「中村淳子」著名な柔道家インタビュー

中村淳子

コマツ女子柔道部のコーチとして後進の指導にあたる中村淳子先生。ご自身の学生時代のお話から、谷亮子選手との戦いまで、いろいろなお話をお伺いしました。

 

父と通った柔道教室

父と通った柔道教室

私が柔道を始めたのは小学校2年生の秋。私の父が柔道の指導員をしていた「上尾市柔道教室」というところで、2歳上の姉が先に柔道をやっていました。姉の送り迎えをする母について行き、それで私も自然と柔道をするようになったのがキッカケですね。

姉は奇遇ですが、名前が谷亮子さんと同じ「亮子」という字を書くのです。

私が柔道を始めた頃は、まだ女子柔道の人口がたくさんいたというわけではありません。

ですので、私の通っていた道場の女の子は大半が先生のお子さん達でした(笑)。

父の仕事が終わってから、一緒に道場に行き練習。柔道を始めた小さい頃は、遊びの延長ではないのですが、通っていた柔道教室がのびのびと教える道場だったため、練習自体は、始めの30分は遊びを取り入れた基礎的な運動を行なっていました。

あとは、寝技や立ち技の基本練習、乱取り練習を30分程行なって終わるくらいの内容で、まったく厳しい道場ではありませんでした。また、私自身、身体も小さく痩せていたので、ほとんど試合で勝った記憶がないのです。

父も柔道の厳しさを分かっていたので、柔道に関しては、ほとんど干渉することもなく、負けても怒られたことはありませんでした。

女の子で、まだ小さいし、力がないので、「のんびりやりなさい」といった感じの父でしたが、同級生の女の子と切磋琢磨しながら、頑張って練習をしていました。

軟式テニス部に入部した中学時代

軟式テニス部に入部した中学時代

進学した中学校には柔道部がありませんでした。

進学したら何か部活をしたいと、色々部活見学をしていたときに、軟式テニス部の先輩達が着ているスコートという短いスカート姿が目に入り、その姿が可愛かったので、軟式テニス部に入部することに決めました。

軟式テニス部は、市内でもかなり強く県大会にも出場する程で、部員数も多くすごく活気がありましたね。

私は走るのが速かったので、ダブルスの後衛を任されており、市の大会で優勝することができましたが、さすがに県大会となると強豪が多く、2〜3回戦を勝ち上がるのが精一杯で上位に行くことができませんでした。

一方、その頃の柔道の練習は週に2〜3回、テニス部の練習後に上尾市柔道教室へ通っておりました。

中学校卒業後、埼玉県立上尾高等学校に進学する時点で、テニスをやるか柔道をやるかで悩んだことがあったのですが、中学校3年生の夏に軟式テニス部を引退。そのときに柔道の練習を行なう時間が増えたので、自然と柔道にのめり込んでいきました。

先に高校へ進学した姉が、柔道で県大会や全国大会に出場し、活躍していたことも刺激になりましたね。

また、父に「柔道はオリンピックの競技種目としてあるが、軟式テニスは競技種目にないぞ」と言われ、背中を押されたように柔道を選択しました(笑)。

選択に迷った高校進学

選択に迷った高校進学

埼玉県には柔道の強豪である埼玉栄高校がありますが、高校に進学するときに、上尾高校のどちらに進学するか迷いました。

中学校時代に埼玉栄高校女子柔道部の本松好正監督が熱心に誘いに来て下さいました。

上尾市柔道教室に通っていた同級生は二人とも埼玉栄高校に進学しましたが、私は自分で勉強し高校受験を経て進学したいという思いがあったこと、また、上尾高校の柔道部には、東海大学出身の駒井清民先生が指導されており、少人数ながらもものすごく熱心に指導されていたので、上尾高校へ進学することに決めました。

埼玉栄高校に進学していたら、違う出会いがあったのかも知れませんし、私にとっては良かったのかも知れません。

しかし、少人数だからこそ、先生に初心者と同じように丁寧に柔道を指導して頂いたお陰で、原点にかえることができました。今思うと、上尾高校を選択したことは、私にとって合っていたのではないかと思います。

全国大会でベスト8に進出した一年目

全国大会でベスト8に進出した一年目

高校一年のときに駒井先生とお話し、まず県大会を優勝し、全国高等学校柔道選手権大会に出場することを目標に掲げておりました。

進学前は茶帯だったので、慌てて黒帯を取りに行きました。体重も38kgしかないガリガリだったので、「まず君は頑張って体重を40kgにすること」と先生に言われた程、実力も体力もない選手でしたが、高校一年で、目標にしていた県大会で優勝、全国高等学校柔道選手権大会に出場し、ベスト8まで勝ち進むことができました。

そして、大会を終えた頃、駒井先生が4月より別の学校に転任することを知りました。

先生に指導して頂きたく上尾高校を選んで入学したのですが、一年しか練習を見てもらえず二年目以降どうしていいのか分からなくなり、ショックと不安で大泣きしてしまいました。

目標の優勝を達成した二年目

目標の優勝を達成した二年目

二年目以降は、物理の先生が柔道の顧問となり活動をしていましたが、駒井先生が新しく赴任された学校に週に1〜2回出稽古に行っていました。

あとは先生が転任する前に頂いていたトレーニングメニューを部員全員で頑張って続け、練習していました。

また、埼玉栄高校にも出稽古に行かせて頂きました。私は進学のときに本松監督からのお誘いをお断りしていた経緯があったのですが、本松監督が事情を知り「いくらでも埼玉栄に練習においで」と温かい声を掛けて頂いたので、授業が終わってから、大宮まで自転車で片道50分の距離を通いました。

それ以外は、学校の練習が終わったあとに上尾市柔道教室で、父と一緒に打込みや、走り込みをしていましたね。また、毎日学校や、道場へは重い荷物を背負い、走って通いました。

自分でできることを探してやり続けたことにより、2年目の目標に掲げていた「全国高等学校柔道選手権大会で優勝」を達成することができました。

意識の変わった大学時代

意識の変わった大学時代

埼玉大学に進学することになったのは、「全国高等学校柔道選手権大会」を優勝したときに鈴木若葉さん(のちに淑徳大学女子柔道部監督として、西田優香さん、國原頼子さんを指導)が声を掛けてくれたのがキッカケです。

小規模な柔道部の中で頑張っている姿を評価して下さり、「埼玉大学に練習に来てみない?」と声を掛けて頂きました。高校3年生のときには埼玉大学へ出稽古に参加させてくれました。

埼玉大学の柔道部は自主的に練習を行なっており、柔道部の野瀬清喜先生も厳しいながらも、自主性を重んじる方でした。トップを目指している選手もいれば、柔道が好きで練習をしている人までおり、幅広い選手たちがいました。

その光景を見て「私には埼玉大学が合っている」と思い、進学を決めました。

埼玉大学に入学してからも女子部員は少なく、大学の4年生に鈴木若葉さんが一人いらっしゃったのと、3年生に北爪弘子さん、溝口紀子さん、ひとつ学年が空いて私の入部で4人しかおりませんでした。

その様な環境の中で練習をし、大学に入って直ぐのバルセロナオリンピックの最終選考会である「全日本選抜体重別選手権大会」で初めて谷亮子(旧姓:田村)選手と決勝戦で対戦しました。

敗れはしたのですが、次に目指す大きな目標ができました。私自身の柔道に対する意識が変わった瞬間でしたね。

谷選手という永遠の大きな壁

谷選手という永遠の大きな壁

谷亮子選手とは、バルセロナオリンピックの最終選考会で対戦したのが初めてだったのですが、そこから私が引退するまでの9年間ずっと同じ階級で対戦しました。

初めは、まだまだ世界に通用する力が自分になく、国際大会でも全然活躍することができませんでした。最初に対戦したときに自分がオリンピックを目指しているという意識が、全くなかったのです。

その後、少しずつ海外の試合で成績を残すことができるようになってきたのですが、どうしても国内では勝てず、どうしたら谷選手に勝つことができるのだろうと思い、彼女に追いつくことで必死でした。

谷選手は、私が出会った頃から完璧な柔道でした。

才能だけでなく、練習量も私とかなりかけ離れるくらいの努力をしており、当時から、技に関しても、打込みを見ていても一寸の狂いもなく一本一本正確に入ることができる完成度の高い柔道をしていました。

左右すべての技についても完璧で、色んな技で「一本を取る」という柔道スタイルは、人々を魅了していたし、当時人気だった漫画のYAWARAちゃんそのものでした。

また、私が理想とする柔道スタイルの選手だったので、一生懸命彼女の動きを見て、練習の参考にしていました。

ですが、彼女はすでに世界柔道選手権大会で6連覇を達成したり、オリンピック柔道競技でメダルを獲ったりと、世界で実績を重ねて行く程、自分にはチャンスが少なくなり、いくら国際大会で勝っても逆転するにはどうしたらいいのかと、いつも自分の中で葛藤がありましたね。

向上心で得た色々なこと

向上心で得た色々なこと

引退するまでの間は、なかなか勝つことができませんでしたね。ライバルがどんどん世界連覇をして、さらに自分の出場チャンスがなくなるなか、達成感など感じることができませんでした。

どこかやりきれなく、悔しさが残った柔道人生ではありましたが、同じ階級で谷亮子選手を追いかけ続けているうちに、「自分の柔道をもっと良くしよう」と思った結果、色々覚えた技術など、得たものは大きかったと思います。

また、色々悔しい思いを味わってきた分、人の気持ちも多少なりに分かるようになりましたね。

我慢をしながらも踏ん張っていましたが、誰もが谷選手の金メダルを目指す姿を応援しているように感じたときもあったりと、自分自身の精神的な弱さに勝つことはできませんでした。

ですが、柔道が嫌いになったことは全然ありませんでした。自分の目標であるオリンピックを最後まで目指すという気持ちを貫きたいと思う気持ちの方が強かったと思います。

松岡先生に憧れて入社したコマツ

松岡先生に憧れて入社したコマツ

埼玉大学の大学院を卒業後、1998年にコマツへ入社しました。

私がコマツに入社しようと思ったのは、入社する一年前に松岡義之先生がコマツの監督に就任されたのがキッカケです。

私が出場した1992年の世界ジュニア柔道選手権大会の男子ジュニア強化コーチとして松岡先生が来られていたのですが、コマツ女子柔道部の監督をしているとお聞きし、私も松岡先生に柔道を教えてもらいたいと思っていました。

その後、入社してからの半年間、勝てない時期がありましたが、下半身が弱かったため徹底的に強化したことによって、大学時代に教わった得意の内股を使いこなすだけの筋力や体力がつき、アジア柔道選手権大会、ユニバーシアード競技大会、フランス国際柔道大会(現:柔道グランドスラム・パリ)で優勝することができました。

コマツに入社してから3年間、柔道競技生活としては短かったのですが、すごく充実していました。

イギリスでの柔道スタイル

イギリスでの柔道スタイル

その後、アトランタオリンピック金メダリストのウド・クエルマルツ選手(ドイツ)と一緒に、「ブリティッシュ柔道アカデミー」という新しくできたジュニア選手を育成する柔道クラブに、一年間イギリス留学をしました。

ヨーロッパの中でも柔道人口がそんなに多い国ではなく、フランスの様な柔道大国でもないのですが、柔道が好きな方が大勢おり、嘉納治五郎先生が柔道を指導した武道館がある程、ヨーロッパの中では柔道の歴史が古いところです。

私が留学していた当時は、柔道を競技としている選手と、柔道を趣味にしている選手が一緒になって練習していましたね。オリンピックを目指しているトップアスリートにとって、この環境が良いのかは分かりません。

日本では、トップアスリートはトップアスリート同士、趣味でやっている人は趣味でやっている人同士みたいなところがあり、柔道が好きな人達が集まって練習をするっていうのは日本ではあまり見られない光景でした。全然柔道のライフスタイルが違うなと強く感じましたね。

杉本選手のオリンピック

杉本選手のオリンピック

コマツ女子柔道部には、ロンドンオリンピックに出場した杉本美香選手がいます。

杉本選手は2010年の世界柔道選手権東京大会のときが、一番技の切れも素晴らしかったし、彼女の調子が一番良かった時期だと思います。昨年あたりから、もともとあったケガとか、やり込み過ぎたこと、試合の多さなどで、身体がついてこれない部分というのが少し出てきたところでした。

ですので、追い込みたいときに練習ができないといったなかでオリンピックの年を迎えました。

5月の最終選考である全日本体重別柔道選手権大会以降の杉本選手を見たとき、今回のオリンピックに向けた調整というのは、精一杯だったと思いましたし、彼女自身、トレーニングや、リハビリに取り組んでよくあそこまで持って行くことができたなと思います。

皆が練習しているときに、ケガとかで自分だけが別メニュー。彼女も少し出遅れてしまったことにもどかしいところがあったと思います。そのなかで気持ちをしっかり持って練習を行なっていたし、彼女がコマツ女子柔道部に所属していたのも大きかったと思います。

コマツ女子柔道部は松岡義之監督、徳野和彦助監督、谷本歩実コーチがいます。谷本コーチにいたっては、オリンピックを2回経験し、二連覇をしているので、信頼して色々な相談をできる人がチームにいるというのは凄く大きかったと思います。

また、谷本コーチが杉本選手の性格を読んで、彼女が明るく柔道に取り組んでいけるように、サポートする体制も良かったと思います。

ロンドンオリンピックを振り返って

ロンドンオリンピックを振り返って

杉本美香選手自身も金メダルが獲れていれば一番良かったのですが、皆の成績が予想と覆っていくなかで、気持ちがしっかりしていないと、自分の試合でガタガタと嫌な雰囲気になってもおかしくないような最終日だったと思うんですよね。

自分らしさというか、「一本柔道」というものを初戦から出して切り抜けたということで、彼女は気持ちを出していくことができたのではないでしょうか。

しかし対照的にオルティス選手(キューバ)は前回と対戦したときと全然体つきが違っていました。トウブン選手(中国)をずっと目標に「絶対に勝つんだ、打倒中国」と、杉本選手も対策をしてきたと思うのですが、トウブン選手が完璧に封じられるくらい、あの日のオルティス選手はすばらしい戦いでした。

トウブン選手が決勝まで勝ち上がってきた方が杉本選手にとっては良かったのかも知れませんが、オリンピックは戦況などで流れが変わっていくので怖いなと感じました。

勝敗だけじゃない柔道から学ぶこと

勝敗だけじゃない柔道から学ぶこと

柔道で一番学ぶところは「人間形成」だと思います。勝つことだけでなく、私みたいに負けてばかりの柔道人生のなかでも、学ぶことはたくさんあります。

柔道をやっている限りは、大会で勝ちたいとか、最終的にはオリンピックや世界柔道選手権で勝ちたいという目標が人それぞれあると思います。

時には負けることもあると思いますが、苦しい練習を乗り越えて、目標にしている大会までに、自分のどこを伸ばしていかなければならないのか考えることや、技術面もですが、精神面での成長は、経験なくして伸びることはないと思っています。これを繰り返すことが、自分自身の成長に繋がることだと思います。

また柔道は、色々な人と出会い、色々なことを学ぶことのできる魅力のある競技。いまでも柔道の試合を見ると感動をして、柔道というものに魅了されている自分がいます。

選手には「一本」を極めて、日本らしい柔道で勝つように育って貰いたいです。私も一ファンとして、その様な柔道を見たいと思います。

柔道をしていたからこそ感謝する気持ちとか、色々な人に支えられていたんだということを振り返ってみると分かることですので、勝ち負けに関係なく、柔道に携わることで多くのことを学んで欲しいと思います。

 

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