嘉納治五郎の生涯

1. 「不屈の魂」治五郎の一生

生い立ち

嘉納治五郎が生まれたのは、1860年(万延元年)10月28日、出身は、兵庫県摂津国菟原群御影村浜東であった。
父の治朗作希芝は、日吉神社神官生源寺家の四男。母の定子は、酒造家である嘉納家の娘。治五郎はこの夫婦の三男として生まれた。 幼名は伸之助、のちに治五郎となる。幼少の頃は、母、二人の兄、二人の姉と共に御影村で過ごす。

1869年(明治2年)10歳のとき、母が他界。世の中は新しい時代を迎え、江戸は東京となり、東京にいた父に迎えられ、11歳で上京。治五郎は、幼い頃からの「江戸へ行ってえらい人になる。」という夢の出発点に立った。

人に尽くすことを教えた母親

人に尽くすことを教えた母親

夫の留守を守り、治五郎を教育した母は、人のために尽くすこと、礼儀正しくすることを特に厳しく教え、その一方で優しい心を持つことが大事なことも教えた。

遊びに来た子供達にお菓子を配るときには、よその子に良いお菓子を、治五郎には悪いお菓子を配り、無作法なことをしたときは、反省するまでは決して許さない母。困っている人に対しては、我が事のように親身になって接する母。そんな母の姿が、治五郎の人柄に大きく影響したと言える。

先進的な考えを持つ父親

先進的な考えを持つ父親

勝海舟に認められる程才知ある父は、江戸と大阪を往来しながら運輸業に携わり、やがて、明治維新によって樹立した明治新政府に起用される。

常日頃、学問の大切さを説き、治五郎にも幼い頃から、儒学者を招いて漢学や書道を学ばせた。また、治五郎が14歳の頃、育英義塾で洋学を学びたいという申し出も聞き入れる程、先進的であった。

学生時代

学生時代

1874年(明治7年)洋学を学ぶため育英義塾に14歳で入塾し、塾の寄宿舎で生活する。その翌年、東京外国語学校に入学。同校英語部が独立し官立英語学校になり、そこで学ぶ。1875年に官立英語学校卒業。そして官立開成学校に入学する。

1877年、官立開成学校は東京大学と改称し、同大学文学部第一学年に編入。卒業後、哲学選科に入り、1882年(明治15年)22歳で卒業する。

東京大学在学中は、身体を鍛えるために、ボートや野球、器械体操など様々なスポーツに挑戦した。


柔道チャンネルでは、柔道部・日本柔道・国際柔道・世界柔道・柔道整復師・柔整専門学校・接骨院の関連情報がご覧頂けます。また、柔道大会情報や柔道家・選手紹介、柔道組織情報、柔道お役立ち情報など柔道に関する情報が満載です。

注目ワード