「藤猪省太」著名な柔道家インタビュー

藤猪省太 天理大教授・全日本柔道連盟審判委員会副委員長インタビュー

最近は北京オリンピックをはじめ、世界レベルの大会で日本を代表する国際審判員として活躍する藤猪省太氏。

現役時代は対外国人無敗。中量級(1979年は78kg級)で世界選手権4連覇の偉業を達成している藤猪氏だが、その真骨頂は、無差別の全日本選手権での活躍である。藤猪氏に現役時代の思い出、そして国際審判員として今思うことを伺いました。

藤猪省太氏

プロフィール

  • 生年月日:1950年5月11日 出身地:香川県東かがわ市
  • 審判員資格:国際柔道連盟A級審判員
  • 主な戦歴

    • 1970年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 2位
      1971年 | 世界柔道選手権大会 中量級(80kg以下) 優勝
      1973年 | 世界柔道選手権大会 中量級(80kg以下) 優勝
       | 全日本柔道選手権大会 3位
      1974年 | アジア柔道選手権大会 中量級 優勝
       | アジア柔道選手権大会 無差別級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 優勝
      1975年 | 世界柔道選手権大会 中量級(80kg以下) 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 3位
      1976年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 中量級 2位
      1977年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
      1978年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
      1979年 | 世界柔道選手権大会 78kg級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝
      1980年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 78kg級 優勝

相撲取りになりたくて

藤猪省太氏子供の頃、近所の人や友達と一緒によく相撲をやっていたんですが、私はけっこう強くて年上の人にも勝ったりしていたんで、「相撲取りになりたいな」と思ったんですよ。相撲取りになったら、勉強もせんでええし、お金もうけもできるやろうと(笑)。
それで、中学(香川県東かがわ市・大川中)に入ったときに、大きくなるには何がええかなと、入学式からいろんなクラブを見て回って。バレーボール、バスケットボール選手はみんな細いし、野球も水泳も細い。見てたら柔道の人は背が高くて大きい人がおったから、柔道したらあんな風に背が高くて大きくなるんやろうなと思ってね。それで力も強くなるやろうと思って柔道部に入ったわけです。

半年で初段に

藤猪省太氏でも、背も大きくならへんしね・・・180cmになったら、相撲に行きたいなぁと思っていたけど。中学ではそんなに背が高くならなくて、2年生で165cmぐらいやったかな。普通より少し大きいくらい。体重も50何sぐらいで。でも、柔道では中学2年生になったぐらいに、県で1番になったんですよ。3年生抜いてね。それと、柔道を始めて半年後、中学1年生で昇段試験にも通ってしまいましてね。その頃は150pで50kgぐらいだったかな。それから本格的に先生に教わった。初段の試験には通ったんだけど、黒帯締められるんは14歳からでしょう。保留になっておったんですよ。あの当時、県で一番になるような選手でも2年の夏くらいに初段取るくらいでしたから、半年で取れたんはまぐれですよ。

骨折後左組みに

藤猪省太氏柔道を始めた頃の組み手は、右やったんですけど、昇段試験の次の日に県で一番の高校生が練習に来て、その人に肩車で投げられたときに鎖骨を折ってね。治りかけの頃、1日も早く練習したいということで、左組みに変えたんです。右組みでは肩が上がって痛かったから。それから、袖釣込腰をやるようになって、内股になって。袖釣込腰で最初に郡の大会で優勝して、新人戦でね。県で一番になったのは2年生。そのときの得意技は内股でした。3年生のときに、親が仕事の関係で住んでいる兵庫県の西宮に行ったんです。上甲子園中学に。そこでも県で一番になって。天理高校に見つけられて。それで天理高校に入ったわけです。

「柔道一本足」理論

藤猪省太氏練習では、内股とか大外刈とかいろいろやっていました。僕の理論は、「柔道一本足」やと思ってるんですね。両足をつくと腰の回転ができないでしょう。だから、イチローとか王貞治なんかが一本足で打つのは当然やな、と思うんです。一歩足だったら腰を回しやすい。
僕の背負投はスピードがあったと思うんですよ。なんでか言うたら僕は内股をやっていて腰の捻りが強かったから。だから、柔道は一本足やと思うんです、大外刈も払腰も。背負投も実際は、腰を捻らなかったら前にこないでしょう。僕にスピードのある背負投があったから大きいやつでも投げられたし、無差別でもええ試合ができたんだと思うんです。僕が子どもの指導者になるんだったら、背負投は教えないでしょうね。背負落は教えるかもしれへんけど。腰を捻らすことを教えたほうがええからね。自分の2倍の体重とか、背が15p以上高い相手だったら担ぐことはできない、空回りするから。でも、腰を捻ったら相手は前に来ますからね。内股、背負投もそうでしょう。背負落、体落もね。だから、一本足になる。両足に体重がかかっていたら、腰を捻れないですから。

指導者も一緒に勉強

中学時代の柔道部の顧問は岡田好博先生と松村哲夫先生。お二人とも大学時代に柔道をやられた人でしたが、柔道専門の指導者というわけじゃなくて、私の嫌いな英語と国語の先生でした(笑)。その先生には「柔道強くなるためには、大学まで行かないかん」、「勉強しなさい」ってよく怒られました。でも、この先生たちのおかげで勉強はある程度できたと思うんですね。嫌いやったんがね。
上甲子園中の先生も素人やったです。荒木先生っていうんですけど、ほとんど教わってないです。僕の影響は香川県の中学の二人の先生やったですね。この先生たちから、「こんな技あるよ」と教わってね。柔道の専門家ではなかったんで、こうやってやるんだと決めつけるんじゃなくて、先生たちが警察なんかに行って見てきたことを教えてくれた。この先生には、先生も勉強して私らに教えてくれるんや、ということを教わったですね。僕の指導者の印象はみんな繋がっている。天理高校もそうですよね。加藤(秀雄)先生も野村(基次)先生も寝技を一生懸命勉強されていましたね。天理高校はその当時、寝技をやらないかんということで、生徒と一緒に勉強したんです。昔は鎮西や鹿実(鹿児島実業)に寝技でやられていたんで、とことんやりました。だから、我々の頃、寝技は強かったですよ。それに、寝技強くならなかったら地獄やったですもん。先輩に落とされますからね。だから、必死になって寝技の練習しました。試合で勝つためとかじゃないですよ。毎日が、嫌やから。首絞められるのは嫌やし、落とされるし。1回どころじゃない、落ちたら何度も落とされるからね、続けて。だから必死になって、絞められんように逃げることを覚えた。寝技が強くなる前に、まずは逃げるのが強くなるんです。

寝技は技の組み立ての勉強になる

私もその頃にしっかりと寝技をやったおかげで、最後の世界選手権では3本寝技で取ってますよ。それはなんでか言うたら、ヒジを壊していたし、スタミナもなかったんで、寝技でもやっとかないかんと思ってね。高校時代、18歳のときのものを、11年後の29歳のときにもう1回訓練したんです。高校時代に必死に練習したんが役に立ったんですよ、最後は。 寝技は、いざというときに助けてくれるし、技術的に言えば、組み立てを考えるのにいいんです。
立ち技の組み立ては360度ですから動きのパターンがもの凄いけど、寝技は簡単に言えば、相手が寝たらその半分、180度動けたらいいわけです。それに動きが遅い。動きがスローやし、その動く範囲が狭いから組み立ての勉強になるんですね。寝技を勉強させておったら、いろんな立ち技の組み立てや体の動かし方が訓練できるんですよ。寝技をやらないかんというのは、試合で使うことよりも、頭の訓練のためなんですよ。立ち技の選手でもいろんな組み立てをせなあかんでしょ。それを一番簡単に、わかりやすく、練習できるのは寝技なんです。だから寝技は試合に使わなくてもやったほうがいいんです。
私は大学に入ってから寝技は使ってないです。使う必要がなかったんです。なんでか言うたら、自分で言うのもおかしいけど、技が切れたから。立ち技で勝負できたから。寝技したらスタミナがバテるんですね。私は小さかったから、チャンスやったら抑えたけど、立ったときに自分の技が切れんようになる、動きが悪くなるということで、試合で寝技は使わなかったけど、練習はようやった。とことんやらされたですね、研究もしたし。

指導者はアドバイザー

藤猪省太氏中学の先生も高校の先生も、教えてくれるけど自分でも勉強するというタイプでしたが、大学の松本安一先生も自分で抱えて全部教えるんじゃなくて、背負投の名人がいれば「あそこ行ってこい」とか、捨身小内なら「あの先生に教わってこい」とかね。
中学時代から大学の先生まで全部見たら、共通するんです。どの先生も自分で決めつけて教えるんじゃなくて、「こういう人がおるよ」とか、「こんなんやで」と助言をしてくれた。だから、それが僕の指導方法にも生きていると思うんです。
現役のときはもちろんそうでしたけど、柔道が型にはまらないというか、柔道は自分で作っていくもんだというのが常にある。だから、選手にとって僕はアドバイザーでしかないと思っているから、今でも基本的な技術しか教えない。僕の技は「こうや」とか、せえへんのは、自分自身がそういう教え方をずっとされてきたからなんです。

内股から背負投に

藤猪省太氏天理高校と言えば、全国でいつも1、2番の学校やったから、自分は体も小さいし、「自信ないなぁ」と思ったけど、天理に見学に行ったときに「あそこに歩いているの見てみ、小さいけど来年レギュラーになるよ」と言われて見たのが野村豊和さんでね。こんなに小さい人でもレギュラーになるんやから、頑張れるかなと思って天理高校に入ったんです。高校に入ったときに、同級生はみんな大きいし、5人の選手に入ろうと思ったら内股じゃいかんなと、それで背負投に変えた。野村豊和さんの見よう見まねでね、教えてはくれませんから(笑)。それでも、1年経ったらだいぶ掛かるようになったんですね。今から考えたら、内股をやっていたことで、スピードのある背負投になったんかなと思うんですね。回転が速かったというかね。

修行僧のような高校時代

藤猪省太氏高校時代の練習は、厳しかったですね。なんぼやっても練習が足らないと言われてたんです。学校行くまで30分走らされて、3時間練習して。僕はその後も打ち込みなんかを1時間はやってました。それと、寝る前にチューブ1時間引っ張ってたから、だいたい1日に5時間半から6時間ぐらいやったんちゃうかな。それで、何に困ったかっていったら寝不足ですよ。だから、学校でよう叱られました。授業中に寝ていてね。土曜日や日曜日など、休みのときがあるでしょう。そういうときは押入れで寝たり、図書館に行って寝たり。金のあるときは映画館行ったらね・・・昔は3本立てってあったでしょう。朝弁当持って行ったりするんですよ。でも、映画見てないんです、寝てしまって。それが二回りして夕方頃になるんですよ。夕日を見ながら帰るんですけど、高校に帰るの嫌やなぁと思いながらね。だから、ほんま修行僧やったなと思いますよ、高校時代はね。

機関銃みたいに掛ける

一年先輩の野村豊和さんは、直接何も教えてくれませんでしたが、あの人の影響のおかげでここまで来れたかなと思って感謝してます。野村先輩は、私に対してライバル心なんてなかったと思いますけど、私は先輩に対するライバル心は強かったです。引きずり落としたろうと、いつも思ってましたから。団体戦のレギュラーには2年生からなっていました。3年生が4人で2年生は僕1人。インターハイは鎮西に負けたんですけど、国体は無失点で優勝したんですよ。広島にも勝ったし、強いとこに全部勝って。
私は「この学年にくっついておかな、全国制覇を味わうことはできへんな」と思って、必死になって選手になろうと、しがみついておった。負けたらいかんと思ってね。だから、私が団体戦で負けたのは、中学校1年生の、柔道始めて1ヵ月のときにやった県で一番強いチームとの試合と、2年生の県大会の団体戦で、内股掛けて自分で飛んだその2回きり。あとは負けたことないです。それがなぜできたかと言うと、天理高校の頃、負けたら絶対に使うてくれへんかったから。それで、負けない選手に育ったんやね。個人でもけっこうできたんは、そういう飛ばない選手に育ったというか、受けが強うなったから。選手で全国優勝を味わおうと思ったら、勝てなくても負けない選手になるということでね。そのためにどうするか言うたら、掛けまくるしかないんですよ。機関銃みたいに。ガンガンガンガンと。返されんと掛けとったら、相手は掛けてこれないでしょう。自分が一方的に試合をしたらね。これしかないなと(笑)。
そのために、機関銃みたいに練習しました。小さかったしね。それがよかったんです、自分にとっては。高校から30歳まで団体戦無失点。それが一番の自慢かもしれないですね。天理では7年間失点ゼロでした。

ホッとした団体優勝

私らのときは、上の代に比べると力が落ちると言われていたから団体戦は勝てないと思っていたんやけど、優勝できてね。それは嬉しかったですよ。ホッとした。寮生活して厳しく教育を受けているでしょう。団体日本一しかないんですよ。その前の年は、団体で優勝を逃して、野村さんが個人で優勝して帰ってきても誰も喜んでなかったですもん。天理いうとこは、個人で優勝してもアカンのやなと思いましたね。私は、個人戦も優勝したんですが、それはなんでか言うたら、加藤先生が「お前、体重71kgにして重量級に出え」と言われたんです、70kgしかないのに。「お前やったら面白い背負投やから」って。試合で大きいのも投げていたんでね。だけど、確実に優勝するには中量級(70kg以下)しかないなと思って。俺だけでも優勝しておかないと、みじめな学年になるやろうな、個人だけでも優勝したろと思って「中量級しか出ません。もし中量級に出してもらえなかったら試合には出ません」って言うたんです。そしたら中量級で出してくれて。
団体戦が終わって3日目が個人戦でしたが、一生涯であんなに楽やったのは、初めてですね。みんな相手じゃなかったです。弱いですもん、自分にしてみたら。こんなこと言うと怒られますけどね。団体戦が終わったら、体重は66kgになってたんですよ、痩せこけて。飯を腹いっぱいくって計量しても68kgやった。それにみんなで騒いで寝不足だしね。試合の合間も寝とって、付き添いのやつに呼んでもらって試合して、それで優勝したんですけどね。

足に根が生えていた

大学に入ってびっくりしたんは、大学生が強かったこと。天理高校に大学の先輩がよう練習に来とったんです。トップレベルの14〜15人は来なかったけど、15番以下くらいの先輩たちが。でも、負けたことなかったんですよ。だから「大学生って弱いな」って思っていた、入る前はね。でも、大学に入ったら、3、4年生はみんな強いんですよ、弱い人でも。まるで足に根が生えたみたいに飛ばない。練習と試合は違うんですよ。やっぱり強いなぁ思って。試合はパーンと投げて終わりやけど、練習はそうはいかないでしょう。だから、試合が下手だけやったんやなぁと思った。3、4年生は夏過ぎるまでよう投げれんかったですね。

背負投が完成

自分自身、自信を持って全日本選手権に出られる可能性が見えてきたんは、大学3年生ぐらいですかね。3年の終わりに、背負投が完全にシニアとして出来上がったというか、こう組めたら無差別級の日本チャンピオンであろうが誰でも投げられる、そう思えるようになった。
背負投を身に付けるためにやった練習は、打ち込みとチューブ引き。チューブは高校1年生のときからずっと、片腕で4本引っ張っていたせいで下半身が強くなった。4本のチューブは、腕だけでは引っ張れませんから、足腰で引っ張る。下半身使って、ガーン、ガーンとね。それで強うなったと思うんです。足が太くなって、受けも強くなった。だから、大きいやつも一発で投げられたんですよ。練習のときは、あまり背負投は掛けなかったです、足技ばっかり。大内とか大外とか内股やとか、遊びで払腰やとかね。調子の悪いときは背負と体落をやったり。よしちょっと掛けて試したろう思うときに掛けとっただけで、ほとんど練習では使わなかったです。
で、どうしたかというと、練習終わって1時間も2時間も打ち込みしたり、チューブ引っ張ったりして。もししょっちゅう背負投を掛けとったら、あかんかったでしょうね。潰れとったと思います。体が固くなるしね。その練習がなんでよかったか言うたら、背負投を掛けることばかりやらんと、背負投を掛けるまでの動きとかいろんなものを、組み立てることができた、知らんうちに。
もし背負投を中心に練習をしとったら、その何十万通りの組み立てができなかったと思いますよ。背負投にもっていくまでの過程を、あらゆる方角から見極めようと思ったら、いろんな技を掛けていろんな動きをしとったほうがいいでしょう。知らんうちに本能的に、他の技をいっぱいやっとったことが、僕の役に立った。それで、どこからでも背負投を掛けられるようになったんですよ。普段の練習で背負投をやり過ぎたらいかん、しょっちゅう背負投を掛けるもんじゃないと、なんでかそう思っていましたね。
それでも試合では背負投。本当に強いやつを投げるのは背負しかないですからね。僕の柔道が、練習と試合とで違うから、みんな驚いとったですよ。練習で背負投なんか掛けたことないのにってみんな言うとった。東京の合宿行ったら、1回も掛けへんわね。見せへん。見せたらやられるからね。上村春樹に見せてえらい目に遭うたことあるから。学生時代(全日本学生決勝)にあいつにやられたのも、そうやったもんね。あとで聞いて失敗したなと思った。「あいつ」なんて言ったらあかんわな、上村館長をね(笑)。

上村館長との全日本選手権の激闘

藤猪省太氏昭和48年の全日本選手権準決勝、僕はあの試合は一番やっぱり思い出があるな、負けたけどね。必死になっていったな。上村が先に背負投を掛けおったんですよ。でも、技が遅いんですよ。それで後ろから首絞めたろうと思って乗っていったんですよ、瞬間的に。そこを巻かれてね。もっていかれて「技あり」って言われて。それからもういろんな技掛けたな、必死になってね。僕にとって優勝できる最初で最後のチャンスだと思ってね。いい思い出ですね、今考えたら。
全日本選手権は自分にとって最大の目標でした。それは、あの頃が無差別の時代だったからやね。世界チャンピオンになろうが、オリンピックチャンピオンになろうが・・・僕はオリンピックには行けなかったけど・・・無差別で、まず全日本選手権に出ないと一人前じゃなかったからね、あの頃は。

柔道は社交ダンスと一緒

藤猪省太氏と山下泰裕氏
山下泰裕氏と
ヨーロッパ遠征のひと時
稽古では技の練習より崩す練習ばっかり。大きい相手に組み負けないようにするために、とにかく前に出たんやね。相撲の立ち合いと一緒。前に出て、押し倒すとか、捻るとか。がっと前に出る。前に出ていって、相手が出てくるのを待つ。
もうひとつは、社交ダンスと一緒で、自分で動いたらあかん。自分で動くと、軽くなってしまうから、相手の動きについていくこと。ついていって、止まったところで投げる。止まったら力が抜けるからね。その瞬間に掛ける。山下(泰裕)にしても、超一流はみんなそう。僕から言わしたら、自分で動くやつは二流。ちょっとは動かないかんけど、自分でやたらと動くやつおるでしょう。動いたら体が軽くなるからね、動きすぎたらあかん。そのためには、まずはしっかりと組む。組んで継ぎ足で追うていかなかったらあかんね。それが歩み足やったら引っ張られて弱いから、継ぎ足でついていく。社交ダンスは相手についていって振り回されて、振ったり、持ち上げたり、自分で回ったりするでしょう。柔道は社交ダンスと一緒ですよ。それができたら、一応一流やろうな。

世界4連覇。外国人に無敗通す

藤猪省太氏 世界選手権大会で全階級優勝を果たした
メンバーと(1973年世界選手権大会/スイス)
世界選手権では4連覇していますけど、最後のパリ(1979年)のときには、ちょっと考えました。なんでか言うたら、僕は外国人に負けるのは絶対にイヤやってね、プライドが許さなかったから。絶対にどんなことがあっても負けんと現役を終ろうと思っとったからね。
あのときに80kg(中量級)だったら、国内でも負けておったかもしれんし、出ても勝てたかどうかわからへんわね。でも体重区分が変わって、78kg級というのができて、それやったら、総合的な経験で絶対いけると思ったから、やっただけであってね。もしあの階級がなかったらやってない。日本代表になれるかどうかもわからへんし、なったところで金メダルのパーセンテージが80〜90割ったら、やる価値ないしね。オリンピック行ったって、世界に行ったって、銀ではあかんからね。金以外はないから。はっきり言って。出るぐらいでは喜べへん。金が獲れへんようやったら、出る必要あらへんしね。

藤猪省太氏 世界選手権大会で初制覇した藤猪省太氏
(1971年世界選手権大会/西ドイツ)
オリンピックに出てメダル獲るのが目標の人もおるし。例えば、北京オリンピックで、陸上のリレーでメダル獲ったやんか。あれなんか、金を獲る以上に素晴らしいと思うね。だから、人によって違うわけやけど、僕の場合は、金以外はないわけやから。獲れないな、ちょっと危ないな、と思ったらやめるべきやしね。そういう価値観の問題なんで。

勝つために、「審判ルール」を勉強してほしい

藤猪省太氏
アテネオリンピックで
審判を務める藤猪氏
日本では、国際大会の審判のレベルが低いと言う人もいますけど、それは日本の考えであって、感覚が違うだけだと思ったほうがええと思うんです。
僕が国際(A級)審判員としてオリンピックや世界選手権の審判をやっていて思うのは、今は、システムでもなんでも、国際のほうがちょっと進んでいるということ。裁判するときでも、日本の国内で罪を犯したら日本の国内の法律でやらないかんけど、外国やったらその国の法律でやらないかんのと一緒。柔道の国際大会は、国際法でやっているんやから、それを日本の感覚でやってもしょうがないということ。それをまず知っておかないかんのとちゃうかなと思う。だから、そういう勉強も日本の選手はしなかったらあかん。
僕の立場としては、日本人だから、日本柔道の感覚をできるだけ審判員に見せないかんという義務はあるけども、逆に、強化の一環としては、国際がこういう感覚で動いているという状況を知っておかないかん。日本で生まれた競技やとか、日本柔道が正しいとか言ってられへん。選手がどこで試合をやっているかというと、今現在の国際法の解釈でやってんのやからね。審判側もいろいろな経験を通して反省したり、見る方角とか、見る位置とかいろいろなことを勉強しているわけだし、日本の強化スタッフ(関連リンクももっと勉強しなきゃいかん。
僕は強化委員会(関連リンクの一員として、強化の畑から審判に行ったから余計にそう思う。強化の一環として、サンボとか、レスリングとかいろんなことを取り入れてきたのに、審判に関してはずっと勉強していない。最後の強化を忘れているんやね。試合は、選手がジャッジするんじゃないし、監督がジャッジするのでもない、審判がジャッジするわけです。しかも、審判の感覚は五大陸で違うし、国によっても違う。それをしっかりと勉強しておかなかったら試合で勝つことはできない。勝つために、もっと「審判」について勉強してほしいということを、強く訴えたいね。

※このインタビューは、2009年7月24日に行なわれたものです。


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