なくなり、サッカー、野球、バレーボールをはじめ子供たちのやるスポーツも多様化してきている中、どのように柔道を広め、発展させていくかは今後の大きな課題です。昔はいくつかの限られたスポーツに集中していたので、子供たちも継続してやってくれましたが、今はそういう面ではだんだん厳しくなってきています。今後の柔道の発展のためには、柔道の良さ、柔道の持つ、人を育てる教育的な要素というものをさらに強くしていかなければいけないと考えています。
五輪種目で相手の首を絞めてもいい競技は柔道だけです。そういう危険な要素のあるスポーツを、大会として試合として、成り立たせるためには、きちんとした礼をする必要があるし、相手を思う気持ち、相手に感謝する気持ちがなくてはいけない。
礼というものの重要性もきちんとさせていきたいと思っています。その中で、一生懸命努力すること、あるいは我慢して続ける忍耐力とか、あるいは毎日やる継続の大切さとか、そういうことを感じて人は成長していくと思いますので、そういう指導法を、体系的に作り上げていかなければいけないと考えています。

競技としての柔道。指導者の重要性

柔道の、競技としての面白さも、さらに追求していかなければならないと考えています。柔道は、競技として何が面白いのか、「一本」を取る姿というのは皆一番あこがれると思います。最近では井上康生とか谷亮子、谷本歩実が五輪などでみんなの注目を集めるのは、やはり「一本」を取る選手だから。そういう意味でも、正しく組んで「一本」を取れる選手作りをやっていかなければいけない。そのために一番大切なことは、指導者の養成だと思います。多くの子供たちに柔道をやってもらうためには、まず指導者がきちんとした指導をできなくてはいけない。日本にはいい指導者がたくさんいらっしゃる。寝食を忘れて、自分の生活をかけて子供たちの育成をしておられる方たちがたくさんおられる。そうした人たちは素晴らしい技術、そして知識や理論的な考えもお持ちなのに、そういった情報が共有できていません。

昔は、見て覚えろ、投げられて覚えろと言われてきたけれども、今は、世の中が少しずつ変わってきて、テレビやビデオなど情報を得る手段が多様化し、継続して見たり、身近で見ることができる。ただ、それでも子供の成長を大きく左右するのは、自分の身近にいる指導者がどんな指導をするかです。ですから、今後、そういう指導者の研修の場を作り、講習会だけではなくて、一緒になっていろんなものを見たり聞いたりして、そこでディスカッションしながら、高めていくということが重要になってくると思います。


これからの全日本柔道連盟

上村春樹氏

競技としてトップを目指すためにはいろんなことが必要になります。例えば柔道人口、まずは、柔道をやる子供たちを増やさなければいけない、では、どうすればいいのか。もちろんそれは全日本柔道連盟(以下、全柔連)だけではできないことです。全柔連は大会運営をきちんとやったり、世界と戦って勝てる選手作りが優先事項であることは確かで、そうでなかったら、存在意義がなくなってしまう。競技団体は強くないといけないし、強いだけではなくて五輪で金メダルを取ることのできる、いい選手を育成し続けなければなりません。
それには底辺拡大が必要であり、そのためのシステム作りをいろいろなところと共同で行なっていかなければならない。これは今までも行なわれてきたことではあるのですが、同じことをあちこちでやっていたので少し整理したい。柔道界の将来を大きく左右する問題ですから、全柔連でやるところは全柔連でやるし、講道館でやるところは講道館でやる。しっかりと協力する体制をとって相乗効果の上がる方法で進めていきたいと考えています。

柔道界独自の体制作りと人作り

講道館長、全柔連会長としての私の大きな仕事のひとつとして、いろんなポジションで活躍できる人材を作ることがあります。国際柔道連盟の役員たちを見ると、ほとんどが専業で国から給料をもらっている。日本でもスポーツ庁を作るという構想がありますが、それを待っていたら、いつになるか分からないので、柔道界独自の体制作りはやらなければならない。
すぐにできるとは思えませんが、地道にやって、私の時代にできなかったら次の時代にできるよう進めていきたいと思っています。

「理にかなった技で、一本を取る柔道」

先日の少年大会を見ていても、指導者が「(相手に道衣を)持たすな持たすな、切れ切れ、足を取れ」といった声援をしていました。確かに勝ち負けは重要。勝つことによって、自分がやってきたことが実証されて自信が持てるだろうし、負けた者はなんで負けたんだろうと反省して、次にまた向かう気持ちになる。
それは重要だと思いますが、勝てばいいというものではないし、勝ち方にも品格とか、ルールがあると思うのです。だから、私は「きちんと組んで、理にかなった技で一本を取る柔道。そして、きちんと礼法も守りなさい」と、ことあるごとに伝えていきたい。そういう意味でも指導者の養成はとても大切で、今後、指導者養成には力を入れていきたいと考えています。

人との出会い

今の私があるのは、非常にいい人たちとの出会いがあったからです。私は成長する過程でたくさんのいい出会いがありました。そこで出会った人たちに、「もうひとつ上を目指そう」と頑張る気持ちを作って頂いた。その結果が、全日本チャンピオン、五輪チャンピオンにつながったのです。

上村春樹氏

技を身につけるコツは、先生の技を盗むこと

まず、高校のときに出会った土谷新次先生。その人との出会いがなかったら、私は柔道をやらなかったかもしれない。先生には基礎を徹底的に叩き込んでもらいました。毎日500本くらい打ち込みをした。また、当時55〜56歳だった土谷先生が、毎日打ち込みを100本から200本受けてくれた。私は小さかったから最初は背負投をやっていたのですが、「俺は内股だったら誰にも負けない指導ができる」ということで、部員全員が内股をやるようになりました。
私も当時158センチしかなかったのに内股。そのときに基礎を作ってもらったのが、あとから思うと、ものすごく大きかったと思います。足払いと内股、高校時代はその二つしかできませんでした。寝技も何もできなかった。それで、大学に入り神永昭夫先生と出会い、世界を目指す目と、たくさん練習することの大切さを教えてもらった。また「世界を目指すのならお前の身長では、内股では限界がある」というアドバイスで担ぎ技に変えたわけです。
土谷先生が常々言っておられたのが、技を一番簡単に身に付けるコツは、自分の身近な人、先生の技を盗むことであると。それで、私は神永先生の体落、大内刈を真似しようと思って、1年間内股を封印し、体落と大内刈を必死に覚えました。

明治大から宮崎へ。環境の激変

明治大学に入ったときは、カルチャーショックでした。八代の田舎の、12〜13人しか部員がいないような弱小高校から来た自分にとって、周りはみんな強くて、一日に一回も投げることができないこともありました。OBの篠巻政利さん(昭和45年全日本チャンピオン)なんかも来ていて、畳にのめり込むくらい投げられた。とにかくはげしい指導を受け、ものすごい量の練習をした。それから旭化成に入って、宮崎に行った。
あとから考えると、よくぞあそこで宮崎を選んだと思います。自分をほめてやりたいと思うくらい(笑)。あんなに環境に恵まれていないところをよく選んだと。当時、東京か大阪にいなくては五輪、世界、全日本は取れないと言われていた時代に、あえて宮崎(延岡)に行って修業するわけですから。
行った理由は、ひとつは、生まれ故郷の熊本に近いこと。もうひとつは仲の良かった先輩が行っていたこと。それともうひとつはみんなに反対されたから。みんながあんなところに行ったらダメだとあんまり言うもんだから、だったら、そこに行ってやってやろうと思ったわけです(笑)。

吉松先生に教わった条件付き練習

延岡では、柔道の先生ではなくて、会社の人たち、職場の上司や同僚たちが私を育てるために、いろんなことをやってくれました。量ができないのは当たり前だけど、質を落とすなと。私が人の倍以上仕事に時間がかかるのを、じっと我慢して待ってくれた。そのときに上司に言われたのが本を読めということ。最初にもらった本は今も覚えています、糸川英夫さんの『逆転の発想』。それと、上の人たちがいろいろな人に会うチャンスを作ってくれた。当時、平社員の自分を、どこかの偉い方が来て会食するときなど、末席に連れて行ってくれて、話を聞かせてくれた。これはものすごく勉強になりました。
そこにたまたま吉松義彦先生が来た。吉松先生というのは、鹿児島にいて全日本チャンピオンになられた方なんですが、そのときに、先生から教えてもらった練習方法が、条件を付けた練習。「膝をついたら負け」というように、条件を付けて練習をしたというお話をお聞きし、私も「今日は大内刈しか掛けない」というように条件を付けた練習を始めたわけです。「大内刈しか掛けない」と言うと、みんな右足を引いてしまう。そうすると普通にしていたら技が掛からないわけです。それを、動いて相手の足を出させる、あるいはそういう状態でも入れるような研究をして、技の幅というのができあがっていったわけです。

柔道を外から見て気づいた技のコツ

上村春樹氏

あるとき、石河さんという当時の柔道部長に「上村、柔道を外から見てみたらどうだ」と言われた。「あまり柔道にどっぷりとつかってしまっているから、見えるものも見えなくなってしまっている」と。どうして急にそんなことを言われたのかは分かりませんでしたが1ヵ月近く考えて、ある日、道場にちょっと早く着いたときに、控え室でたまたまそこに貼ってあった技の系譜を見ているときにあることに気づいた。柔道の技はほとんどが前と後に投げるが、横に投げる技が極端に少ない。それを見て「これだ」と思いました。柔道の選手は横に崩したら弱いはずだと。横に投げる技を見つけようと。そのためには何が必要かといろいろ考えたわけです。

技を使いこなすコツ、技のポイントというのは力の抜き方で、力を抜かなかったら次の動作にもいけない。手首でも、なぜ手首を動かすのかというと、実は力を抜くためなんです。
普通の人は「手首を動かせ」というと、手の先を動かしている。手の先を動かすのは力を入れるコツで、力を抜くのは手首。これに気付くまでにものすごく時間がかかりました。


勝ちにラッキーはあるが負けにアンラッキーなし

そのときに、技というのは必ず掛かる、という発想を持ちました。掛からなかったとしたら、それはどこかが間違っているからだと。その間違いをどうやって直すか、それが当時の私の一番のテーマでした。
もしも東京にいたら、こんな考えにはいたらなかったと思います。練習相手が少ない延岡にいたから。練習相手は15人くらいしかいなくて、ほとんどの選手が五輪や世界選手権を目指すようなレベルではなかった。そのような状況だったからこそ、そういう発想をするようになったと思う。東京で、十分に練習相手がいる中で、毎日クタクタになるまで練習できていたら、たぶん、そこまでは考えなかったと思います。ライバルは東京でもっといい練習をしているんじゃないかと。常に自分に危機感があったからこそ、その考え方に行きついたわけです。
勝ちにも勝因はあるけど、勝ちにはたまにラッキーがある。畳の目につまずいて転んでも、「一本」は「一本」。戦わずして、相手が腹痛を起こして勝っても、勝ちは勝ち。でも、畳の目につまずいて負けたら、それは自分が歩き方を間違えたのかもしれないし、腹痛を起こしたとしたら、自分が前の日に悪いものを食べたのかもしれない。必ず原因があるはずだと。だから「勝ちにはラッキーがあるけど、負けにはアンラッキーなし」と。負けには必ず理由がある。どこかで間違えたのだと。そう考えるようになったわけです。

ソウル五輪(柔道)の大惨敗から学ぶ

監督として臨んだ1988年のソウル五輪(柔道)で大惨敗(金メダルが1個しか取れなかった)したとき、敗因の特定をしなかったら、日本はもう勝てないと思った。そこで、私たちはこれからどういう柔道を作らなければいけないのかと真剣に考えました。今までの慣例や常識さえも疑って。そして行きついたところが技に立脚した柔道。日本人の特性を活かした戦い方のできる柔道です。それは何か、身体のパワーとか、大きさで勝負したら、外国人に負けるのは当たり前だと。
だから、私たちは身体の小さい者、パワーのない、スピードがないのをどうやって武器にできるかを考えた。私も無差別の中では極端に小さかった(174センチ)。でも、私の武器はこの小ささであり、スピードのなさであり、力のなさだと。力がないしスピードもないけど、身体がやわらかい。だから、このやわらかさを武器にしよう、小さい小回りのいい戦い方をしようという発想をしたんです。

一番いいものを発揮して勝つのが柔道

柔道は、その選手が持っている一番いいものを発揮して勝てばいい。その一番いいものを発揮させるのが技であり、力もスピードも身体もない者は、技の組み合わせをいっぱい作らなくてはいけない。
力があって身体が大きい人は、それを最大限生かして勝てればいいと思います。それができていないのなら、まだ努力が足りないのかなと。もう少し考えてほしい。すべては考えること。まず自分を知ってほしいし、自分の武器は何かということを明確にしてほしい。結局はやった分しか出ませんから。
1万回で覚えた技と100万回やって覚えた技は自ずと違います。人が1万回で覚えた技を、自分が10万回やって覚えたのなら、だいたい追い越すことができる。

上村春樹氏

100万回やったら完全に追い越すことができます。それをやる気持ちを持てるかどうか。最終的には量をこなした者が勝ちます。

胸に響いた井上靖先生の言葉

若い頃、作家の井上靖先生のところに何回もお邪魔させてもらいましたが、最後にお会いしたときに先生にこう言われた。「上村君、柔道とはね、最後は練習量が決するよ」と。それを聞いたときに、それまで頭の中でもやもやしていたのが一気にすっと晴れた気がした。井上先生は作家でありながら柔道が大好きな方でしたが、最後のときにその話を聞いて、本当にいい話が聞けたなぁと感動した。量をやったらいいなんてことは当たり前のことですが、論語にこんな言葉があるよとか、2〜3時間も様々な話をしたあとに、この言葉を聞いたので、ものすごく胸に響いたというか、感動的でした。

続けることはとても重要。それにどこで気付くかだと思います。続けること、量をこなすこと、当たり前のことをきちんとやること、これがもっとも大切なことだと思います。毎日やることというのは、どうしても手を抜いたりしがちです。例えば100本打ち込みは、だらだらやっても100本ですが、一生懸命やっても100本で終わる。3時間の練習も、いやいややっても3時間かかるし、死に物狂いでやっても3時間で終わる。その違いをどこで知るかです。

※このインタビューは、2009年5月12日に行なわれたものです。


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