「中村美里」著名な柔道選手インタビュー

  

中村美里(第2回)

リオデジャネイロ五輪(柔道)女子52kg級で、銅メダルを獲得した中村美里選手。
北京、ロンドン、リオデジャネイロと3大会連続で出場した国際五輪(柔道)に対する思いや、左膝の手術によってもたらされた心境の変化について語って下さいました。

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左膝の手術とリハビリ

左膝の手術とリハビリ

2012年のロンドン五輪(柔道)を終えてから、左膝前十字靭帯の再建手術に踏み切りました。

この時点では、まず「現役を引退するか否か」の瀬戸際でしたので、2016年のリオデジャネイロ五輪(柔道)に出場しようという考えは持っていなかったです。

手術後の2〜3ヵ月間にわたるリハビリ期間は、私にとって良いリフレッシュになりました。この期間には柔道以外のスポーツを観戦したり、自分自身でもそのスポーツに挑戦してみたりと、色々な刺激を求めて行動していましたね。

柔道から長期間離れるのは初めてだったので、「柔道」という競技を外側から見つめ直す、とても新鮮な経験をすることができました。

ロンドン五輪(柔道)と、柔道から離れていた期間に学んだこと

ロンドン五輪(柔道)と、柔道から離れていた期間に学んだこと

ロンドン五輪(柔道)のときは、ひとつのことについて考えすぎていたり、集中しすぎていたりした部分があったと思います。

ロンドン五輪(柔道)の初戦で対戦したアン・グメ選手(北朝鮮)の研究に関しても、相手に対してある一定の対策しか考えていなかったと言いますか、「もしかしたら相手がこれまでにない攻撃をしてくるかもしれない」という可能性を考えず、自分が今まで見てきたアン・グメ選手に対する対策しか行なっていませんでした。

手術とリハビリで柔道から離れてみて、初めて考え方の幅が広がり、様々な角度から物事を見られるようになったと思います。

リオデジャネイロ五輪(柔道)への思い

リオデジャネイロ五輪(柔道)への思い

手術をした直後は出場を目指していなかったリオデジャネイロ五輪(柔道)ですが、復帰して試合を重ねるうちに「挑戦したい」という気持ちが生まれました。

リオデジャネイロ五輪(柔道)代表に選出されたときには、「やっと掴んだ」という気持ちでしたね。しかし、代表入りが決まった時点で安心してしまっていたロンドンのときと違って、今回の代表入りは「まだ通過点」という感覚でした。

ロンドン五輪(柔道)からリオデジャネイロ五輪(柔道)までの4年間で、しっかりと追い込んで練習ができた期間は2年程でしたが、その2年間はとても充実した時間だったと思います。リオデジャネイロ五輪(柔道)には、心・技・体すべてが最高の状態で臨めました。

自分らしく勝利した初戦

自分らしく勝利した初戦

リオデジャネイロ五輪(柔道)の初戦は、ツォルモン・アディヤサンブー選手(モンゴル)との対戦。私らしい、粘り強い戦い方で勝利できたと思います。

準々決勝のナタリア・クジュティナ選手(ロシア)との試合はゴールデンスコアに突入し、8分弱という長い試合になりスタミナ的には辛かったのですが、相手選手の方が私より辛そうにしていたので、「絶対に勝つ」という強い気持ちを持って戦いました。

巻き返しを図れなかった準決勝

巻き返しをはかれなかった準決勝

マイリンダ・ケルメンディ選手(コソボ)との準決勝については、試合前から「ここが山だな」と思っていました。奥襟を掴み力強い技を掛けてくる選手なので、相手の得意とするその形に持ち込ませないようにすることと、私の得意な足技を多く繰り出していくことを心掛けて対策を練っていましたね。

ですが序盤で一度奥襟を取られてしまい、そこでの指導が最終的に勝敗を分ける形となり敗退してしまいました。「序盤で指導を取られたあとに取り返せなかった」、それがその時点での私の実力だったのかなと思います。

試合が終わった瞬間は、すぐに現実を受け入れられなかったせいか、負けたことへの実感はあまりなかったです。そのあとすぐに酸欠になってしまい、悔しがっている余裕もないまま敗者復活戦に向かうことになりました。

アウェイでの戦いとなった3位決定戦

アウェイでの戦いとなった3位決定戦

準決勝で力を出し切ったために体力の消耗が激しかったのですが、すぐに3位決定戦に向かわなければならず、あまり気持ちを切り替えることはできていませんでした。

入場する直前まで集中できず、さらに対戦相手が地元のエリカ・ミランダ選手(ブラジル)だったため、ブラジルの応援団の声がとても大きく聞こえていましたね。

しかしいざ試合が始まると、日本側の声援の方が耳に届くようになり、試合中はブラジル側の応援もブーイングも気にならなかったです。

試合は大内刈りで勝利しましたが、勝敗が決まった瞬間は自分のポイントかどうか分からなかったので、寝技で攻め続けました。私が技を掛けたのと同時に相手もなにか技を出そうとして、同じタイミングで倒れたという感覚があったので、「これを有効と判断してはいけない」と思ったのです。

審判の方に声を掛けられて「やっと終わった」と思いましたね。ですから、勝利を確信した勝ち方という訳ではありませんでした。

「勝利」に対する感情

「勝利」に対する感情

私の中では、一本での勝利でも、勝ちを確信できない状態での勝利でも、喜びの気持ちはあまり変わりません。

私は普段からあまり豪快に投げることをしないので、投げて一本を取ったときは喜びよりも先に驚きの感情が生まれます。驚きから徐々に喜びに変わるので、あまり表情の変化がないと言われてしまいます。でも、心の中では喜んでいますよ。

あとは、勝利したあとでもすぐに試合の反省点について考えてしまうので、それも表情が変わりにくい理由かもしれません。

3大会を経験して

3大会を経験して

これまでに北京五輪(柔道)、ロンドン五輪(柔道)、リオデジャネイロ五輪(柔道)の3大会を経験しましたが、同じ大会のはずなのに全く違うもののように思えます。

初めて出場した北京五輪(柔道)のときは、その舞台のすごさも知らずに、若さと勢いで「金メダルが獲りたい」と言っていただけだったと思います。

その後「金メダルしか狙わない」という気持ちで挑んだロンドン五輪(柔道)では初戦敗退を喫し、怪我のため出場できるか分からなかったリオデジャネイロ五輪(柔道)では、充実した練習を経て最高の状態で出場することができました。

やはり北京五輪(柔道)での銅メダルよりも、様々な経験をしたのちに獲得した、リオデジャネイロ五輪(柔道)での銅メダルの方が重みはありますね。

4年後の東京五輪(柔道)について

4年後の東京五輪(柔道)について

リオデジャネイロ五輪(柔道)への出場を目標にしてきましたし、次の目標も決まっていないので、今すぐに「東京五輪(柔道)出場を目指します」とは正直言えないですね。

ですが次の目標を定め、その上で東京五輪(柔道)に出場できる可能性があるならば、ぜひ出場したいと思っています。

 

インタビュー:2016年9月

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東建グループがお届けする柔道情報サイト「柔道チャンネル」では、リオデジャネイロ五輪(柔道)を終えた選手・監督のインタビューを一挙公開!今回は、リオデジャネイロ五輪(柔道)女子52kg級で銅メダルを獲得した中村美里選手にお話を伺いました。2008年の北京五輪(柔道)に19歳の若さで出場し、見事銅メダルを獲得した中村美里選手。しかしその後、2012年のロンドン五輪(柔道)での初戦敗退や、左膝の怪我など、苦しい経験を強いられることとなります。そんな苦難を乗り越えて出場したリオデジャネイロ五輪(柔道)でのエピソードや、北京・ロンドン五輪(柔道)からの心境の変化、そして左膝のリハビリ期間に感じたことなど、たっぷりと語って頂きました。
柔道好き必見の、中村美里選手インタビュー。ぜひお楽しみ下さい。

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