著名な柔道家インタビュー

斎藤仁 全日本強化副委員長インタビューその2

北京五輪(柔道)終了後に全日本男子監督を退き、全日本強化副委員長に就任した斎藤仁氏。

アテネ、北京両五輪では苦戦を強いられ続けた。その監督時代のお話しとともに、現役時代、特にライバル山下泰裕氏との激闘について伺ってみました。

斎藤仁氏

アテネ後、世界の状況が大きく変化

今思えば、2004年アテネ五輪(柔道)が終わって、2005年に世界選手権がカイロであって、その頃から段々と「いかんな〜」という流れになってきて、パリのワールドカップ。あそこでルールの解釈がガラッと変わった。場外に出て技を掛けてもよくなって、組まなくてもよくなった。だから、日本の選手はなかなか組めないし、「指導」もこない。パッと組んで「さあ、行くぞ」と思ったら、場外に逃げながらの巴投を掛けられる。日本の選手が全然、自分の柔道ができなくなってしまった。あの頃から段々と状況が変わってきた感じがします。
2007年ブラジルの世界選手権は棟田康幸の金メダル1個だったけど、あの棟田の階級(無差別)は五輪ではない階級。ということは、実質金メダルはゼロ、金丸(雄介)の銅メダル1個なんですよね。つまり、本当にどん底からのスタート。そうしたのは誰かと言ったら自分なんです、俺の責任。結果が良かったら選手が素晴らしい、結果が悪かったら俺たちコーチ陣が悪い、監督の俺が悪いということなんです。だけども「北京まで、最後までやれ」と言われた以上は、自分の命を削ってでも、すべてを犠牲にしてでも、金メダル1個でも多く獲るという気持ちでやってきました。


最悪のイメージがはまった北京

斎藤仁氏北京五輪(柔道)は、自分が描いていた最悪のイメージがピタッとはまってしまった。最後に石井慧が勝ったけれども、それまでの負け方がひどかった。メダルにも絡めなかったっていうのはね。金丸は肩脱臼しちゃったし、小野(卓志)もどうしようもなかった。(泉)浩なんか論外、完全な減量失敗。負け方でも、次に繋がる負け方もあるけど、あれは次に繋がらない。泉はカイロ世界選手権で優勝して、ちょっと慢心になっていたのかもしれません。
だから、それを考えたら4日連続で負けたあとに石井はよく勝ったと思う。石井の「他人は関係ねぇ」というあの性格が、あの場面でうまくはまった。考え方や人間性を除いたら、石井は素晴らしいと思いますよ。自分の目的や目標を達成するためなら、人の足を引っ張ろうがお構いなし。その貪欲さと、それに向かう実行力に関しては、本当に頭が下がる。

無駄な一瞬はひとつもなかった

結果的にはアテネと北京で、3つと2つで合計5個の金メダルしか獲れていない。それに北京では2つ金メダルを獲ったけれど、他の選手はメダルにも届かなかった。今の状況で、最高の場面と最悪の場面を考えたときの、最悪の場面にあてはまってしまった。マスコミの方から「いや、よく2個獲りましたよ」、「世界選手権(ブラジル)のこともあるから、ゼロだと思いました」と言われましたけど、気休めにしか聞こえなかった。そのゼロの可能性に持っていったのも俺なんですよね。
もう終わってしまったことだから、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのは出てくる。だけども、自分にとっては、無駄な一瞬はひとつもなかったなと思います。人が味わえない空気を8年も吸わしてもらって、これをどういうふうにして柔道界に活かしていけるのか。また、柔道界が斎藤に望むのはどういうことなのか。強化副委員長という立場で、今まで体験、勉強したことを活かしていくことが、これからの私に与えられた課題だと思っています。

ソウル五輪(柔道)、感謝の金メダル

斎藤仁氏自分自身の選手時代の思い出として一番に挙げられるのは、やはり1988年のソウル五輪(柔道)。その前の年のエッセンの世界選手権で日本(男子)が4つの金メダルを獲っていたこともあって、もの凄い期待されていたんだけど、あのときの前評判で、唯一、赤信号がついていたのが俺。ヒザをケガしていて、正直ひどい状態でした。
振り返ってみて、あのとき、上村(春樹)監督はよく俺を選びきったなと思いますね。だから、上村先生に感謝するとともに「上村先生を、男にせにゃいかん」という気持ちでした。だって、俺は前年の世界選手権はケガで辞退していたし、その年の全日本選手権と最終選考会(5月に行なわれた全日本選抜体重別)も勝つには勝ったけれども、気迫だけでしたからね。

技らしい技は全然出せなかった。だから、絶対に選考でもめたと思うんですけど、最終的に上村監督は選んでくれた。結果としては、恩返しができたのかなと思いますけど、あのときは、俺がそんなに気張んなくても、その前に2つか3つは金メダルを獲っているだろうと。それが、あれ?あれ?って、あれよ、あれよで(金メダル0の状態で)来ちゃいましたからね。
今でも覚えているけど、試合の前日に、吉村(和郎)先生が「斎藤、お前が勝つためだったらなんでもしてやる。なんでも言え」って言うわけですよ。あの頃は、吉村先生がコック長で俺たちの朝メシとか全部作ってくれていたんで、「先生、試合の朝、炭水化物をいっぱい摂りたいんで、スパゲッティを作ってもらえますか」って頼んだんだよ。でも、あの当時、韓国にはスパゲッティがなかったらしくて南大門市場からロッテデパートからそこら中探したんだけどなくて。結局、細いうどんをスパゲッティ代わりにしてもらって、ご馳走になった。あの吉村先生の手料理は忘れられないね(笑)。
そんなこともあって、気合は凄く入っていたけど、ヒザの状態はひどくて、緊張や不安、プレッシャーを感じる余裕もなかった。とにかく「明日もてよ〜、頼むぞ」という気持ちだけ。痛みを散らすために、楊枝を重ねて作った針を自分でヒザに打ちながらね。
最終的に優勝できたわけですが、ロサンゼルス五輪(柔道)のときは、俺が勝ったんだっていう自負というか、天狗な気持ちだったけど、ソウル五輪(柔道)のときは、みんなに勝たしてもらった。応援してもらって、支えてもらって、ここまで来れたという感謝だけだった。あれは感謝の金メダルでしたね。


※このインタビューは、2009年7月10日に行なわれたものです。


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