著名な柔道家インタビュー

日蔭暢年 全日本強化副委員長インタビューその2

2004年アテネオリンピック後から2008年北京オリンピックまでの4年間、監督として全日本女子チームを率いた日蔭暢年氏。いまや名実ともに世界一と言われる日本女子を、さらに安定感のあるチームにするために尽力してきました。

監督としての苦労話とともに、練習環境に恵まれない岩手県警に所属しながら世界選手権2連覇を果たした自身の選手時代、チュニジアでナショナルチームを指導していたときの話などを伺った。

日蔭暢年氏

岩手では、練習はほとんど一人で

大学を出て、岩手に戻って。岩手県警での練習は、交番所勤務もあったんで、昼休みにトレーニングを1時間。
仕事が終わったあとは、高校に行って練習したり、あとは走り込み。体力を落とさないように。国際大会とか世界選手権の前だけ、国士舘大に行って練習させてもらって。岩手では、練習はほとんど一人でやっていたようなもんでしたね。あとはチーム。警察の大会があれば、それに向けて何ヵ月前から、練習予定を作って。前日訓練とかあるんですよ、そういうときはチームの選手と練習したり、終わったあとに一人で走ったり。
練習環境に恵まれない岩手で柔道を続けることに対する不安は特になかったです。でも、大きな試合の前ぐらいは、母校で調整をしたいな、練習をしたいなという気持ちはありましたけどね。今の選手みたいに柔道に専念できるような環境ではなかったですよ。仕事をやりながら、やるしかないと。そういう条件ですから。

岩手県警を管区最下位から一気に優勝へ

日蔭暢年氏当時、東北管区で最下位だった岩手県警を一気に優勝させたんだよね。で、それから連続で優勝して、他の選手たちの練習も全然変わって、妥協しなくなったり、激しい練習をするようになった。先輩だろうが関係なし。頭から落ちて救急車で運ばれたりね、そういう練習をしていました。警察でも、なかには強いのがいるんですよ。重たいやつとか。その管区のなかでもね。ほとんど重量級の選手と稽古していたから、それも力になったね。試合数も多かったし。重量級と稽古したことによってパワーは付いたね。軽いやつはスピードもなくては勝てないからね。そういう意味では良かったと思う。だから、同じ階級のやつばかりじゃない練習というのは、大事じゃないですかね。
そういう練習のおかげもあって、82年の全日本選手権でたまたま3位に入った。でも、あのときの全日本選手権の組み合わせはきつかった。重たい選手とばかり当たったからね(笑)。

ソウル世界選手権、大逆転の裏側

1983年モスクワ世界選手権では当然、金メダルしか狙っていませんでした。優勝したときは、責任を果たしてホッとしただけ、「万歳!」じゃないですよ。「あ〜責任果たせた」という安堵だけでした。
当時の78s級には、強い外国人選手がたくさんいました。イギリスのアダムス、ソ連のハバレーリ、シェスタコフ、東ドイツのオーミゲン。他にもヨーロッパに強豪がいっぱいいました。そういう選手たちと世界選手権の1回戦から戦っていたんですよ。オリンピックに出ていなかったから世界選手権でのシードがなくて。でも、かえってそれが良かったかもしれないです。緊張感をもってできてね。
みんな強かったですよ。スタミナもあって。以前は3分我慢しろ、そしたら外国人はスタミナが切れるから、みたいな戦い方だったですけど、そうじゃなくなってきましたからね。日本人もみんなバチバチやられていたしね。
1985年ソウル世界選手権の決勝は本当に危なかった。今でも思い出すのは、あのとき、私が続けてポイントを獲られたら、コーチがいなくなったからね、もうダメだって諦めて。なんかちょっといいアドバイスでも……とチラッと見たらいないんだもん(笑)。もう、真っ白だった。あそこから逆転勝ちできたのは……本能としか言えないですね。これはもうダメだ、でも、絶対に負けられない、これで負けたら帰れないと。そういう思いだけでしたよ。

大会に出すぎ、ロス五輪の代表になれず

日蔭暢年氏1984年のロサンゼルスオリンピックには、行けなかったですね。日本の予選で負けて。でも、これはもうしょうがないなと。大会に出すぎたんですよね、言い訳をすれば。いろんな大会が重なって。やる気はあるんですよ、くそーって燃えているんだけど、体が言うことを聞かなかった。選べなかったんですよ、大会を。大会がとにかくいっぱいあって、警察の大会やら、国体やら何やらって。それも予選から。全部出なきゃいけないんですよ。
警察の個人戦があったり、団体戦があったり。岩手県警の名を背負っているんだから、それは絶対に出なきゃいけない。そうじゃないと、お前はどこから給料をもらって生活できているんだということになるわけですよ。だから、まずは、そこが一番大事。世界選手権やオリンピックはそのあとに考えることだったんですよね。
だから、大きい大会で優勝したから、我を忘れてはしゃぐとか、そういう人間はほとんどいなかったですよ。責任を果たしたと、なんとか面目を保って肩の荷が下りたと、そういう選手のほうが多かったんじゃないですか。自分もそうでしたけど。

オリンピックや世界選手権は趣味の領域!?

岩手県警で柔道を続けさせてもらえたことは、感謝の気持ち以外ないですよ。常に、やらせてくれて、ありがとうみたいなね。これは優等生のコメントじゃないですよ。常にそう思ってやってましたよ。
だって、警察に入った頃は「お前、なんで柔道なんかやってんだ」と。「仕事やれよ」、「仕事覚えろよ」とそういう人たちばかりでしたからね、周りの本官は。柔道関係者はそうじゃないですけど。
「自分の趣味で好きなことをやらせてもらっているんだから、時間外にやれよ」と。でも、県警というのは全国どこでもそんな雰囲気だと思いますよ。特別扱いなんかは一切なかったです。
ただ、管区の警察の大会は、仕事として考えてくれるわけですよ。所属管区の名誉のために戦うわけですから。でも、一線に出たら、「柔道なんかやってんなよ」と。そういう人たちもいるんだと思ったら、ほとんどの人がそういう人たちだった、みたいな感じでした。理解がなかったんですよ、弱いチームだったから。ただ、強くなるにしたがって、見方が変わったというのはありますね。そういうのも、変えないかんと思いながら必死にやっていたんですけどね。そこまでいくのは大変でした。でも、そういう恵まれない環境のなかでやったことで、周りに感謝する気持ちや、精神的な強さというのが養われたんだろうと思いますね。

※このインタビューは、2009年7月10日に行なわれたものです。


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