「ベイカー茉秋」著名な柔道選手インタビュー

  

ベイカー茉秋

リオデジャネイロ五輪(柔道)男子90kg級で、見事金メダルを獲得したベイカー茉秋選手。
男子90kg級に初の金メダルをもたらしたベイカー茉秋選手が、リオデジャネイロ五輪(柔道)に対する思いや大会での心境を語って下さいました。

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ピアノの先生に勧められて始めた柔道

ピアノの先生に勧められて始めた柔道

幼少の頃、当時習っていたピアノの先生に勧められたのがきっかけで、春日柔道クラブに通い始めました。私の家が道場から近かったので、それで入門を勧めてくれたそうです。

この頃の柔道には楽しい思い出しかありませんが、その中でも一番印象に残っている思い出は、小学校2年生のときに栄進館杯という大会で優勝できたことです。

そのときはとても嬉しかったですね。そしてこれが、私の柔道人生における「初優勝」となりました。

柔道人生を変えた竹内徹監督との出会い

柔道人生を変えた竹内徹監督との出会い

高校は東海大学付属浦安高校に進学し、大きく飛躍できたのは、そこでの柔道部の竹内徹監督の指導があったからだと思います。

竹内監督の指示で、階級を上げるために食事の量を増やし、厳しい練習だけでなくウエイトトレーニングやランニングも重ねました。すべてを注いで努力し続けた高校3年間でしたね。 その成果がきちんと結果にも現れ、いくつもの大会で優勝を収めることができました。

特に印象に残っている大会は、高校3年のときの、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会(以下、インターハイ)です。個人戦でも団体戦でも日本一になることができ、私にとって初めての全国大会優勝となりました。

高校に入学した当初は66kg級で県大会の2回戦で敗退してしまうような選手だった私が、卒業間際には90kg級まで階級が上がり、全国大会で優勝する程の選手になっていました。 この高校3年間で、私の柔道人生は180度変わりましたね。

リオデジャネイロ五輪(柔道)に対する思い

リオデジャネイロ五輪(柔道)に対する思い

高校3年のときに、インターハイで優勝した日の夜、ちょうどロンドン五輪(柔道)男子90kg級の試合が行なわれていました。私が高校生日本一になった日と、ロンドン五輪(柔道)の試合の日が重なったことに、今では何か運命的なものを感じます。

西山将士選手が銅メダルを獲得する姿をテレビで見ながら、「4年後は私が出場したい」と思いました。それが、リオデジャネイロ五輪(柔道)を意識し始めたきっかけです。

2016年4月の全日本選抜柔道体重別選手権大会(以下、選抜体重別)では優勝することができませんでしたが、そんな状況でも私をリオデジャネイロ五輪(柔道)代表に選んで頂きました。「代表に選ばれなかった人の分まで戦わなければいけない」と思い、その気持ちが原動力になりましたね。

リオデジャネイロ五輪(柔道)で優勝することが最終目標だったので、「リオデジャネイロ五輪(柔道)までの大会でどれだけ負けたとしても、金メダルを獲れればそれで良い」と思っていました。 だから試合に負けてもポジティブでいられましたし、すべてをリオデジャネイロ五輪(柔道)のための力に変えて練習に取り組みましたね。

初心を忘れないための努力

初心を忘れないための努力

選抜体重別で敗れたあと、その日の内に竹内監督に電話をして、「リオデジャネイロ五輪(柔道)代表の練習合宿に参加してほしい」とお願いしました。大学での柔道は高校に比べると自由な部分がありますし、厳しい言葉を掛けてくれる方も少なくなります。そういった状況に、「何かが欠けている」と感じ、高校時代から私に厳しく指導して下さっていた竹内監督なら、私の欠点をきちんと指摘して下さると思ったのです。

あとは、「リオデジャネイロ五輪(柔道)の前に原点に立ち返って練習をしたい」という思いもありました。

トップ選手になると初心を忘れてしまいがちですが、これまでの柔道人生で培った土台があるからこそ、人はトップに立てるのだと思います。自分の土台を突き詰めながら練習をするためにも、竹内監督の協力が必要だと考えたのです。

結果的に金メダルを獲得できましたし、竹内監督をお呼びしたのは正しい判断だったと思っています。

リオデジャネイロ五輪(柔道)での試合を振り返って

リオデジャネイロ五輪(柔道)での試合を振り返って

リオデジャネイロ五輪(柔道)は、これまでに出場したどの大会よりも調子が良かったです。初戦に勝った時点で、「今日はとても調子が良い、これは優勝できる」と感じていました。2回戦・3回戦も、完璧な試合ができたと思います。

準決勝で対戦したテイ・クンショウ選手(中国)は初めて戦う選手だったので様子を窺ってしまい、指導を受けてしまいました。しかし残り時間わずかのところで 「このままではまずい」と思い、攻めの姿勢で技を掛けにいった結果、一本勝ちすることができました。 ヴァルラーム・リパルテリアニ選手(ジョージア)との決勝は、「最初にポイントを獲ってあとはそれを守りきる」という私の作戦通りの勝利。

この作戦のために「終盤でポイントを守りきる」練習を重ねてきましたが、その努力の成果をすべて出し切ることができたと思います。

金メダル獲得の瞬間

金メダル獲得の瞬間

決勝戦があまりにも自分の思い通りに進んだので、金メダル獲得が決まった瞬間は「こんなものなのか」と少し拍子抜けしたような感覚でした。

でも表彰台の上では、「2020年の東京五輪(柔道)でも優勝したい」という気持ちがすでに芽生えていましたね。そのくらい、最高の気分でした。

表彰式が終わってからはテレビ局の取材を何件も受け、深夜にホテルに帰り、また早朝から取材を受ける、という慌しいスケジュールでした。竹内監督と話をする時間もなかったので、日本に帰国してから改めてお会いしに行きましたね。

リオデジャネイロ五輪(柔道)を終えて思うこと

リオデジャネイロ五輪(柔道)を終えて思うこと

リオデジャネイロ五輪(柔道)で金メダルを獲得してからは、街を歩いているときに「おめでとう」、「感動したよ」と声を掛けて頂いたり、「一緒に写真を撮ってほしい」とおっしゃる方々で人だかりができたりと、これまでに経験したことのない新鮮な出来事がたくさんありました。

そうして「この大会が、とても夢のある舞台なのだ」ということを再認識しましたね。2020年の東京五輪(柔道)は、きっと今回以上に夢のある大会だと思うので、その夢をまた掴み取りに行きたいです。

男子90kg級というのは、なかなか勝つことが難しい階級だと思います。今や柔道は世界中に普及していて、それは一柔道家としては嬉しいことでもありますが、その分金メダルを獲ることはどんどん難しくなってきていると感じています。

でもその中で獲得する金メダルにはとても価値があるし、胸を張れると思います。そういった意味でも、今回のリオデジャネイロ五輪(柔道)で優勝できて本当に良かったと思っています。

東京五輪(柔道)への意気込みと今後の目標

東京五輪(柔道)への意気込みと今後の目標

2020年の東京五輪(柔道)は自国での開催ですし、私は東京出身なので、きっとたくさんの方が応援して下さるだろうと思います。その中で金メダルを獲得できれば人生でとても大きな思い出になると思いますし、ぜひ優勝して、歴史に名を刻める男になりたいです。

そして今後は柔道をもっとメジャーにするため、私が先駆者となって柔道界を引っ張っていきたいと考えています。

それが、リオデジャネイロ五輪(柔道)金メダリストとしての使命だと思いますね。

 

インタビュー:2016年10月

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東建グループがお届けする柔道情報サイト「柔道チャンネル」では、リオデジャネイロ五輪(柔道)を終えた選手・監督のインタビューを一挙公開!今回は、リオデジャネイロ五輪(柔道)男子90kg級で見事金メダルを獲得したベイカー茉秋選手にお話を伺いました。東海大浦安高校時代に66kg級から90kg級へと転向し、全国高等学校柔道選手権大会や全国高校総合体育大会柔道大会で優勝を果たしたベイカー茉秋選手。東海大学に進学してからも数々の国際大会で優勝。そんなベイカー茉秋選手の飛躍のきっかけとなった東海大浦安高校柔道部の竹内徹監督への思いや、リオデジャネイロ五輪(柔道)での心境、そして2020年の東京五輪(柔道)への意気込みを語って頂きました。
柔道好き必見の、ベイカー茉秋選手インタビュー。ぜひお楽しみ下さい。

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