「影浦心」著名な柔道選手インタビュー

  

影浦心

2017年の柔道グランプリ・デュッセルドルフでは、リオデジャネイロ五輪(柔道)の銀メダリスト・原沢久喜選手を敗り優勝。さらに2018年の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会でも優勝するなど、男子100kg超級における活躍が注目されている影浦心選手。現在に至るまでの経歴や、思うように結果が残せない時期の打開策、そしてこれから控えている東京五輪(柔道)への目標などを語って頂きました。

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友達に連れられ始めた柔道

友達に連れられ始めた柔道

母がバレーボールチームに所属していたのですが、小学4年生の夏頃、そこで知り合った同じ学校の友達から「一緒に柔道をしよう」と誘われて、松前柔道会の道場に連れて行ってもらったのが、柔道を始めたきっかけです。

柔道を始めたばかりの頃は、基本的な受身の練習から礼儀作法まで教わりました。礼儀作法を教わっても「こういうものなんだ」とすんなり受け入れていたと思います。しかし、受身の練習で頭を打って痛い思いをしたせいで、最初は柔道にあまり良い印象はありませんでした。

他のスポーツはしていませんでしたが、当時、父がラグビー選手だったこともあり、一緒に練習に付いて行き、タックルをして遊んでいましたね。ただこれは、柔道に活かすというよりは、遊びの延長のような感じでした。

柔道に本気で取り組みたいと思った県大会

柔道に本気で取り組みたいと思った県大会

弟と一緒に柔道を始めたのですが、よく試合に勝っていたのは弟。弟とは違い、自分は女子にも負けるほどで試合に勝てない日が続きましたね。

それでも、中学に進学してからも柔道を続けようと思い柔道部に入部。中学1年生の新人戦で、初めて県大会で優勝したのです。自分の中では、県大会とはいえ初めてチャンピオンになれたので、柔道を途中で投げ出さずに続けてきて良かったと思いました。

この頃から柔道がすごく楽しいと思えるようになって、授業中も道場に行くのが待ち遠しいくらいでしたね。

柔道を通してたくさんの刺激を得た中学時代

柔道を通してたくさんの刺激を得た中学時代

中学校に入学したときは73kg級だったので、まずは試合までにウエイトが増やせるようにたくさん練習し、たくさんご飯を食べるようにしていました。

部活の練習とは別に、週3回は松前柔道会での練習も継続し、投げ技を中心に練習。中学3年生のときに出場した大会で、背負い投げをかけた際に両膝着きで注意を取られて負けてしまったことがあったので、一本背負いを決めることができるよう、真剣に取り組みました。

中学最後に、初めて全国大会に出場。全国中学校柔道大会では、ベスト8に終わってしまいましたが、何も分からない状態からここまで勝ち進めたのは嬉しかったですね。

この結果から、全日本柔道連盟の強化選手にも選んで頂き、毎月1回東京で合宿をして、色々な選手から刺激を貰う機会を得ました。合宿を通して「このままではいけない」と気付くことができるようになったなど、プラスになることが多かったです。

ハードな練習に耐え抜いた高校時代

ハードな練習に耐え抜いた高校時代

全国中学校柔道大会が終わってから、国士舘高校をはじめ色々な高校からスカウトを頂きました。その中から進学先は新田高校に決定。父が新田高校の出身ということや、中学生の頃から新田高校の監督にお世話になっていたことが大きな理由です。実際のところ、地元でも強くなれるという気持ちもありました。

新田高校の練習はとてもハードで、毎日練習についていくことに必死でしたね。軽量級が育つと言われる新田高校の練習メニューは、毎日300mトラックをダッシュで5・6本走り、さらにそこから坂と階段をダッシュするという、重量級にはちょっと信じられないようなトレーニングだったのです。体重が落ちてしまわないように、必死で食事を取り続ける日々。そんな練習を続けた結果、高校を卒業する頃には、軽量級と同じスピードで走れるようになっていました。

これまでにない悔しさを噛み締めたインターハイ

これまでにない悔しさを噛み締めたインターハイ

新田高校2年生のときに出場した全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会(以下、インターハイ)で3位入賞。この頃から自分の中で着実に力が付いていると感じるようになりましたね。

また、大学の進学先もその頃から考えるようになったのですが、1年生のときから憧れていた東海大学の監督から声を掛けて頂いたときは本当に嬉しかったですね。それからは、東海大学に入学したい思いで練習に取り組みました。

ところが、3年生のインターハイでは2回戦敗退。東海大学の入学は決まっていたものの、特待制度の条件が「インターハイ優勝」ということや、最後の試合で結果が残せなかったことがすごくショックで…。喪失感というよりは絶望感に近く、畳から立ち上がることもできないほどでした。

そんな自分に、監督が「影浦はここで終わる選手じゃない」と声を掛けてくれたことを今でも良く覚えています。

怪我から見えた新たな柔道スタイル

怪我から見えた新たな柔道スタイル

高校を卒業してから、初めての寮生活などで環境が大きく変わりましたが、絶対に日本代表になるという決意を胸に入学をしました。

しかし入学していきなり、全日本柔道選手権大会の3週間くらい前に両靭帯切断をしてしまったのです。そのまま大会に出場したあと、4ヵ月ほどのリハビリ生活を余儀なくされました。

怪我をしているときに周りの重量級選手の練習を見ていると、このままでは自分は勝てないと考えるようになり、この怪我をきっかけに、自分の柔道スタイルを180度変えることを決意。体が全然できていなかったので、怪我をしているときはウエイトトレーニングで体を大きくするように取り組みました。

さらにこれまで内股や大外刈りといったオーソドックスな技を中心に戦っていましたが、背負い投げなど、どちらかと言えば軽量級が得意とする技や柔道スタイルにチェンジしたのです。

名だたる先輩との試合で得たもの

名だたる先輩との試合で得たもの

大学3年生のときに柔道グランドスラム東京2016に出場しました。自分は、欠場選手が出ての補欠上がりだったため、出場も一週間前に決まったような状況。失う物は何もないと思い、胸を借りるつもりで思い切り試合に挑みました。

そのとき、決勝戦で対戦したのが東海大学で3年先輩の王子谷剛志選手です。同じ大学とは言え、一緒に練習したこともなかったので、相手の手の内が読めず、ただの同門対決という感じでした。

自分の中では、すぐに勝負が付いてしまうのではないかと思っていたのですが、試合時間5分いっぱいの優勢負け。負けたとは言え「ここまで自分は戦える」という自信になりましたね。

銀メダリストに勝利し、手にした優勝

銀メダリストに勝利し、手にした優勝

大学3年生で初めて全日本選抜柔道体重別選手権大会(以下、選抜体重別)に出場。大会は一回戦で原沢久喜選手と初めて試合をして、3分くらいで一本負けしました。

その後、原沢選手が、リオデジャネイロ五輪(柔道)で銀メダルを獲得。その原沢選手と2017年の柔道グランプリ・デュッセルドルフで再び対戦し、勝利。嬉しかったですよ。この勝利や大会優勝の経験は、自分の柔道により自信が付いたことを覚えています。

今では海外選手や実力ある日本選手と戦いを重ねてきたことで、背負い投げを自分の物にし、試合でも「今攻めたら有利な立場になる」とか「ここで引いたらまずい」といった具合に、冷静な分析もできるようになりました。

社会人と柔道の両立

社会人と柔道の両立

日本中央競馬会所属の社会人になったことで、自分や柔道を取り巻く環境は本当にがらりと変化しました。

まず会社の研修が始まると、当然研修に参加しながらの練習。すぐに選抜体重別が控えていたので、この両立には戸惑いや焦りを感じましたね。

それまでは柔道のことだけを考え、まっすぐに取り組むことができる環境で過ごしていただけに、社会人になったばかりの頃は、柔道の時間が上手く取れないこともあって、柔道に楽しく取り組めなかったのが正直なところです。

体の小ささを活かした、自分だけの強み

体の小ささを活かした、自分だけの強み

2018年の第18回アジア競技大会 柔道競技には団体として出場したものの、個人戦では出場できなかったことがとても悔しかったです。

同年の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で優勝。そのまま波に乗って柔道グランドスラム大阪2018も優勝したかったのですが、2017年に負けていたチェコのクルパレク選手に再び負けてしまいました。

この結果、自分が成長していないのではないかと追い込みましたね。柔道ワールドマスターズ・広州も、これまで海外で開催された大会では入賞し続けてきたのに、初めて入賞できなかった大会となってしまい、やりきれない気持ちで一杯でした。

今後の目標について

今後の目標について

100kg超級には様々な選手がいます。自分の場合は、体格の小ささを利用して背負い投げを軸にした試合展開ができる点や、技の受けのバランスやスピード、抜き技でも、同じ階級では負けていないと思っています。

東京五輪(柔道)は絶対に出場したいので、死に物狂いで練習に取り組んでいます。特に今はスタミナと組み手の強化に注力し、「絶対負けられない」という気持ちで追い込みをかけている感じです。

代表争いをしている選手は、皆当然必死で練習をしているので、その中で最後に差を付けられるところは「絶対東京五輪(柔道)に出る」という気持ちの強さだと考えています。気持ちの強さで勝った選手こそ、東京五輪(柔道)の畳に上がることができると思うので、そこだけは他のライバル達には絶対負けたくないです。

インタビュー:2019年3月

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今回著名な柔道選手としてインタビューしたのは、男子100kg超級にて活躍する影浦心選手です。幼い頃に友達に連れられて始めたという柔道。中学1年生のときに県大会で優勝し、本気で柔道に取り組むようになると、高校時代はハードな練習にも耐えて実力を付けていきました。大学入学と同時に怪我をしてしまい、戸惑いや焦りを覚える中でも、影浦選手ならではの方法でスランプに打ち勝つ姿は、多くの選手の励みになるのではないでしょうか。国内外問わず、多くの選手に勝利する影浦選手の幼い頃から現在、これからに至るまでのインタビューをご覧下さい。

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