「大野将平」著名な柔道選手インタビュー

  

大野将平

井上康生監督に「金メダルに一番近い男」と称され、その言葉通りリオデジャネイロ五輪(柔道)73kg級で金メダルを獲得した大野将平選手。
その強さを育てた学生時代の思い出や、リオデジャネイロ五輪(柔道)での心境、また4年後の東京五輪(柔道)に対する思いも語って頂きました。

  • Increase Text Size
  • Increase Text Size
  • Decrease Text Size

兄と親戚の影響で始めた柔道

兄と親戚の影響で始めた柔道

7歳のときに松美柔道スポーツ少年団で柔道を始めました。

以前から柔道に興味があった訳ではないのですが、兄が先に柔道を始めていたし親戚のおじさんが道場の先生をやっていたので、道場に遊びに行く延長で柔道を始めたという感覚ですね。

親元を離れ講道学舎に入門

親元を離れ講道学舎に入門

中学生の頃に上京して講道学舎に入門しました。この時期には辛かった思い出しかないですね。

講道学舎に入る前は楽観的な気持ちでした。先に上京していた兄がとても強かったので、自分も兄と同じ道を辿って東京に行けば強くなれると思っていたんです。でも母はすでに講道学舎の厳しさを知っていたので、「上京したい」と言ったときにすごく引き止められたのを覚えています。

私は楽観的な考えでいたのですが、兄に比べると体が小さかったこともあり、親には「1年間で10kg体を大きくしたら入門しても良い」という条件を出されました。それで約束通り頑張って10kg増量し、講道学舎に入門しました。

初めての挫折

初めての挫折

世田谷学園高校に進学し、2年生のときに個人戦で2008年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会で優勝することができました。

ですが3年生になると体の大きい選手と戦うことが増えて、まだ自分の体もでき上がっていなかったので怪我ばかりしていましたね。3年生のときには全国大会にも出場できませんでした。

一度チャンピオンを経験したあとの初めての挫折だったので、その頃には辛い思いをしましたね。

天理大学に進学し、伝統的な天理柔道を学ぶ

天理大学に進学し、伝統的な天理柔道を学ぶ

天理大学と講道学舎の柔道スタイルは、「正しく組んで正しく投げる」という点で通ずるものがあると思います。

講道学舎では基礎を叩き込んでもらって土台が作られましたし、本当に強くしてもらいましたが、やはり荒削りな部分はありました。それが天理大学で角が取れて丸くなり、綺麗な円になっていったのだと思います。

数々の大会で自覚が芽生えたターニングポイント

数々の大会で自覚が芽生えたターニングポイント

大学1年生のときに、当時全日本柔道連盟の関係者だった篠原信一監督が特例で私をジュニアからシニアに引き上げて下さり、シニアの合宿に参加するようになりました。そこで少しずつ大人の選手たちと戦うことに慣れていった感じですね。

2012年にはロンドン五輪(柔道)を大学の研修で視察し、天理大学の先輩である穴井隆将選手(現・天理大学柔道部監督)の試合を見させて頂きました。その次の日に穴井選手とお話をしたのですが、「もう現役を辞めるつもりだ」ということをおっしゃっていて。

そして実際に穴井選手が引退されたとき、「これからは自分が頑張らなくてはいけない」と思いました。天理大学の柔道を終わらせてはいけないという気持ちが芽生えたんです。

そこから、講道館杯全日本柔道体重別選手権大会や柔道グランドスラム東京で優勝することができました。初めて「自分がやらなければいけない」という自覚が芽生えたこの2つの試合が、自分にとってのターニングポイントであったと思います。

大学時代の強さと現在の強さの違い

大学時代の強さと現在の強さの違い

大学時代は勢いで勝っていた部分があると思います。ですが2014年の世界柔道選手権大会(以下、世界選手権)で負けを痛感して、「色気を出さないように試合をしなければいけない」と感じました。

昔は一本を取らなければいけないという気持ちがありましたが、今は指導でも勝ちだと思っています。もちろん「一本勝ちを目指して攻撃的に攻めていく」という基本的な部分は変わりませんが、わざわざ色気を出して「必ず一本を取る」という姿勢ではなくなってきましたね。

あとは、色々なことが細かく緻密にできるようになってきました。技のバリエーションも広がりましたし、精神的に少しは大人になったかなと思っています。

細川伸二先生と穴井隆将監督による指導

細川伸二先生と穴井隆将監督による指導

天理大学では細川伸二先生、穴井隆将監督に指導して頂きました。現場で常に見て下さっていたのは穴井監督でしたが、その裏では細川先生と穴井監督でずっと話し合いを重ねてくれていたことを、あとになって知りました。

リオデジャネイロ五輪(柔道)のときも、「穴井監督の現役時代の失敗を繰り返さないよう、休み方をよく考えてやらせていた」ということで、やりすぎないように上手く休みながら、やるときはやる、というスタンスを重視してくれていたそうです。

「お前はもう強くならない」という言葉

「お前はもう強くならない」という言葉

実は細川先生に、2013年の世界選手権で優勝したとき「お前はもう強くならん」と言われたんです。そのショッキングな言葉を自分の中で消化できないまま2014年の世界選手権に臨んだのですが、2013年の「10試合すべて一本勝ち」を越えるインパクトで勝ってやろうという色気や隙が出て、負けてしまいました。

そのときに、細川先生に言われた「もうお前は強くならん」という言葉はこういうことだったのだなと痛感しましたね。今の力をそのまま出せば充分に世界で勝てるのだから、コンディショニングやピーキングをしっかりとして、大事な試合のときに一番自分の力を出せるようにだけ意識しろ、ということなんだろうと。

細川先生にそう説明を受けた訳ではないのですが、自分の中ではそのように解釈をして、リオデジャネイロ五輪(柔道)までの準備もしました。ピークもコンディションもしっかり合わせて、練習もやりすぎずに大会に臨めたと思います。

リオデジャネイロ五輪(柔道)代表に選抜されたときの心境

リオデジャネイロ五輪(柔道)代表に選抜されたときの心境

2015年の世界選手権で優勝した段階で「あと1回優勝すれば代表に近付く」と言われていて、その後、2016年の柔道グランプリ・デュッセルドルフで優勝することができました。

それでも穴井監督には、「全日本選抜柔道体重別選手権大会(以下、選抜体重別)は、リオデジャネイロ五輪(柔道)だと思って戦え」、「リオデジャネイロ五輪(柔道)のプレッシャーはこんなもんじゃない」、「これで勝たないと代表入りはないと思え」とずっと言われて、プレッシャーをかけられていましたね。

柔道グランプリ・デュッセルドルフから選抜体重別まで1ヵ月程しかなかったので非常に難しかったのですが、「ここで勝ち切ることが自分にとって大事だ」と、「どんな手を使ってでも勝とう」と思ってやっていました。だから選抜体重別で優勝して代表入りを勝ち取ったことは、本当に自分の中で大きかったですね。

リオデジャネイロ五輪(柔道)への思い

リオデジャネイロ五輪(柔道)への思い

1996年のアトランタ五輪(柔道)で中村兼三選手(現・旭化成柔道部監督)が当時71kg級で優勝して以降、73kg級は金メダルを獲れていないということも知っていましたし、日本の看板階級としてのプライドももちろんありました。

とにかく「絶対に自分が金メダルを獲るんだ」という、強い気持ちを持っていましたね。そういった思いもあって、中村兼三監督がいる旭化成に所属することにしました。

私は穴井監督にずっと「集中・執念・我慢」という3つの言葉を叩き込まれていました。シンプルですがとても深い意味を持っているこの言葉を大事に、リオデジャネイロ五輪(柔道)に臨もうと思っていましたね。

金メダル獲得に向けた稽古

金メダル獲得に向けた稽古

リオデジャネイロ五輪(柔道)のような何が起こるか分からない大会でも、運ではなく実力で勝たなければならないと思っていましたので、「心・技・体の3つで外国人を上回る」ということはずっと考えていました。

自分が1割の力しか出せないときに相手が10割の力を出してきたとしても勝てるくらいの、圧倒的な力の差というものが必要だと思って稽古をしていました。

試合というのは想定外のことが起こりうる場だと思いますが、試合が近付いて調整段階に入ってからは「あらゆる想定外を想定内にする」ということを意識していましたね。

6月くらいにはすでに試合ができる状態になっていて、あとはコンディションとピークを落としすぎないように山と谷を作って、という段階でした。「いつでも試合ができるぞ、早く試合がしたいな」という気持ちでしたね。

金メダルに一番近い男

金メダルに一番近い男

井上康生監督からは「7人の中で一番金メダルに近い男」だと言われ、正直とてもプレッシャーでした。でも逃げていても仕方がないですし、自分に期待してくれているのだからやるしかない、と思いましたね。

大会前、井上監督には「今のお前はアテネのときの俺に似ている」と言われていました。井上監督はアテネ五輪(柔道)までずっと一本で勝っていて、練習にも打ち込んで、敵がいなかったと。

でもアテネ五輪(柔道)で負けてしまったとき、井上監督は「勘違いをしていた」と思ったそうなんです。だから私には「練習では圧倒的にお前は強いが、そういう部分に色気が出るんだ。俺を反面教師にしろ」と、ずっと言っていました。

大会3日目、金メダル0の中で臨んだ初戦

大会3日目、金メダル0の中で臨んだ初戦

個人戦ではありますが、井上ジャパンとしての団体戦でもありますので、「金メダルが欲しい」という日本チームの雰囲気は伝わっていましたし、私は獲って当たり前だと思われているのだろうというのも分かっていました。しかし、もう「自分は自分だ」と思って臨みましたね。

独特な雰囲気はもちろんありましたが、始まってしまえば他の国際大会と同じだと私は思いました。前日もよく眠れましたし、さほど緊張はしませんでした。

自身の成長を感じた準々決勝

自身の成長を感じた準々決勝

準々決勝はロンドン五輪(柔道)66kg級金メダリストのラシャ・シャフダトゥアシビリ選手(ジョージア)との対戦。早い段階で技ありを取りましたが、その後にも、もう一度投げようと思えば投げられたかもしれません。

ですがそこで、「リスクを冒さない方が良い」という自制が働いたと言いますか、自分をしっかりコントロールして、丁寧な組み手で向かい合うことができました。今思えば、あの場面で一本を取っていれば全試合オール一本でしたので、悔しくもありましたが、でもそれはそれで良かったのだと思います。

相手がロンドン五輪(柔道)金メダリストであるというプレッシャーはありませんでした。ただ、シャフダトゥアシビリ選手は初めて試合をする相手だったので、そういった意味では怖かったですね。初めての対戦なので、何が起こるか分からないという怖さはありました。

金メダルを獲得した瞬間の心境

金メダルを獲得した瞬間の心境

集中していましたし、「嬉しい」という気持ちよりも「やっと終わった」という安心感の方が強かったですね。

観客席で関係者や先輩方が喜んでくれているのを冷静に見ていました。特に金丸雄介コーチはジュニアの頃からお世話になっていますし、とても喜んでくれていたと思います。

金メダルを獲れた理由

金メダルを獲れた理由

以前から穴井監督と「リオデジャネイロ五輪(柔道)のような大会は運だ」という話をしていましたが、運ではなく実力でメダルが獲れるのだということを証明したかったんです。

もちろん、勝負の世界なので何が起こるかは分かりませんが、それでも「一番強い、一番実力のある選手が勝つ」ということを証明したかった。だから今回も、実力で金メダルが獲れたのだと信じたいです。

でも今のような若い時期だからこそ、こんなやり方ができるんだと思いますね。それもじきにできなくなりますので、これからは運と徳と経験を積んで、4年後も勝ちたいと思います。

井上康生監督の言葉

井上康生監督の言葉

決勝が終わり、セレモニーの前に井上監督と会ったのですが、もう監督がすごく泣いていて「よくプレッシャーに打ち勝ってくれた」と。その一言で私もウルっときて、そこからは大泣きしてしまいました。

監督の中にも、プレッシャーをかけていたという思いがあったのだと思います。

4年後の東京五輪(柔道)に向けて

4年後の東京五輪(柔道)に向けて

自国開催となるとやりやすさもあるとは思いますが、今回の倍以上のプレッシャーがかかってくると思います。また、今回男子は7階級すべてでメダルを獲れましたが、その分次に「ひとつでもメダルを逃したらいけない」というプレッシャーもかかってきます。

でもそこは冷静に、あまり4年後を意識しすぎずに、直近の試合や1日1日の稽古を頑張ることで、4年後に繋がれば良いなと思います。

あと今回のリオデジャネイロの試合は両親が見に来られなかったので、東京にはぜひ連れて行きたい。そういう思いで頑張りたいです。

ファンへのメッセージ

ファンへのメッセージ

リオデジャネイロ五輪(柔道)では、夜間から早朝まで応援して頂き本当にありがとうございました。

私の柔道を見て少しでも柔道に興味を持ったり、「柔道で強くなりたい」と思ったりした子供たち・柔道を志す後輩たちが増えてくれたらとても嬉しく思います。

私はこれからも柔道の魅力を伝えられるような試合を畳の上で体現したいと思っていますので、応援をして頂けたら本当にありがたいです。

 

インタビュー:2016年9月

このページのTOPへ

  • 全日本柔道連盟

  • 弊社は、財団法人全日本柔道連盟(全柔連)のオフィシャルパートナーです

  • 公益財団法人 講道館

  • 東建は、日本伝講道館柔道を通じた青少年育成事業を応援します

  • 柔道ブログ

  • 柔道整復師ブログ

  • 接骨院・整骨院ブログ

柔道整復師情報
柔道整復師情報を詳しく見る
  • 柔道整復師専門学校検索

全国接骨院情報
全国接骨院情報を詳しく見る
  • 全国の接骨院・整骨院検索

  • スマートフォン版
    「柔道チャンネル」へのアクセスはこちら

    スマートフォン版柔道チャンネル

東建グループがお届けする柔道情報サイト「柔道チャンネル」では、リオデジャネイロ五輪(柔道)を終えた選手・監督のインタビューを一挙公開!今回は、リオデジャネイロ五輪(柔道)73kg級で見事金メダルを獲得した大野将平選手にお話を伺いました。親戚と兄の影響で7歳から柔道を始め、講道学舎、世田谷学園高校、天理大学と、着々と柔道家への道を歩んできた大野選手。現在は天理大学大学院と旭化成に所属し、数々の大会で優勝を飾っています。こちらのページでは、井上康生監督に「金メダルに一番近い男」と言わしめた大野選手の強さの秘密や、リオデジャネイロ五輪(柔道)でのエピソード、4年後の東京五輪(柔道)に対する思い、ファンへのメッセージなど、貴重なお話をたっぷり掲載。
柔道好き必見の大野将平選手インタビューを、ぜひお楽しみ下さい。

注目ワード