嘉納治五郎の生涯

4. 「体育の父」治五郎

体育思想の向上のために

柔道を通して多くの学生に指導

若い頃から、強い身体を作るために、あらゆるスポーツに慣れ親しんだ治五郎は、多くの学生にも体育思想を推進した。優れた人間となるには、強い身体と何事にもくじけない強い精神を養うことが大切であるという信念に基づき、柔道を通して多くの学生に指導した。

1911年(明治44年)治五郎が50歳のときには、オリンピック初参加へ向けて、日本初の体育団体「大日本体育協会」を設立。初代会長になり、日本から初めて参加するオリンピック派遣選手選抜に尽力した。

また、国内に体育思想の普及を図るため、選手を国民に広く募集し、国民がスポーツに積極的に取り組むよう働きかけた。

1921年(大正10年)61歳のときには、「大日本体育協会」名誉会長になる。

柔道家の登竜門「講道館」

アメリカから指導者を派遣

治五郎は、講道館において、体力向上と人格形成を目指し、柔道を発展させ、多くの柔道家を育てた。自ら熱心に研究をし、弟子30人と乱取りをするなど並外れた稽古をこなした。こうして育った柔道家達が国内各地で活躍すると、柔道は、人間教育の一環として学校教育にも取り入れられるようになった。

また、柔道は、海外からの入門者によって全世界へ広まり、アメリカから指導者を派遣してほしいと要請される。治五郎は、これに応えて優れた高段者を派遣し、世界における柔道の発展を支援した。

アジア初のオリンピック委員として活動

オリンピック委員として活動

1909年(明治42年)49歳の頃、駐日フランス大使より、国際オリンピック(IOC)委員となることを引き受けた。オリンピックを復活させたクーベルタン男爵の志を聞き、これに共感した治五郎は、東洋初のIOC委員になることを受け入れる。以後、77歳までIOC委員として活動した。

治五郎がIOC委員として参加したオリンピック
  • 1912年
    (明治45年)
    51才 / オリンピック第五回ストックホルム大会(スウェーデン)へ初参加
  • 1920年
    (大正9年)
    59才 / オリンピック第七回アントワープ大会(ベルギー)へ参加
  • 1928年
    (昭和2年)
    67才 / オリンピック第九回アムステルダム大会(オランダ)へ参加
  • 1932年
    (昭和7年)
    71才 / オリンピック第十回ロサンゼルス大会(アメリカ)へ参加
  • 1936年
    (昭和11年)
    76才 / オリンピック第十一回ベルリン大会(ドイツ)へ参加

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