「園田教子」著名な柔道家インタビュー

園田教子氏 全日本柔道女子ジュニアコーチ

2010年3月に全日本女子ナショナルチームの園田隆二監督と結婚。現在は、全日本女子ジュニアコーチと主婦業、所属の警視庁と三足のわらじを履き、多忙な毎日を過ごされている園田(旧姓:阿武)教子氏。

女子選手としては初の柔道三冠(五輪(柔道)世界柔道選手権大会皇后盃全日本女子柔道選手権大会で優勝)を達成した柔道人生を中心にお話をお伺いしました。

園田教子氏

プロフィール

  • 生年月日:1976年5月23日 出身地:山口県萩市身長:162cm
  • 主な戦歴

    • 1992年 | 福岡国際女子柔道選手権大会 無差別級 3位
      1993年 | 世界柔道選手権大会(カナダ:ハミルトン) 72kg超級 2位
       | 皇后盃全日本女子柔道選手権大会 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 72kg超級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 72kg超級 優勝
      1994年 | 皇后盃全日本女子柔道選手権大会 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 72kg超級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 72kg超級 優勝
      1995年 | フランス国際柔道大会 72kg級 優勝
       | 皇后盃全日本女子柔道選手権大会 72kg級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 72kg超級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 72kg超級 優勝
      1996年 | 皇后盃全日本女子柔道選手権大会 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 72kg超級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 72kg級 3位
      1997年 | 世界柔道選手権大会(フランス:パリ) 72kg級 優勝
       | フランス国際柔道大会 72kg級 優勝
       | 皇后盃全日本女子柔道選手権大会 2位
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 78kg級 優勝
      1998年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 78kg級 優勝
      1999年 | 世界柔道選手権大会(イギリス:バーミンガム) 78kg級 優勝
       | 皇后盃全日本女子柔道選手権大会 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権12月大会 78kg級 3位
       | 福岡国際女子柔道選手権1月大会 78kg級 優勝
      2000年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 78kg級 優勝
      2001年 | 世界柔道選手権大会(ドイツ:ミュンヘン) 78kg級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 78kg級 2位
      2002年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 78kg級 優勝 無差別級 3位
      2003年 | 世界柔道選手権大会(日本:大阪) 78kg級 優勝
       | フランス国際柔道大会 78kg級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 78kg級 優勝
      2004年 | アテネ五輪(柔道) 78kg級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
       

柔道との出会い

園田教子氏

私の父が指導者の1人として柔道を教えてくれました。「萩スポーツ少年団」(山口県萩市)で私の兄と姉が習っていたこともあり、3歳の頃から遊び感覚で通うようになりました。最初は、座り方や礼の仕方、初歩的な受け身の繰り返しであり、次第に受け身にもバリエーションを入れながら、教えてもらいました。

しかし、小学生になると、上の二人の成長に合わせて、練習内容もハードになっていき、父の指導もどんどん厳しくなっていきました。練習内容が結構キツかったですね。 だから、この頃は何度も心の中で「やめたい」と思っていました。

練習の厳しさもありましたが、夜に練習すると、その時間帯に放映されているテレビが見れず、翌日の学校で、友達同士のテレビ番組の話題についていけないのが嫌だったんです。

そして、小学校4年生のときに、とうとう「やめたい」と口にし、2週間くらい本当にやめていました。 ところが、やめてみたところで、他にやりたいこともなく、時間を持て余してしまって…。とりあえず6年生までは続けようと、練習に戻りました。

その後、講道館で開催された「全国少年柔道大会」で、2位に入賞し「勝つ面白さ」を少し味わいました。

現在の夫との稽古と、夢の親離れ

我が家は、柔道に関しては「勝って当たり前」の家庭でした。 たとえ勝った試合でも内容を問われ「一本を取る柔道でない」と叩かれるような、そんな厳しい父の教えでした。私にとっては楽しい柔道ではなかったですね。

その後に兄がスカウトされ、東京の中学校に進学しました。そのときに、「この厳しい家からてっとり早く出るためには、柔道しかない!」と俄然奮起しました。(笑) その後、中学3年生のときに新設された「全国中学校柔道大会」の個人戦で優勝し、柳川高校にスカウトされ進学が決まりました。

大会に出場するにあたって、中学3年の夏休み1ヵ月間を利用し、柳川高校での練習に参加させてもらいました。そのとき、柳川高校の選手だった今の夫(全日本女子ナショナルチーム園田監督)から、毎日の稽古で、組み手やさばき方など、いろんな技を教えてもらいました。すごく勉強になり、尊敬もしました。彼は3歳年上なので、私の入学とすれ違いで卒業してしまいます。

だから、数ヵ月間でも構わないから、早く転校して、もっとこの人から柔道を習いたいと思い、親を説得して、中学3年の2学期から福岡へ転居し、柳川高校の隣の柳城中学に転入しました。まさか、将来結婚するなんて、その当時は、思ってもいませんでしたけど。(笑)

柳川高校の強さは、志の高いライバル意識

園田教子氏柳川高校で練習を続けるうちに、自分から「柔道がやりたい」と思えるようになりました。 それは、チーム全員が良きライバルで、キツい練習の中でも切磋琢磨して頑張れたからです。 それに、父の監視がなくなったこともあり、のびのびと自分自身が柔道と真剣に向かい合えるようになりました。

また、「この強いチーム内で勝てなければ、代表に選ばれない」という状況が、少しずつ「自分のための柔道」へと気持ちが変わっていったんです。自分の調子が出ないときや、やる気が足りないときでも、チーム全員がそれぞれ高い意識を持って練習している姿を見ると「気が抜けないな」と、身が引き締まるような環境でした。

その結果、チームとしては、金鷲旗高校柔道大会で3連覇を達成し、個人としては、高校2年の皇后盃全日本女子柔道選手権大会の優勝から4連覇を達成することができたと思います。

明治大学の最初で最後の女子柔道部員

私は、自分自身に厳しくできるタイプではなく、厳しい環境に身を置くことで伸びるタイプだと思ってましたので、厳しい柔道部のある大学を進学先として希望していました。そんな中、明治大学柔道部は厳しいと先輩から聞いていたのですが、女子柔道部がないのであきらめてました。

しかし、女子選手も推薦枠があると噂を聞き、皇后盃全日本女子柔道選手権大会での2連覇が果たせればなんとかなると、自分自身に賭け、希望を持っていました。 そして2連覇が叶った3年生のとき、高校の先生に「明治に行きたい」と頼んだのですが、ダメでした。

しかし、その後、明治OB会の方々や明治大学の監督 重松(裕之)先生が力になって下さり、最終的には姿先生(故・姿節雄師範/平成11年没)が「本人がそこまでいうなら入れてやれ」との一言で明治大学への門が開いたんです。

国際試合を焦点にした大学時代

明治大学では、唯一の女子柔道部員でしたが、練習に関しては特に困ったことはありませんでした。私よりも男子部員の方が気を遣ったと思います。(笑)

私は、世界で戦いたい気持ちが強く、「全日本選抜柔道体重別選手権大会」「皇后盃全日本女子柔道選手権大会」など国際大会に出場枠のある大会に焦点を絞っていました。

大学によっては、本人の希望でなくても、学生大会に出場しなければならない事情もあると思いますが、その点で重松先生と私には、「世界」という共通認識がありました。 これも、女子柔道部の前例がなかったおかげで、学生の大会には出場せず自分の信念が貫けたのかもしれません。

全日本代表チームとしては、アトランタ五輪(柔道)(1996年/大学2年)のあと、監督が野瀬(清喜)先生から吉村(和郎)先生に変わり、練習メニュー内容も一変しました。例えば、元立ちは、4分8本から5分12本〜15本に増え、打込みの時間も長くなり、また、スピード打込みなども加わり、格段に練習が厳しくなりました。

最初はそのメニューについていくのが精一杯でしたが「これをやれば必ず強くなれる」という期待を持って乗り越えました。スピード打込みの練習のおかげで、感覚が体に染み込み、3年生のときの「世界柔道選手権フランス大会」「フランス国際柔道大会」(ともに優勝)では、担ぎ技や背負い技が、これまで以上に決められたのが印象的でした。このときは、打込み練習の大切さを実感しましたね。

五輪で勝てない原因は「心の壁」

園田教子氏私にとっての五輪のイメージは4年に一度、たくさんの競技が中継される大会で、柔道好きに限らず全世界が注目する、まさにスポーツの祭典です。そんな大会で勝てたら、どんなにすごいことだろうという興奮や緊張を感じていました。

そして「五輪まであと何日」なんてニュース番組を見たりすると、気持ちが落ち着かなくなっていました。それがいつしか「負けたらどうしよう」とマイナスイメージになっていき、自分らしさや平常心を見失ってしまっていました。

初出場のアトランタ五輪(柔道)(1996年)では、挑む前から自分自身に負けてしまい、その結果、畳に30秒も立っていられませんでした。そして、その後の世界柔道選手権大会(1997・1999年)で2連覇を達成。先生方も私も、次のシドニー五輪(柔道)(2000年)では勝てると思っていました。

ところが、試合が始まったとき、4年前のアトランタ五輪(柔道)での嫌なイメージが突然脳裏によみがえってきたんです。 「投げられたらどうしよう」と思ってしまい、平常心で臨んだつもりが、自分の柔道すらできずこのときもまた、初戦に勝てませんでした。

五輪期間中は、選手村の食堂で各国選手に対応した料理が食べられるんですが、かえっていろんな匂いがミックスして食欲が落ちたりして、緊張とストレスで体重も減ってしまいました。 今思えば、自分自身で五輪という壁を、心の中で高くしすぎていたんだと思いますね。

「負け」を自己消化してプラス思考で獲った「金」

皇后盃全日本女子柔道選手権大会」の連覇が途絶えてから、自分が負けた試合の新聞記事を見て、現実を受け入れるように新聞を買うようにしました。 ただ、まだ五輪の負けだけは、心に蓋をして「なかったこと」にしていたんです。

そして、五輪で金を狙うなら、今回しかないと臨むものの、気持ちの上で何かが足りませんでした。それは、過去2回の五輪の試合を、自分自身で見直しておらず、消化できていないからだと気づき、過去2試合分のビデオを取り寄せました。

でも、なかなか再生ボタンが押せなくて、5月、6月が過ぎてしまい、アテネ五輪(柔道)開幕直前の7月に、思い切って見る決心がつきました。 見てみると、「4年に一度の大切な試合で、しかも、全世界が見ている前で、私はこんなに情けない試合をしていたんだ」と、本当に恥ずかしくなりました。

自分の柔道もできず、やってきたことを何も出せず、しかも2回も…と思うと、ある意味腹立たしくなってきました。そして今度こそ、「やはり金メダルを獲りたい」と強く思いました。

その後の合宿では、キツい稽古にも「もう一度、あの情けなさを味わうの?」と、自分に問いかけながら乗り越えることができました。アテネ五輪(柔道)の金メダル獲得の要因は、奮起してプラス思考になれたことに尽きます。

コーチ修行で体験した、フランス柔道のメリット・デメリット

園田教子氏引退後はコーチの勉強をするために、フランスへ1年程留学に行っておりました。フランスの良い点は、教育の一環として柔道を学ばせているところです。

学校に道場から指導者が出向いたり、授業に組み入れたりして、子供に礼儀作法も身につけさせるためにも、体育教育の基礎として柔道があります。 いろんな競技で活躍したトップ選手達にも柔道を経験している人がいて、サッカーのジダン選手もその一人です。

日本の道場は、お金儲けではなくボランティアに近いのですが、フランスの道場はビジネスとして成り立っています。それ故に、生徒にやめられては収入面で困るから、礼儀作法や基本にやや甘いところも見受けられもしました。

でも、日本の柔道を認め、子供の頃から親しむことには、大きな意味があると思います。子供のうちに柔道をやることは、自分の体や頭を守る術を身につける意味でも有効だと思います。

昔に比べ、現代の子供は体力も落ちていますので、日本の教育にも柔道をぜひ取り入れてほしいです。受け身だけでも学んで、大事な自分の体を自分で守れるようになってほしいですね。

ルール改訂で問われる基本の重要性とジュニアへの指導

園田教子氏今回のルール改訂で、いきなり相手の足取りをする技が禁止になったので、海外選手の戦術も変わってきています。

今まで海外選手は、組み手の得意な日本人と対戦するときは、なるべく長時間道衣を持たずに片手だけでも技に入りがちだったのですが、彼らもしっかりと衿や袖を持ちにくる柔道を始めています。

だから、いかに先に組み勝ち、しっかりと技をかけるということが大事になってきます。途中から基本を覚え直すのは難しく、ジュニア時代からしっかりと作り、次のステージに上がれるようにと指導しています。

ジュニア選手は、技が単発なので「崩す」「連続でかける」ことと、「最後までかけきる」「投げきる」といった基本を重点に置いています。 これらは当たり前のことだけれど、なかなかできるものではありません。

例えば、今日勝った相手に、次の日も同じ形で勝てる訳ではありません。だから常にいろんな状況で勝ち進むために、状況による技術だけでなく、精神的な部分も強くならないといけません。

ジュニア選手は、体力の回復も早いせいか、常に100%の力を出してくるような勢いがあり、こちらも新鮮な気持ちになります。 その素直さと一生懸命さは、私のやりがいになるし、ぜひ強くしてあげたいという気持ちにつながっています。

今年からユース五輪が開催され、子供達には世界大会で優勝するチャンスがさらに増えました。 しかしその分、全日本での強化時間も限られます。その中で、しっかり強化の結果も出していくためには、能率と密度の濃い練習で、技術を伝えなければいけません。

その難しさを可能にするには、各選手の所属先との連携が大事です。選手達は、全日本招集での強化練習以外、多くの時間を所属先で練習しています。ジュニアの期間は急に伸びる子もいるので、その成長を見逃さず、どんどん海外にも送り出して、刺激を与えてあげ、所属先では成長した部分をさらに強化できるような流れを作っていきたいと思っています。

女子の持久力と「守る」特性

女子は持久力があるだけでなく、どこか「守る本能」があると思います。例えば、練習の残り時間がある程度分かると、残りのメニュー量を逆算して、力の配分をしながら、練習をこなそうとするところがあるんです。

いいか悪いかは別として、力を抜いている訳でなく、つい計算してしまう。本人は出し切っているつもりでも、どこかで自分の体力を残していたりするところがある。 そういった計算も、ある意味で賢さなので、役立つこともあるのですが、「ぶっ倒れてもいいからいけ」と煽ることもあります。

対戦相手によって、接戦になる相手もいれば、そうでない相手もいる。 例えば、少し弱い相手とやるなら、しっかり投げきるとか、試している技を積極的にかけてみるとか、練習にはそういった賢いやり方も必要です。いろんな部分で賢く、強くならないと、長く生き残れません。

やはり、「努力は人を裏切らない」と思います。これは、私の座右の銘です。

日本柔道の面白みを伝えたい

園田教子氏 柔道は「一瞬で勝負が決まる」のが、魅力のひとつだと思います。ちょっとよそ見をした隙に勝負が決まるので、目が離せないスポーツです。

日本選手には、日本柔道らしい「しっかり組んで取る一本」をもっと出していくべきだと思います。そして、日本柔道の基本の大切さを世界に分かってもらえたらと、引退後に行ったフランスへの海外留学のときに痛感しました。

そして、国内で柔道の面白さを広げるにも、誰にでも分かる「一本を取る技」を見せたい。そうすれば、テレビ中継も見てみようと思ってくれる人が増えるかもしれませんし、子供達に柔道を体験する人が増えるかもしれません。

少しずつですが、一般の人に柔道を身近に感じてほしいですね。それには、子供のお手本になるように、代表選手は心も技も礼儀作法も日本代表になってほしいと思います。

※2010年10月現在


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