「園田隆二」著名な柔道家インタビュー

園田隆二氏 全日本柔道女子ナショナルチーム監督インタビュー

グランドスラム・東京2009で、好調な結果を残した日本女子。
2008年11月、日蔭監督から引き継ぎ、選手とのコミュニケーションを大事にしてきた若き監督・園田氏に、選手のことや、ロンドンオリンピックに向けての対策などをお伺いしました。

園田隆二氏

プロフィール

  • 生年月日:1973年9月16日 出身地:福岡県大牟田市
  • 主な戦歴

    • 1992年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 60kg級 3位
      1993年 | 世界柔道選手権大会(カナダ:ハミルトン) 60kg級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 60kg級 優勝
      1994年 | アジア競技大会柔道競技(日本:広島) 60kg級 2位
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 60kg級 3位
      1995年 | 世界柔道選手権大会(日本:千葉) 60kg級 3位
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 60kg級 優勝
      1996年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 60kg級 2位
      1997年 | アジア柔道選手権大会(フィリピン:マニラ) 65kg級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 60kg級 3位
      1998年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 66kg級 2位
      1999年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 66kg級 3位
      2001年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 66kg級 3位

代表選手の強化方針と成果

園田隆二氏強化合宿で最も重視したのが、まず、選手とよく話すこと。そして、対話の中で女子選手達に必要なのは「プロ意識」を持たせることだと思いました。
社会人の選手であれば、会社勤務をしながら練習生活をしている選手もいます。ですが、彼女たちは一般社員の方から比べれば、うんと少ない仕事量ですよね。つまり、柔道が仕事のようなものです。柔道で飯を食っているのだから、きちんとプロとしての意識を持つのは当然です。

選手選考に関しては、監督として、選手の怪我や故障の状態はもちろん知っています。でも、その選手のことを可哀想だからなどという理由で、強化選手として残そうとか、もう一度使ってみようなど、そんな恩情は一切かけません。選手達には、「オリンピックの切符は一枚だ。もらうのではなく自分から取りに行け」と言ってきました。その結果、以前より相互のライバル心や競争心の意識が上がったと思います。


代表選手の選考基準について

園田隆二氏世界基準で見てみると、上の3つの階級(70kg級、78kg級、78kg超級)は勝つのが困難な階級です。逆に48kg級は世界全体から見て、日本では選手層が厚く、レベルも高い階級です。つまり「勝てる階級」なんです。だからこそ、確実に勝てる選手を選びたい。
例えば、選考試合で勝った選手を日本代表にした場合、その選手がオリンピックで負けたとしても、きっと誰も文句は言わないでしょう。

けれど、選考試合で負けた選手を日本代表に決めておいて、その結果、本大会で負けたとしたら、「なぜ選考試合で勝った選手を代表にしなかったのか?」と、監督責任を問われるでしょう。だからといって、勝ち抜き戦で代表を決める訳にはいきません。ですから、私自身もしっかりとした覚悟を持って監督をしています。

マスコミをはじめ周りの方からは、「選考が難しいだろう」とか、「基準はどう設けるのか」とか、気を揉んで頂いているようですが、自分達の中では単純に、「誰が一番金を獲れる選手なのか」という選び方だけです。


最もパフォーマンスの高い選手を選ぶ精鋭揃いの48kg級

近藤香はジュニアの強化選手でもあり、もともと強い選手です。同じ学生の伊部(尚子)や浅見(八瑠奈)などと、ずっと競った試合をしてきていたが、近藤の場合は技をかけるのが遅く、今のルールと噛み合わない部分もありました。
けれど最近は、左の逆技を覚えたり、巴投げを覚えたりと新しいことを、やれる技術が増えてきた。できることが増えた分が、今回の(2009年10月の「全日本学生柔道体重別選手権大会」優勝)結果に繋がっていると思います。うまくいっている状況ですが、試合の攻め方や戦術など、柔道の中身について言えば、まだまだジュニアの部分もあります。でも、伸びしろのある楽しみな選手です。

福見(友子)は、「スウォン・柔道ワールドマスターズ2010」では(3位)と、もったいない負けがありました。しかし、彼女が今極めたいと思っている攻め方が、相手と噛み合わなかっただけで、決して実力で負けた訳ではありません。逆に、そこで勝った浅見は実績を上げましたね。
そして、亮子(谷)のブランクについては、充分な経験があるので、戦術面での問題は全くないでしょう。彼女の場合は、年齢的にまたは体力的に考えて、今後ますます技が強くなるのか、またその上積みはどれ程か、などが見極めのポイントになってきますね。

福見、山岸(絵美)でも、充分に世界で勝てる現状で、谷がどんなパフォーマンスを出していけるのか、よりパフォーマンスが高い選手を代表にします。これはやはり、実際の試合で判断したいと思います。

気持ちを強くやるべきことをやる52kg級注目選手

園田隆二氏52kg級で言えば、中村美里は自分の目標がきちっとしていると感じられる選手ですね。高校生の頃から見てきてそう思います。勝てる選手はきちんと自分の目標があって、やるべきことをちゃんとやっています。グランドスラム・東京2009優勝時のインタビューの受け応えでも分かるように、二十歳なのにしっかりしています。これは、やはり経験からだと思います。
もともと48kg級で高校時代から、亮子(谷)以来の選手との注目を浴びていましたから。オリンピックにも出場しましたし、そういった経験から多くを学んでいると思います。

彼女の階級の上げ方(48kgから52kg)について、普通ならばオリンピック周期、つまりオリンピックが終わってから、次に向けて調整をするのがセオリーなのですが、彼女はオリンピック前に上げました。調整期間が短くても大丈夫だったのは、やはり気持ちの部分がしっかりしている選手だったからだと思います。
また、彼女にオリンピックの経験をさせたことで、ものすごく良かったなって思うところは、あのときに負けた世界との差をしっかり感じて、ひとつひとつ取り組んできているところです。今もずっとやるべきことをきちんとやり、着実に力を付けています。
彼女はもっともっと強くなるだろうと思いますよ。そこはロンドンに向けて、ものすごく期待しています。


代表は実戦勝負で選ぶ世界が近い63kg級

谷本歩実について言えば、怪我をしているとは言え、彼女はオリンピックチャンピオンです。実績もあり、世界の舞台に出したらちゃんと対応できると思います。
しかし、今は上野(順恵)も実績を上げているので、谷本がいつの時点で復調し試合に出てくるか、それからが二人のせめぎ合いだと思います。

谷本の膝の状態も思ったより良く、合宿でも練習していましたし、所属会社(コマツ)でも練習しているのを見ています。本人からは軽く(練習を)やっているとは聞いていますが、監督としての立場からは、「いつから成績が出せるのか?」が大事です。成績が出せないのに代表にはできません。上野に対しても失礼ですし、怪我の回復と、(筋力が落ちているので)もう少しシェイプアップして、体を作っていかなければ。
谷本の場合は、どんな試合であろうとも、結果を求められる存在なので、試験的になどと、簡単には出す訳にはいかないのです。 
この階級では、デコス選手(仏)がいなくなったのも大きな変化です。彼女がいなければ、谷本も上野も勝てるだろうと思います。 

全員をゼロから作り上げる覚悟の70kg級

園田隆二氏もともと上3つの階級は厳しい階級ではありますが、「スウォン・柔道ワールドマスターズ2010」では(1、2回戦敗退の選手が3名おり)不甲斐ない部分がありました。試合数も増えて、毎回同じ高いモチベーションでやれというのは難しいと思います。
しかし、負けた試合でもそれなりの試合ってものがあると思う。そこを感じられない選手には苦言と叱責も必要でしたね。

70kg級では潜在能力は高い渡邉(美奈)がいます。世界の代表と意識して、彼女なりに成長をしていますね。ただ勝負に対する考え方がまだ子供なところがあり、試合中、頭の中で「なぜ技がかからないのだろう?」と考え過ぎて、戦い方の視野が狭いところがあるんです。
もっと広く、例えば、勝ち方は投げるだけじゃない、反則を取る勝ち方もある。そんな余裕を持って戦うと、ぐんと伸びると思います。ちょっとした考え方の違いを理解すれば、もっと成長しますね。彼女にとって、今は貯金の時期です。

78kg級は中澤(さえ)がやめて、世界との差が広がった感があります。では、中澤の次は誰か?と考えると、一人を重点的に育てるというよりも、緒方(亜香里)、岡村(智美)、穴井(さやか)と3人を鍛えまくって、切磋琢磨の中、強く生き残っていく者を作っていく。既存の一選手を育てるのではなく、全員をゼロから作り上げるくらいの気持ちでいます。


ロンドンへの課題と対策1 組み手

園田隆二氏全般的になんといっても組み手の強化が必要ですね。「スウォン・柔道ワールドマスターズ2010」では、組み手でやられている選手が多くて…。

70kgの國原(頼子)は2大会連続で、同じような組み方の中でやられているんです。もともと日本人には組み手の技術があるんですが…。
うーん、組み手はやはり永遠のテーマですね。


ロンドンへの課題と対策2 柔軟性のある状況判断

全体的に、女子は男子より融通が利かない選手が多いように感じます。もっと柔軟性のある考え方ができるようにしたいですね。そのために、ビデオを何度も見直しながら、「このときはこうもできる」「あの手もある」と引出しを増やす機会も増やしています。
間合いの違いやすっぽ抜けで、技がかからないこともあります。それでも、かけ続ければ相手は攻められなくて、こちらは反則が取れる。相手によってはそういう勝ち方もあるんです。特に若い選手は、そういった戦術がなく、自分の持っている技だけで勝とうとする選手もいる。
投げると決めたら、100回続けてかけて、それで1回でもかかれば一本だ。そんな気持ちでどんどんかければいいと思う。技をきちんとはめようとするあまり、相手を見過ぎて(技が出ず)反則を取られてしまう。そんな悪い状況を作ってはだめなんです。技を出しながら、狙っていける状況にしないと。

そして必要なのが状況判断です。「ここで何ができるか」その判断が一番できる選手は亮子(谷)です。彼女はどの状況においても、いろんな技を持っていますし、勝ち方も知っています。
ほとんどアドバイスは要らず、自分で理解して淡々と判断できるから、どの状況においても、「じゃあ、どの攻め方がある」、「ここでの攻め方にもいくつか方法がある」とか、柔道の幅が広いのです。

だから、あれだけ勝ち続けられる。戦術として、身近にいい材料があるんだから、もっと真似すべきですね。技術的にも、精神的にも成長して、「投げない」のは困るけど、まず勝つ。そんな柔軟性を持った柔道を覚えてほしいと思います。

まずは勝つプラスαで一本を取れる柔道

園田隆二氏自分がポイントを持って有利な場合は、必ず出てくる相手に対して、守りながらしっかり組みとめて、相手が無理してかけてきたところを狙えばいいんです。
だから、守ろうということに固執し過ぎると試合の流れが変わってしまう。「技ありが取れたら、あと半分」、「有効を取っていたら、次に一本取ろう」と、流れが自分にきていると思えば、下がらず、受けて投げる。相手が出てきたら、自分が投げるチャンスが増えると考えるべき。
それなのに、セイフティに逃げようとするから、流れも変わってしまう。だから、前に出なさいと言っています。「前に出ていく」とは、気持ちの持ちようだけの、ちょっとしたことです。もちろん、行き過ぎてもいけない場合もある。その兼ね合いは、やはり格闘技のポイントだと思う。

また、選手自身には、もっと自分に自信を持ってってもらいたい。
女子にはトップレベルの選手がいます。それだけに、どの試合にも100%の力を出す必要がある。それが評価にもなり、代表の選出に繋がります。負けたとしても評価できる内容の試合もあるので、選手たちはそれぞれに持っている力を出せばいい。
そこを逃げて有効を取るだけの勝ち方をしても、決して評価はしません。逃げて勝てる試合もあるかもしれないが、オリンピックや世界選手権では通用しない。大きな舞台になればなる程、プレッシャーがかかるからこそ、逃げるな!下がるな!気持ちの面を強くしてほしい。

究極論は一本を取りにいく柔道が理想です。だけど、段階的に技術も力もない状態で、一本ばかり狙ってもだめ。一本を取りにいって、一本で負ける試合ではだめなんです。まずは勝つ、プラスαで一本を取りに行く柔道を目指して、さらに頑張ります。


尚武館で過ごした小中学時代

園田隆二氏柔道との出会いは、小学一年生のときの近所の友達が習い始めたのがきっかけです。いつものように遊んでいたら、夕方になって、「柔道に行くから」と言ったので、「じゃ、おれも」と、遊びの延長のような気持ちで尚武館に行ったのが最初です。

小学校時代は楽しさも感じつつも、稽古は厳しいし、野球とか別のこともやりたくなったりして、止めたいと言ったこともありましたね。でも、道場の人が怖くて止められなくて…。
中学生以降は止めたいと思ったことは一度もないですね。入学した中学校には柔道部がなかったのですが、中体連(中学体育連盟)主催の大会に出場させてもらうため、学校に名前だけ柔道部を設置して頂きました。相変わらず稽古は道場でしたが、試合には、顧問の先生や体育の先生に付き添って頂きました。


恩師との充実した高校時代とショックを受けた大学時代

柳川高校での一番の思い出は、やはり恩師・河野(満男)先生との直接稽古です。当時は先生自身も練習をされていたので、多くの相手と4分×10本の乱取り稽古(元立ち稽古)を2セット行ない、そのうちの1セットは河野先生とずっと40分間練習させて頂きました。

毎日大きな相手と組めるうえに、稽古量も多かった分、この間に力も付きましたし、体もできましたね。入学時に58kgの体が2年生のインターハイ出場時には68kgになっていた程です。
明治大学での柔道には、初めかなりショックを受けました。そこそこに強いと思う選手がいた高校時代とは打って変わって、大学では、周りのみんなが強過ぎて誰と組んでも敵わない。練習量も質も厳しさも、「これは持たない。やっていけるのか?」と思いました。そんな環境だっただけに、自分が一番成長した時期だと実感できますね。

「世界の一番を目指す柔道」が信条

柔道で一番嬉しいことと言えば、なんといっても「勝つ」ことです。表彰台の一番上で日の丸を聞くことの快感は、大学二年で世界チャンピオン(1993年カナダ世界柔道選手権大会)になったときに実感しましたが、やはり最高の瞬間ですね。そこまでの道はものすごくキツいけど、達成感が一番得られる瞬間です。もう一度その場に立ちたい。その快感を味わいたいと思う。だから、どの選手も現役であり続けたいのだと思います。

オリンピック(1996年アトランタ)で一区切りだと思っていて、その後は1階級上げようと思っていました。減量はキツかったですね。もう少し時間をかけて落とすべきですが、自分の性格上、試合前には飲まず食わずの方法で落としていました。今思えば長く続かないやり方だと、そこは自分で反省する点ですね。
ただ、減量失敗は一度もないです。体重を落とせないってことは、舞台に立てないことだから、どんなことがあっても計量オーバーはありませんでした。

23歳のとき、全日本選抜柔道体重別選手権大会で、野村(忠宏)に負け、オリンピックに出られなかった翌年、65kg級に転向しました。そこには、同じ九州の中村行成(ゆきまさ)がいて、彼には子供時代から一回も勝てなかったんです。今のように代表2名がオリンピックに出られるのであれば、もしかしたら続けたかもしれないとも思うこともありました。

けれど、自分の中で「柔道は一番じゃないと意味がない」「世界の一番を目指すのが柔道だ」と思っていました。だから、負け続けているようでは駄目だと。自分の限界を知るのは自分自身でしょうし、自分にけじめを付けたいと思い、引退を決めました。良く言えば「潔い」、悪く言えば「弱かった」のです。
一番残念なことは、やはりオリンピックに出られなかったこと。その悔しい思いと、表彰台の上で味わう晴れがましい気持ち。どちらの経験も監督業に活かしていきたいです。

※2010年1月現在


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