ベイカー茉秋1/2
リオデジャネイロ五輪(柔道)男子90kg級で、見事金メダルを獲得したベイカー茉秋選手。
男子90kg級に初の金メダルをもたらしたベイカー茉秋選手が、リオデジャネイロ五輪(柔道)に対する思いや大会での心境を語って下さいました。
ピアノの先生に勧められて始めた柔道
幼少の頃、当時習っていたピアノの先生に勧められたのがきっかけで、春日柔道クラブに通い始めました。私の家が道場から近かったので、それで入門を勧めてくれたそうです。
この頃の柔道には楽しい思い出しかありませんが、その中でも一番印象に残っている思い出は、小学校2年生のときに栄進館杯という大会で優勝できたことです。
そのときはとても嬉しかったですね。そしてこれが、私の柔道人生における「初優勝」となりました。
柔道人生を変えた竹内徹監督との出会い
高校は東海大学付属浦安高校に進学し、大きく飛躍できたのは、そこでの柔道部の竹内徹監督の指導があったからだと思います。
竹内監督の指示で、階級を上げるために食事の量を増やし、厳しい練習だけでなくウエイトトレーニングやランニングも重ねました。すべてを注いで努力し続けた高校3年間でしたね。 その成果がきちんと結果にも現れ、いくつもの大会で優勝を収めることができました。
特に印象に残っている大会は、高校3年のときの、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会(以下、インターハイ)です。個人戦でも団体戦でも日本一になることができ、私にとって初めての全国大会優勝となりました。
- 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会 2012(男子90kg級)
高校に入学した当初は66kg級で県大会の2回戦で敗退してしまうような選手だった私が、卒業間際には90kg級まで階級が上がり、全国大会で優勝する程の選手になっていました。 この高校3年間で、私の柔道人生は180度変わりましたね。
リオデジャネイロ五輪(柔道)に対する思い
高校3年のときに、インターハイで優勝した日の夜、ちょうどロンドン五輪(柔道)男子90kg級の試合が行なわれていました。私が高校生日本一になった日と、ロンドン五輪(柔道)の試合の日が重なったことに、今では何か運命的なものを感じます。
西山将士選手が銅メダルを獲得する姿をテレビで見ながら、「4年後は私が出場したい」と思いました。それが、リオデジャネイロ五輪(柔道)を意識し始めたきっかけです。
2016年4月の全日本選抜柔道体重別選手権大会(以下、選抜体重別)では優勝することができませんでしたが、そんな状況でも私をリオデジャネイロ五輪(柔道)代表に選んで頂きました。「代表に選ばれなかった人の分まで戦わなければいけない」と思い、その気持ちが原動力になりましたね。
- 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2016(男子90kg級)
リオデジャネイロ五輪(柔道)で優勝することが最終目標だったので、「リオデジャネイロ五輪(柔道)までの大会でどれだけ負けたとしても、金メダルを獲れればそれで良い」と思っていました。 だから試合に負けてもポジティブでいられましたし、すべてをリオデジャネイロ五輪(柔道)のための力に変えて練習に取り組みましたね。
初心を忘れないための努力
選抜体重別で敗れたあと、その日の内に竹内監督に電話をして、「リオデジャネイロ五輪(柔道)代表の練習合宿に参加してほしい」とお願いしました。大学での柔道は高校に比べると自由な部分がありますし、厳しい言葉を掛けてくれる方も少なくなります。そういった状況に、「何かが欠けている」と感じ、高校時代から私に厳しく指導して下さっていた竹内監督なら、私の欠点をきちんと指摘して下さると思ったのです。
あとは、「リオデジャネイロ五輪(柔道)の前に原点に立ち返って練習をしたい」という思いもありました。
トップ選手になると初心を忘れてしまいがちですが、これまでの柔道人生で培った土台があるからこそ、人はトップに立てるのだと思います。自分の土台を突き詰めながら練習をするためにも、竹内監督の協力が必要だと考えたのです。
結果的に金メダルを獲得できましたし、竹内監督をお呼びしたのは正しい判断だったと思っています。
インタビュー:2016年10月