「松本薫」著名な柔道選手インタビュー

  

松本薫(第2回)

リオデジャネイロ五輪(柔道)女子57kg級で銅メダルを獲得した松本薫選手。
リオデジャネイロ五輪(柔道)での心境や、2020年の東京五輪(柔道)に対する思いを語って下さいました。

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幼少の頃から始めた柔道

幼少の頃から始めた柔道

先に柔道を始めていた兄弟に影響され、6歳になる少し前から岩井柔道塾に通い始めました。母親がお菓子をくれると言うので、それに釣られて柔道を始めた部分もありましたね。

岩井柔道塾はとても厳しい道場で、最初の半年間はずっと受身の練習をしていました。加えて週に1度、レスリングを取り入れた練習を行なっていましたね。

私の前傾姿勢のプレースタイルは、このとき学んだレスリングの構えに影響を受けていると思います。この練習のおかげで、寝技も少しずつ上達していきました。

学生時代のエピソード

学生時代のエピソード

高校は藤村女子高校に進学し、柔道の練習は三井住友海上の練習場を借りて実業団の方々と一緒に行なっていました。

ですが私には三井住友海上の柔道スタイルが合っていないと感じたので、高校2年生のときに金沢学院東高校へ編入し、そのあと再び上京して帝京大学に進学しました。

2008年の北京五輪(柔道)で補欠に選ばれ、このときから国際五輪(柔道)への出場を意識し始めました。「補欠に選ばれたということは、あと一歩で正式出場ができたということだ」と思い、2012年のロンドン五輪(柔道)は本気で出場を狙いにいきましたね。

燃え尽き症候群を救った父の言葉

燃え尽き症候群を救った父の言葉

ロンドン五輪(柔道)で金メダルを獲得するという目標を達成してからは燃え尽き症候群のような状態で、柔道に対して「もうお腹がいっぱいだ」と思っていたんです。

だから「自然にお腹が空くまで待ってみよう」と考え、1年程休養を頂きました。練習はしていましたが試合には出場せず、じっくり柔道と向き合う時間を過ごしていましたね。

休養を終えて、本格的に2016年のリオデジャネイロ五輪(柔道)に向けた練習を始めたのですが、やはり心にぽっかりと穴が空いているような状態でした。

そんなある日、私が趣味で読んでいた人間の心理に関する本を偶然父に見られ、とても心配されてしまったんです。「人とは何か」、「なぜ人はうつ病になるのか」といったテーマの本が机の上にたくさん積まれていたので、父は「娘が精神的に追い詰められているのではないか」と勘違いしてしまったんでしょうね。

そのとき父は私に、「俺をリオデジャネイロ五輪(柔道)に連れて行ってくれ」と言いました。 私は別に悩んでいた訳ではなかったのですが、父親なりに私のことを励まそうとしてくれたのだと思います。

その言葉で、「リオデジャネイロ五輪(柔道)出場を目指そう」という決意が固まりました。

リオデジャネイロ五輪(柔道)出場までの心境

リオデジャネイロ五輪(柔道)出場までの心境

2016年4月の全日本選抜柔道体重別選手権大会では準決勝で敗退してしまいましたが、そんな状況でもリオデジャネイロ五輪(柔道)代表に私を選んで頂きました。

試合に負けてしまったことは私のミスですし反省と後悔の念が強くありますが、その分リオデジャネイロ五輪(柔道)では「きちんとチームを引っ張り、メダルを獲得するしかない」と思いましたね。

ロンドン五輪(柔道)代表に選抜されたときは、ただがむしゃらに前だけを見ていたので、大会に向けて何かを深く考えることはありませんでした。ですがそこから様々なことを経験してきましたし、リオデジャネイロ五輪(柔道)に向けてはとても冷静に、「大会当日まで何をすべきか」ということを考えることができたと思います。

リオデジャネイロ五輪(柔道)の直前に出場した「柔道ワールドマスターズ・グアダラハラ」では敗退してしまいましたが、リオデジャネイロ五輪(柔道)に向けて新しい調整練習やルーティンを試している時期だったので、特に不安になることはなかったですね。

初戦・準々決勝を振り返って

初戦・準々決勝を振り返って

リオデジャネイロ五輪(柔道)当日は、準決勝で敗退するまでずっとプレッシャーを感じ、緊張状態が続いていました。

しかしそんな中でも、初戦のズルイアアブゼッタ・ダボンヌ選手(コートジボワール)との戦いではしっかりと寝技を活かして冷静に勝利できたので、それが良いウォーミングアップになったと思います。

準々決勝で対戦したオトーヌ・パヴィア選手(フランス)は長年競い合ってきた選手で、「今回も苦戦を強いられるだろうな」と思っていましたね。最初は指導の差による優勢勝ちを狙っていましたが、終盤に「これは投げにいかなければ勝てない」と作戦を切り替え、最後の最後に袖釣込腰で勝利することができました。

リオデジャネイロ五輪(柔道)準決勝の敗因

リオデジャネイロ五輪(柔道)準決勝の敗因

「ここが大きな山になる」と感じていた準々決勝を制したことで、準決勝で油断が生まれてしまったのだと思います。

ドルジスレン・スミヤ選手(モンゴル)に1回目の背負い投げを仕掛けられたときも、「このくらいなら大丈夫だ」と思ってしまいました。本来、競技には試合が終わるまで「大丈夫」と言える瞬間などないはずなのですが、1度大丈夫だと思ってしまうと技や反応などすべての感覚が鈍くなってしまうんです。

そういった気の緩みが、敗因だったと思いますね。

敗北から学んだこと

敗北から学んだこと

リオデジャネイロ五輪(柔道)3位決定戦では、レン・チンレイ選手(台湾)に小内巻込で勝利しました。

試合が終わった瞬間は「終わった」という気持ちになっただけで、銅メダルを獲得したことに対して嬉しいとは思えませんでしたし、「なぜ準決勝で油断してしまったのだろう」という悔しさしかなかったです。その気持ちは現在も変わりません。

ただ、もし私がリオデジャネイロ五輪(柔道)でまぐれのように金メダルを獲っていたとしたら、ただ単純に喜ぶだけで、きっと今後の柔道に深みは出なかったと思います。物事の考え方にも深みが出ず、人の気持ちもあまり分からないまま、「勝利したのだから私のやってきたことが正しかった」と考えてしまうだろうと思ったんです。

スポーツの世界では勝者の言うことが正当化されてしまうし、ロンドン五輪(柔道)に続いてリオデジャネイロ五輪(柔道)も制してしまったら、私は人の言うことをどんどん聞かなくなっていたのではないかと感じます。そう思うと今回の結果は、ひとりの人間としては良かったのかもしれません。

東京五輪(柔道)に対する思い

東京五輪(柔道)に対する思い

2020年の東京五輪(柔道)は、応援して下さっている方々により近くで試合を見て頂ける特別な機会なので、やはり出場したいなとは思っています。

リオデジャネイロ五輪(柔道)での試合を見た方々から、「松本選手の試合を見ていたら勇気が出ました」とか「受験勉強で挫けそうになっていましたが、もう少し頑張ろうと思えました」といった声を頂いたことで、「自分のためだけにやっていた柔道が、大勢の方のための柔道に変わったんだ」と思えて、とても嬉しかったんですよね。

そんな方々に近くで試合を見て頂きたいですし、東京五輪(柔道)に出場することで皆さんが頑張るきっかけを作れたら良いなとは思いますね。

ただ、東京五輪(柔道)出場を目指すためには様々な覚悟が必要で、辛い練習にも耐えなければなりません。

その辛さを乗り越える覚悟ができたときにはきっと自然に頑張れるでしょうし、頑張り始めるのが遅くて東京五輪(柔道)に間に合わなかったとしても、それならそれで、「そこまでの柔道人生だったのだろう」と思いますしね。

それでもとにかく今は、「東京五輪(柔道)に出場したい」と考えています。

 

インタビュー:2016年10月

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東建グループがお届けする柔道情報サイト「柔道チャンネル」では、リオデジャネイロ五輪(柔道)を終えた選手・監督のインタビューを一挙公開!今回は、リオデジャネイロ五輪(柔道)女子57kg級で銅メダルを獲得した松本薫選手にお話を伺いました。6歳になる前から柔道を始め、国際大会を7大会連続で優勝するなど圧倒的な強さを見せてきた松本薫選手。2012年にはロンドン五輪(柔道)に出場し、見事金メダルを獲得しました。しかし大きな目標であった金メダル獲得を達成したことで、心に穴が空き燃え尽き症候群のような状態になった松本薫選手を救ったお父様とのエピソードや、リオデジャネイロ五輪(柔道)での心境、そして2020年の東京五輪(柔道)への思いも語って頂きました。
柔道好き必見の、松本薫選手インタビュー。ぜひお楽しみ下さい。

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