「西田優香」著名な柔道家インタビュー

西田優香

長年女子52kg級を中村美里選手とともに牽引し、2016年11月講道館杯全日本柔道体重別選手権大会を最後に現役を引退。今は指導者として柔道にかかわっている西田優香氏に、これまでの柔道人生と今後の目標について伺いました。

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柔道一家に生まれ、自然と歩み始めた柔道への道

柔道一家に生まれ、自然と歩み始めた柔道への道

私は5歳のとき、鹿児島県鹿屋市にある光武館道場で柔道を始めました。全日本柔道連盟の強化コーチをしていた父はもちろん、母も柔道をやっていたので、自分の意思というよりは気付いたらこの道に進んでいましたね。

始めた頃は遊びに行くような感覚で道場へ行き、先生の膝の上に座って練習を見ていることが多かったです。初めて出場した大会では優勝という結果を収めることができました。まだ柔道に夢中という訳ではなかったのですが、優勝できたことに自分自身すごく喜んでいたのを覚えています。

私には弟がいるのですが、私が柔道を始めるのと同時にその弟も柔道を始めることになりました。小学生の頃には2人で父が監督を務める山梨学院大学に付いていき、そこで練習をしたこともあります。うちには毎年家族で稽古始めをする文化があって、父、私と弟の3人で柔道着を着て打ち込みや研究をするというのが、今でも続いています。

その後の活躍へとつながっていく喜びと重圧

その後の活躍へとつながっていく喜びと重圧

中学は淑徳中学校(東京都)に進学しました。ここで私は北爪弘子先生に柔道を教わることになります。北爪先生が強化選手だった頃に私の父がコーチをしていたこともあって、北爪先生と父との間に信頼関係があったことも淑徳中学校を選んだ大きな理由です。

中学時代には全国中学校柔道大会(以下、全国中学校大会)で2度優勝を経験しました。1年生のときの女子48kg級での優勝は私自身初めての全国大会優勝だったので、とても嬉しかったことを覚えています。「自分でも日本一になれるのか」と感じ、柔道でさらに上を目指したい気持ちにもなりましたね。

その一方で、優勝という最高の結果を残したことによって周囲から注目を集めるようになります。今までに経験したことのないプレッシャーからスランプに陥ってしまい、2年生のときの1999年全国中学校大会女子48kg級では悔しい結果に終わってしまいました。そのスランプを払拭するためにこれ以上ない程の練習をこなしましたね。

絶対に自分が1番になるという強い気持ちで臨んだ3年生の全国中学校大会女子52kg級で再び優勝することができました。勝つ喜びと勝ち続けるプレッシャー。その両方を中学生時代に経験し、私は第一線でやっていきたいという気持ちを強く持つようになりました。

強くなっていく実感があった高校時代

強くなっていく実感があった高校時代

高校は淑徳高等学校に進学しています。高校1年生の頃は自分の柔道が変化していく時期で苦しんだのですが、高校2年生時と高校3年生時の全国高等学校柔道選手権大会女子52kg級ではともに優勝することができました。高校時代は自分自身初めての2連覇を経験することで、強くなっている実感を持てた時期でもあります。

高校時代には国際大会のメンバーにも選抜して頂きました。何ヵ国にもわたって合宿と試合を繰り返し、とても大変だったことを覚えています。しかし、その大変さの中で国際大会に出場し、優勝できたことは自信にもつながりました。日本選手だけではなく海外選手と戦う経験をすることで、自分が強くなることにより夢中になった時期でもありました。

父娘二代での世界ジュニア制覇と左肘の怪我

父娘二代での世界ジュニア制覇と左肘の怪我

大学時代には多くの大会で結果を残すことができました。特に思い出に残っているのは2004年の世界ジュニア柔道選手権大会です。この大会で優勝したことで、父娘二代での世界ジュニアチャンピオンになることができました。

準決勝のアナ・ハリトノワ選手(ロシア)との試合では左肘の靱帯を切ってしまいます。怪我の状況から決勝への出場を心配されましたが、怪我を押して出場することにしました。世界チャンピオンになりたい気持ちと、怪我の痛さや苦しさを抱えての優勝は素直に嬉しかったですし、父もとても喜んでくれたことを今でも覚えています。

一方で、このときをきっかけにして左肘の怪我とは長く付き合っていくことになりました。私は背負投を得意技としているのですが、幼い頃からずっと背負投をかけ続けてきたこともあり、左肘が限界でした。日常的に背負投をかけることが難しい状況の中で、できるだけ負荷をかけないよう背負投の練習は相手がいない状態での練習にシフトしていきましたね。

北京五輪(柔道)落選とライバルの出現

北京五輪(柔道)落選とライバルの出現

大学時代に出してきた結果から2008年北京五輪(柔道)女子52kg級日本代表の最有力候補と言われることもありましたが、結果は落選。

一度もその舞台に立つことなく引退した今から振り返ると、やはりこの北京のときに代表の座をものにすべきだったとは思いますが、大舞台に立つ資格が私になかったからこういう結果になったと考える部分もあります。あのとき私が出場していても金メダルを獲ることはできなかったでしょうね。

このときに女子52kg級日本代表に選ばれたのは中村美里選手でした。彼女とはその後何度も優勝を争うことになり、ライバルと言われるようになっていきます。私の柔道人生の中でライバルは中村選手だけでした。本当にたくさんの方に彼女との関係を聞かれるのですが、一言では言い表せないような、お互いに認め合って高め合ってきたライバルでもあり、仲間でもあるといった感じですね。

多くの人に支えられて歩んできた現役生活

多くの人に支えられて歩んできた現役生活

2012年ロンドン五輪(柔道)でも女子52kg級日本代表の座を逃し、ずっと悩みのタネだった左肘の手術を受ける決意をします。もしこの先の4年、2016年リオデジャネイロ五輪(柔道)まで現役を続けるのであれば、手術を受けるか背負投をやめるかしかないと医師からの診断を受けたからです。

その頃は左肘が月に1度くらいの頻度で脱臼していました。骨を止めている靱帯が切れてしまっていたので、組手をするだけで外れてしまうような状態でしたね。

無事手術が終わり、約1年後に復帰。リハビリ中は軽い練習ではカバーできない部分をウェイトトレーニングで補うと同時に、メンタルトレーニング、減量などにも取り組みました。この時期は様々な角度から柔道を見つめようとした時期でもあったので、自分の柔道の幅に広がりができたときだったと感じています。

復帰後は2014年全日本選抜柔道体重別選手権大会女子52kg級で優勝。その後、いくつかの大会で良い結果を残すことができました。そして、2016年11月講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で畳を降りる決断をします。

実はその日、試合場の畳に上がるまで私自身引退するかどうかを決めていませんでした。しかし、いざ試合に臨むと戦いたくないと感じている自分がいました。その瞬間に私は投げられ、初戦で敗退してしまいます。

柔道という競技はやはり心技体が揃わないと勝てない競技なのだと痛感し、今の自分に畳に上がる資格はもうないと感じました。戦いたくないというところまで柔道に打ち込めたことは選手として最高に幸せなことだったと思います。

指導者の目で見る柔道と、柔道に志す人たちへのメッセージ

指導者の目で見る柔道と、柔道に志す人たちへのメッセージ

引退後、日本大学柔道部(女子部門)のコーチをさせて頂くことになり、柔道をする側から指導する側へと立場が変わり、柔道に対する考え方も変わりました。

選手だった頃はいかに早く強くなるかをいつも考え、無駄をできる限り省いていましたが、自分が無駄だと思っていたことが指導している学生にも当てはまるとは限りません。学生にとって必要なことと、無駄なことのバランスに気を付けて柔道と向き合うようになりましたね。

将来は、中学時代に柔道を教えて頂いた北爪弘子先生のような指導者になりたいです。人として当たり前のことを当たり前にする。それができて初めて柔道をする資格があるのだということを北爪先生からは教わりました。そのことを大切にして私も学生に指導していきたいと考えています。指導した学生が卒業するときに「柔道をやっていて良かったです」と言ってもらえるような環境づくりをすることも目標のひとつです。

3年後には東京五輪(柔道)が開催されます。日本の東京で行なわれる国際五輪(柔道)はまたとない特別な舞台です。今まさに柔道を始めようとしている、または柔道を頑張っているお子さんや学生、東京五輪(柔道)をピークで迎えられそうな選手、さらには私が現役で一緒に戦ってきた仲間など、みんなが1日1日を悔いなく過ごして、大舞台に立つ夢を実現してほしいです。

インタビュー:2017年6月

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今回は著名な柔道家インタビューとして西田優香氏にお話を伺いました。父は全日本柔道連盟の強化コーチ、母も柔道経験者という柔道一家に生まれた西田氏。気付けば柔道の道に進んでいたと語ります。中学・高校時代には合わせて4度の全国大会制覇を経験。次第に柔道の世界へと没頭していきます。順風満帆のように見えた西田氏の柔道人生ですが、それは左肘の怪我との戦いでもありました。2013年にはその左肘の手術を受け、約1年間のリハビリを余儀なくされます。それでも復帰初戦、2014年の全日本選抜柔道体重別選手権大会女子52kg級で中村美里選手との決勝を制し、復活優勝。現役生活を通じて輝かしい成績を収め続けました。インタビューでは今後の目標についても伺っています。決して平坦ではなかった西田優香氏の柔道人生を柔道チャンネルでお楽しみ下さい。

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