著名な柔道家インタビュー

  

金丸 雄介1/2

 
   

現在は、全日本男子ジュニアと、所属の了徳寺学園にて後進の育成に取り組み、さらに柔道大会のテレビ解説も行なっており、多忙な毎日を送っている金丸雄介さん。
そんな金丸雄介さんに柔道との出会いや学生時代のエピソード、これからの活動などを中心にお話を伺いました。

   
 

柔道との出会い

柔道との出会い

兄は運動が苦手でした。それを親が心配し、スポーツクラブみたいなものを探していたときに、鶴来坂田道場とご縁があり、兄と一緒に私もお世話になることになりました。

始めたときは、走ったり、転がったりと、楽しく遊びながら基本的なことや、礼節を学びましたね。

親類には柔道をやっている者がおらず、ましてや親も当時は柔道を全く知らず、楽しく柔道をやっているなとしか思っていなかったと思います。 当時は、学校が終わって、道場に通うのがパターンとなっておりました。

4年生のとき県で2位になりましたが、当時はプレッシャーに弱く、翌年の同大会では、負けたくないという緊張からかお腹が痛くなり、試合ができないと言って、先生を困らせたのを覚えております。

柔道に明け暮れた中学校時代

中学生になってから、ラグビーをやりたいと思った時期があったのですが、中学校にはラグビー部がなく、結局、「柔道部でいいや」って(笑)。そういった経緯で中学校から本格的に柔道を始めました。

当時は、柔道漬けの思い出ばかりです。柔道部に朝練がなかったので、朝早く学校に行き、自主的にトレーニングをし、練習後も柔道の雑誌を読んだり、全国の強い中学校や、高校の記事を読んで、練習内容を振り返り、襟を正していました。

中学校2年、3年では全国中学校柔道大会に出場しています。やはり出場するからには優勝したい気持ちが強かったのですが、優勝できず悔しい思いをしました。

中学校の後輩で全日本柔道連盟日本代表の森下純平選手がおります。森下選手は、高校は違いますが、大学は同じ筑波大学。道場も同じで、森下選手が小さい頃、道場の先生から、「こいつ(森下選手)は、強いんだよ。」ってよく聞かされていました。

勉強か、柔道かで悩んだ高校進学

勉強か、柔道かで悩んだ高校進学

高校は柔道の強豪、石川県立津幡高校出身です。実は当時、津幡高校に進学するのも迷っておりました。

自分が柔道の日本代表になるとは思っていなかったし、親も柔道だけでは不安だった様で、「柔道だけでなく勉強もしっかりできるところに行きなさい」と言われていたのですが、高校の先生に熱く説得されて、「柔道をやる」と決意し、津幡高校に進学しました。 体育科だったので、普通科と全く別の授業形態で体育系の勉強が多いクラスでした。

文武両道ではないのですが、親の不安を解消するために勉強もさせて下さいと条件付きで入学させて頂き、体育の時間を半分削って勉強に充て、6限までしか授業の無いところを7限目として補講を行なってもらい、少し遅れて柔道部の練習でしたが、自分で言った手前頑張りました。 そして、筑波大学に推薦で入ることができたのです。柔道による推薦なので、高校のときの勉強は意味が無かったかも知れません。 ですが、高校の3年間頑張ったことが継続力として身に付いたので良かったと思っています。

得意技の背負投

得意技の背負投

得意技の背負投は最初、道場の先生に教えて頂いたのですが、その後はアドバイスを聞くぐらいで、友達や先輩にコツや問題点などを聞いたりしていました。高校、大学では、誰かがやっているのを真似するのが多かったです。 内股は練習しましたが、どうしてもできず、難しくて感覚的につかめませんでした(笑)。

肩を怪我してから、背負投ひとつにしても色々と工夫しました。ですので、よく見ると年代ごとに、背負投までの入り方が違ってるんです。 もともと、高校一年生のときまで60kg級だったので、動きが早かったんですよ。なので、73kg級に上がっても早い動きをしようと心掛けていました。

北京オリンピック後に引退

北京オリンピック後に引退

アテネオリンピックで日本代表の座を逃がしており、日本代表に選ばれた北京オリンピックでは、29歳。年齢的にもこれが最後のオリンピック、最後の試合だという決意で臨んだ大会です。

それまで、いい感じで調整ができており、何が何でも金メダルを獲るんだという気持ちでしたので、一回戦敗退だったときは、絶望感で一杯でした。

敗者復活戦までの間、かなり時間が空き、怪我もしており、このあと試合ができるのかなとテンションが下がっていましたね。 ですが、それまで色々な方にお世話になっていましたし、高いお金を払って、北京まで応援に来てくれた方々に申し訳ないので、試合ができるのであれば、どんな形でも良いので、最後まで試合をしようと思いましたが、敗者復活戦でも敗退。最初で最後のオリンピックの挑戦が終わり引退しました。

コーチの理想形

コーチを始めて三年になりますが、一年目にシニアから日本代表に送り出した山本浩史選手や、森下純平選手、西山大希選手、高木海帆選手達が、ナショナルで活躍してくれたので、うまくいったのではないかと思っております。まだコーチとして勉強中ですが(笑)。

ただ私は、コーチとしてすごく良い環境にいます。ナショナルでは篠原監督の下、シニアでは西田先生、賀持先生、持田先生、ジュニアにも少しかかわりがありますので大迫先生、さらに所属の了徳寺学園では、山田監督の下、コーチの勉強をさせて頂いてます。 このような環境の中で、こういったやり方があるんだなと色々な方の真似をするというか、いい所だけをとって、理想の形を創っていきたいなと思っています。

ナショナルの篠原監督の指示は、あいまいというか、ぼかすところがないんですよ。お前はこうだからこうしろとはっきり言われるんです。言い方が悪いかも知れませんが、そういった強制する指導方法も大事なんだと感じます。 ですが、共通して言えることは100%選手思いじゃないとダメだと言うことです。すべての情熱を選手に注がないといけない、そこは絶対に必要です。

国際ルールを補う、国内ルール

国際ルールを補う、国内ルール

現在、国内で行なっている柔道大会のほとんどが、国際ルールで行なわれており、一本化されてきています。

これは、全日本柔道連盟の上村会長や、関係者のご尽力の賜物だと思いますし、私もいいことだと思います。 ただ、国内ルール(講道館ルール)は、消滅させないで残しておかなければいけない要素が、たくさん入っています。

国際ルールの変移が激しいので、訳が分からなくなることが出てきます。そんな行き詰まったときに国内ルールを見直して、どこが良かったと振り返ることができるように、残しておくべきだと思います。

 

インタビュー:2011年12月

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