著名な柔道家インタビュー

  

中村淳子2/3

 

コマツ女子柔道部のコーチとして後進の指導にあたる中村淳子先生。ご自身の学生時代のお話から、谷亮子選手との戦いまで、いろいろなお話をお伺いしました。

 

意識の変わった大学時代

意識の変わった大学時代

埼玉大学に進学することになったのは、「全国高等学校柔道選手権大会」を優勝したときに鈴木若葉さん(のちに淑徳大学女子柔道部監督として、西田優香さん、國原頼子さんを指導)が声を掛けてくれたのがキッカケです。

小規模な柔道部の中で頑張っている姿を評価して下さり、「埼玉大学に練習に来てみない?」と声を掛けて頂きました。高校3年生のときには埼玉大学へ出稽古に参加させてくれました。

埼玉大学の柔道部は自主的に練習を行なっており、柔道部の野瀬清喜先生も厳しいながらも、自主性を重んじる方でした。トップを目指している選手もいれば、柔道が好きで練習をしている人までおり、幅広い選手たちがいました。

その光景を見て「私には埼玉大学が合っている」と思い、進学を決めました。

埼玉大学に入学してからも女子部員は少なく、大学の4年生に鈴木若葉さんが一人いらっしゃったのと、3年生に北爪弘子さん、溝口紀子さん、ひとつ学年が空いて私の入部で4人しかおりませんでした。

その様な環境の中で練習をし、大学に入って直ぐのバルセロナオリンピックの最終選考会である「全日本選抜体重別選手権大会」で初めて谷亮子(旧姓:田村)選手と決勝戦で対戦しました。

敗れはしたのですが、次に目指す大きな目標ができました。私自身の柔道に対する意識が変わった瞬間でしたね。

谷選手という永遠の大きな壁

谷選手という永遠の大きな壁

谷亮子選手とは、バルセロナオリンピックの最終選考会で対戦したのが初めてだったのですが、そこから私が引退するまでの9年間ずっと同じ階級で対戦しました。

初めは、まだまだ世界に通用する力が自分になく、国際大会でも全然活躍することができませんでした。最初に対戦したときに自分がオリンピックを目指しているという意識が、全くなかったのです。

その後、少しずつ海外の試合で成績を残すことができるようになってきたのですが、どうしても国内では勝てず、どうしたら谷選手に勝つことができるのだろうと思い、彼女に追いつくことで必死でした。

谷選手は、私が出会った頃から完璧な柔道でした。

才能だけでなく、練習量も私とかなりかけ離れるくらいの努力をしており、当時から、技に関しても、打込みを見ていても一寸の狂いもなく一本一本正確に入ることができる完成度の高い柔道をしていました。

左右すべての技についても完璧で、色んな技で「一本を取る」という柔道スタイルは、人々を魅了していたし、当時人気だった漫画のYAWARAちゃんそのものでした。

また、私が理想とする柔道スタイルの選手だったので、一生懸命彼女の動きを見て、練習の参考にしていました。

ですが、彼女はすでに世界柔道選手権大会で6連覇を達成したり、オリンピック柔道競技でメダルを獲ったりと、世界で実績を重ねて行く程、自分にはチャンスが少なくなり、いくら国際大会で勝っても逆転するにはどうしたらいいのかと、いつも自分の中で葛藤がありましたね。

向上心で得た色々なこと

向上心で得た色々なこと

引退するまでの間は、なかなか勝つことができませんでしたね。ライバルがどんどん世界連覇をして、さらに自分の出場チャンスがなくなるなか、達成感など感じることができませんでした。

どこかやりきれなく、悔しさが残った柔道人生ではありましたが、同じ階級で谷亮子選手を追いかけ続けているうちに、「自分の柔道をもっと良くしよう」と思った結果、色々覚えた技術など、得たものは大きかったと思います。

また、色々悔しい思いを味わってきた分、人の気持ちも多少なりに分かるようになりましたね。

我慢をしながらも踏ん張っていましたが、誰もが谷選手の金メダルを目指す姿を応援しているように感じたときもあったりと、自分自身の精神的な弱さに勝つことはできませんでした。

ですが、柔道が嫌いになったことは全然ありませんでした。自分の目標であるオリンピックを最後まで目指すという気持ちを貫きたいと思う気持ちの方が強かったと思います。

松岡先生に憧れて入社したコマツ

松岡先生に憧れて入社したコマツ

埼玉大学の大学院を卒業後、1998年にコマツへ入社しました。

私がコマツに入社しようと思ったのは、入社する一年前に松岡義之先生がコマツの監督に就任されたのがキッカケです。

私が出場した1992年の世界ジュニア柔道選手権大会の男子ジュニア強化コーチとして松岡先生が来られていたのですが、コマツ女子柔道部の監督をしているとお聞きし、私も松岡先生に柔道を教えてもらいたいと思っていました。

その後、入社してからの半年間、勝てない時期がありましたが、下半身が弱かったため徹底的に強化したことによって、大学時代に教わった得意の内股を使いこなすだけの筋力や体力がつき、アジア柔道選手権大会、ユニバーシアード競技大会、フランス国際柔道大会(現:柔道グランドスラム・パリ)で優勝することができました。

コマツに入社してから3年間、柔道競技生活としては短かったのですが、すごく充実していました。

 

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