「中矢力」著名な柔道選手インタビュー

  

中矢力

中学生時代から、多数の入賞を飾り、世界柔道選手権大会でも優勝を勝ち取った中矢力選手(綜合警備保障:ALSOK)。
過去に、多くの栄光がプレッシャーとなり不調に陥ってしまった時期があったとき、どん底から救ってくれたのは、「母の言葉」。
中矢選手はこれまでどのように柔道と共に歩んできたのでしょうか。中矢選手のこれまでの柔道人生に迫ります。

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柔道を始めたきっかけは兄

柔道を始めたきっかけは兄

私が柔道を始めたきっかけは、3歳上の兄が柔道をやっていたことです。その兄の背中を追って私も幼稚園の頃に「三津浜柔道会(みつはまじゅうどうかい)」で柔道を始めることになりました。

それでも初めは遊び感覚。当時私が勝てない女の子がいたのですが、「その子に勝ったら辞める」という条件だったんです。しかし勝っても結局辞められなくて、今までずっと続けていますね。

その後、「伊予柔道会(いよじゅうどうかい)」に兄と移籍したのですが、その理由は当時、伊予柔道会は大変強い道場で、その強い道場で「練習をしたい、試合に出たい」という気持ちがあったからです。そして、両親もやはり強い道場で練習させたいという想いがあったのだと思います。

道場での稽古がない日は、家で父、兄と柔道の練習。道場でするような乱取り稽古などはできないのですが、家に畳を敷いて打ち込みや投げ込み、ウエイトトレーニングなどのトレーニングもしていました。マンションに住んでいたので、階段を走るなど、基礎体力を付ける練習も行なっていましたね。

死に物狂いで練習した中学時代

死に物狂いで練習した中学時代

中学は松山市立西中学校愛媛県)に入学し、3年時には2004年全国中学校柔道大会で2位になることができました。

しかし在籍していた松山市立西中学校の柔道部は、同学年の人数が少なく、練習環境も良いとは言えなかったので、あまり存分に練習することはできなかったように思います。

ですので、部活の練習が終わってから道場に行って、練習をしていました。その積み重ねが結果に繋がったのかもしれません。その時代は、毎日稽古が厳しかったので、「死に物狂いでやっていたなあ」と今になっては思い出ですね。

試合で印象的だったのは、中学2年時(2003年)に初めて優勝することができた、西日本少年柔道大会ですね。広島県で開催される大きな大会で、毎年出場していたのになかなか勝てずにいたので、とても印象に残っています。

賞品は広島県なので「しゃもじ」(笑)。大きなしゃもじを頂きました。とても嬉しかったのを今でも覚えています。

高校生からの目標は「世界」

高校生からの目標は「世界」

高校は、新田高校に進学。2年時に2006年全国高等学校総合体育大会(以下、インターハイ)73kg級で優勝、2007年の3年時には全日本ジュニア柔道体重別選手権大会で優勝するなど、好成績を残すことができました。

高校生になると「世界を目標にして戦わないといけない」という意識があったので、「なんとしてでも全国大会で良い成績を出す」ということを心がけて戦っていました。それから、やはり「負けてしまったら落とされる」という思いがあったので、必死にしがみついてでも柔道をやらなければいけない、と考えていました。

高い目標を持って戦えるようになったのは、高校生からです。中学生までは、世界なんて意識していなかったのですが、高校生からは世界で戦っても結果を求められるようになったので、その頃から「結果を出さないといけないな」と思い始めました。

高校時代、もっとも印象に残っている大会は、やはり2年時のインターハイ(2006年)。夏で気温が高い中、団体戦を決勝トーナメントまで戦い抜き、そのすぐあとに個人戦を6〜7試合行なったのですが、体力的にすごくきつかったですね。

「体力がもつかな」と心配だったのですが、最後まで諦めずに戦って、個人戦で優勝を果たすことができました。団体戦で優勝ができなかっただけに、とても嬉しかったですね。今でもすごく心に残っています。

東海大学進学にも大きな影響を与えた兄

東海大学進学にも大きな影響を与えた兄

2008年には、東海大学に進学しました。大学選びのときはすごく迷いましたが、一番の決め手はやはり、3歳上の兄が東海大学にいたので、すごく入りやすかったことです。他にも高校や道場の先輩も多く東海大学に進学していたので、なおさら入りやすかったですね。

さらに東海大学からも声を掛けて頂いたので、進学を決めました。「日本のトップで戦っている集団の中で柔道ができる」ということに、とても嬉しくなりましたね。

母の言葉で達成した連続優勝

母の言葉で達成した連続優勝

大学入学後は、2008年全日本ジュニア柔道体重別選手権大会(以下、ジュニア選手権)、2009年全日本学生柔道体重別選手権大会(以下、学生選手権)、2010年講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(以下、講道館杯)、柔道グランドスラム東京(以下、グランドスラム東京)と、立て続けに初優勝を飾ることができました。

ジュニア選手権のときも学生選手権のときも、普段の練習通りに力を出すことができ、優勝することができたのですが、ジュニア選手権は20歳以下、学生選手権は学生の大会。

一方、講道館杯やグランドスラム東京はシニアの大会だけに、やはり社会人の対戦相手が多く、勝つのがしんどかったですね。それでも勝つことができたのは、やはり母の言葉があったからでしょうか。

以前に、国際大会に出場してもまったく勝てず、すごく苦しい時期がありました。そんな大学3年生のとき、母から「でもまだ諦めない!諦めなければ、きっとチャンスは来る!」というような言葉を掛けてもらったんです。その言葉で、「ここでひと踏ん張りしよう!」と奮起することができたんですよね。

2010年の講道館杯、グランドスラム東京での優勝は、そうして勝ち取ったもの。ですので、これらの優勝は母の言葉がなかったら実現できなかったと思っています。

2012年ロンドン五輪(柔道)について

2012年ロンドン五輪(柔道)について

2011年は、2月の柔道グランドスラム・パリ、6月の柔道グランドスラム・リオデジャネイロで優勝し、8月の世界柔道選手権大会(以下、世界選手権)の決勝でエレモントに優勢で勝利し、金メダルを獲得することができました。

この頃は、前年の苦しさの中で踏ん張れたことが糧になったことを実感しました。ただ、「勝ち続ける」ということにもすごくプレッシャーを感じだした時期でしたね。

そんなとき、ちょうどライバルの秋本啓之選手がいたので、少しでも負け越したら翌年のロンドン五輪(柔道)には出場できないと自分でも思っていました。「絶対負けられないな」という気持ちでずっと試合に臨んでいたのです。

そのおかげか、2012年に入っても良い勢いは続き、5月の全日本選抜柔道体重別選手権大会では、決勝で大野将平選手を上四方固(かみしほうかため)で敗り、やっとの思いでロンドン五輪(柔道)の代表に選出されました。決まったときは、それまで出場してきた大会とも格が違うので、やはり一番はホッとしたと言いますか、「出場枠が取れた!」という気持ちでいっぱいでしたね。

しかし7月末の大会本番まであと2〜3ヵ月しかないという状況だったので、緊張とプレッシャーに押し潰されそうになったり、怪我をしてしまい思うように練習ができなかったりと、苦しい時期もありました。

ただ、日本でひとりという代表枠。代表に選ばれた限りは、「絶対に結果を出さないといけない」という気持ちでその期間は、なんとか食らい付いていましたね。

ロンドン五輪(柔道)では、決勝戦でイサエフ選手(ロシア)に敗れはしたものの、銀メダルを獲得することができました。

初めは、決勝で負けたあとの表彰式だったので、すごく悔しいという気持ちがありましたね。しかし試合が終わったあと、自分以上に喜んでくれる人達の様子を見て「金メダルじゃなかったけど、銀メダルが獲れて良かったな」という気持ちに変わりましたね。応援して下さる皆様のためにも「また次を目指そう」と決意することができました。

すごい選手と戦ってきたことを柔道人生で活かしたい

すごい選手と戦ってきたことを柔道人生で活かしたい

2015年4月の選抜体重別は3位。柔道ワールドマスターズ・ラバトでも準決勝でタタラシビリ選手(ジョージア)に敗れ3位。8月の世界選手権では準決勝までの5試合を一本勝ちで勝ち上がりましたが、大野選手に技ありで敗れて2位でしたので、世界選手権3度目の優勝はなりませんでした。

世界選手権のとき、決勝までは全部一本勝ちで、全試合の決着が2〜3分で付いていたという状況。調子が良かったのは私の方でした。逆に大野選手の方が苦しい勝ち上がりだっただろうと思うのですが、コンディションが良くない状態でも力が出せるというところが大野選手の長所なのだと思います。

それに勝ちきれなかったのは、私の力不足。あと一歩のところで力を出せなかったことを、今でもすごく悔やんでいますね。

2015年は「もう少しのところで優勝を逃す」というケースが多かったです。当時を振り返ると、前年の2014年の世界選手権で優勝していたため、やはり「ディフェンディングチャンピオン」というプレッシャーもあったのでしょうね。

そしてその翌年、2016年4月の選抜体重別でも大野選手に敗れ、リオデジャネイロ五輪(柔道)の代表には選ばれませんでした。自分が代表から外れるということは、大野選手に負けたときには思っていたことなので、そこはしっかり心の整理をして次の目標に向かっていました。

また、補欠という立場だったので、「選手が怪我をしたときには出る、という準備もしっかりしておかなければ」と。それはプロとして、しておかないといけないことだと考えていました。

結果的に大野選手は世界一になって、五輪(柔道)のチャンピオンになりました。「そんなすごい強豪選手と、今まで戦ってこられた」ということは、すごく自分の経験値になったとは思うので、これからの自分の柔道人生で活かしたいです。

2017年ブダペスト世界選手権の団体戦

2017年ブダペスト世界選手権の団体戦

2017年ブダペスト世界選手権の団体戦では、個人戦での出場はできなかったものの、団体戦のメンバーとして選出されました。団体戦での結果は1勝1敗。チームとしては男子の中で一番年上だったので、監督から「チームを引っ張っていく役目をやってくれ」と頼まれていました。

自分が負けたときも雰囲気を壊さないようしっかり声を出して、自分が試合に出ないときも選手を後押しするようなことができたかな、とは思っていますね。そして、皆でチーム一丸となって優勝できた、あの金メダルは嬉しかったですね。

73kg級から81kg級への階級変更

73kg級から81kg級への変階級更

ブダペスト世界選手権の大会後に階級を73kg級から81kg級へと変更することを公表しました。

これは、世界選手権のときもそうですが、ここ1〜2年ずっと力が出し切れてなくて負けることが多かったためです。その敗因として、過度な減量などがあります。

73kg級で中学生のときから、もう14年くらい戦っているんです。だから、そのままの階級で筋力を整えながら落とすというのは厳しいと思ったんです。

自分ひとりでは決めがたかったので、現在の監督や、以前お世話になった監督と相談しました。そのときに、「そんな状態なら思い切って階級を上げて自分の力が出せる階級で戦った方が良いんじゃないか」と言われたので、「チャレンジしてみようかな」と思い、最終決断に至りました。

73kg級で戦うとどうしても減量も必要ですし、世界戦でチャンピオンになった経験が、プレッシャーとなって襲ってくるため、階級を変えれば何もない場所で「チャレンジャー」として戦える、今までなかったシチュエーションで戦おうと考えています。「思い切って戦えるかな」と思って決断しました。

81kg級には、リオデジャネイロ五輪(柔道)銅メダリストの永瀬選手などの有力選手もいますが、どの階級にもそういった存在はいると思うので、頑張っていきたいですね。

これからシニアの大会で勝ち続けるためには、階級が上がれば力も上がるだろうし、73kg級よりリーチの長い選手も多いと思うので、それに対応した戦い方も考えていかないといけないと思っています。

私が今できることは、今まで培った経験を活かして、海外勢とどうやって戦っていくか、まずは国内大会で勝たないといけないのですが、体力面より技術面で補っていけたらと考えていますし、技術を活かして戦っていこうと思っています。

東京五輪(柔道)の前にすべきこと

東京五輪(柔道)の前にすべきこと

2020年東京五輪(柔道)までにはあまり時間がないですが、その前に倒さないといけない選手がたくさんいるし、直近の目標はまず81kg級で全日本強化選手になること。

そのためにはやはり結果が求められるので、ひとつひとつの大会でしっかりと結果を出して、「81kg級でも勝てるんだ」ということを全日本の監督に示したいですね。

インタビュー:2017年10月

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兄の背中を追うように、幼稚園の頃に柔道を開始。初めは遊び感覚で「自分が勝てない女の子に勝てたら辞める」という条件だったそう。しかし今では、「勝てても辞められなくて今までずっと続けてきました」と笑いながらふりかえってくれた中矢選手。数多い栄光と、ライバルからの敗退などで味わわされた挫折。その挫折は非常に辛いものだったに違いありません。階級も、中学生の頃から14年間キープし続けた73kg級から81kg級に上げることを公表しました。栄光のプレッシャーがない階級で、新世界へのチャレンジです。
柔道チャンネルの著名な柔道選手インタビュー。中矢力選手の今の声をどうぞお楽しみ下さい。

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