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柔術と剣術

柔道の起源と言われている柔術。その柔術と剣術には密接な関係性がありました。
現在の柔道を形作るもととなった柔術と剣術の関係性を歴史の流れと共に解説します。

柔術の起源は剣術だった

柔道が、日本の古武術のひとつである「柔術」をもとに発展した武道であることは周知の通りですが、では、柔術はどのようにして生まれたのでしょうか。

絶体絶命の大ピンチから柔術は生まれた

柔術の源流をたどっていくと、戦国時代までさかのぼります。

戦国時代の合戦は集団戦ですので、主力武器は長柄武器である「槍(やり)」です。長いもので、なんと6mもあったとされる「長槍」などで、遠くから突いたり叩いたりして戦いました。

合戦が進むうちに槍の穂先が折れてしまったり、混戦の中で槍自体を失ったりすると、最後は接近戦となります。この頃には、足軽などの歩兵も刀を差していたので、刀を抜いて、一対一で戦ったのです。その際に、ついには頼みの綱の刀まで失ったら、どうなってしまうでしょう。

「絶体絶命の大ピンチ」から「柔術」は生まれた

敵は刀を抜いて向かってきます。絶体絶命です。

そんな大ピンチのときに使われたのが、古来より伝わる「組討(くみうち)」の術でした。組討が発展して、やがて柔術となっていくのです。組討のルーツは相撲で、ここから柔術のもとは相撲だとも言われます。しかし、柔術は、相撲のように素手同士の戦いではなく、刀を持った相手の剣術を封じることを目的に発展していきました。つまり、柔術とは、剣を使わずに行なう剣術なのです。

柔術の技と形(かた)

戦場で組討の技術を使って、刀での攻撃を実際に素手で受け止めるうちに、その技が、「形」として成立していきました。それが現在の柔道にも伝わる「柔道の形」の原型です。

現在の柔道では禁止技の中に「当身技(あてみわざ)」があります。当身技は「殺傷のための技」とされているので、スポーツとしての柔道で行なうには危険すぎますが、戦場での真剣勝負では有効な技でした。

当身技は、相手の急所を「突く・殴る・蹴る」などの技の総称で、柔術の流派によっては、「殺活術」「殺法」とも称されます。当身技を使った形は「極の形」と言い、別名「真剣勝負の技の形」。まさに真剣勝負の合戦の場で編み出された形なのです。

「柔術」の技と形(かた)

合戦では、堅い甲冑を着ての戦いとなりますので、その上から殴ったり蹴ったりしても、相手へのダメージより、自分が受けるほうが大きくなりがちです。鎧の隙間から急所を狙う当身技なら、体力差のある相手でも有効ですし、そこから「絞め技」などに持ち込んで気を失わせたり、相手が弱ったところで投げ飛ばしたりすることもできます。

戦場で武器を失った武士は、そのように柔術の技を駆使することで、過酷な戦場で何とか生きながらえることができたのです。

柔術の思想

もともと戦国時代の合戦では、敵の歩兵を殺傷することを目的とはしていませんでした。では、攻撃の主目的は何だったのでしょうか。

当時の主力武器である槍での主な攻撃のひとつに「叩く」というのがあります。槍で叩かれても、あまり死ぬことはありませんが 、槍の穂先は非常に重いので、それで叩けば腕などは簡単に折れてしまいます。そうなれば戦闘意欲がなくなります。合戦の攻撃の目的は、まさに戦闘意欲を失わせることにあったのです。

柔術の思想

それは、刀を持った相手に戦う柔術においても同じでした。柔術は、戦国時代に刀を持った敵に対する素手での「護身術」から発展し、敵を捕らえる「補縄術」としても使われるようになりました。そこから、護身や相手を無傷で捕らえることを重視している点が、柔術の大きな特徴となっています。

たとえ武器を持った敵でも、「『礼』をもって接し、敵を傷付けたり命を奪ったりすることなく生け捕り、敵の暴力のみを制する」というのが、柔術の思想なのです。

柔道の起源は柔術だった

柔道は、明治維新後に日本古来の「武術(古武道)」から発展した「現代武道」のひとつで、柔術をもとにしていますが、どのように柔術は柔道へと発展したのでしょうか。

江戸時代の柔術

江戸時代の柔術

柔術は、江戸時代までの日本において、武士のたしなみとされていました。戦国時代が終わるとほとんど合戦の機会はありませんでしたが、戦闘技術や護身術を身に付けることは、武士にとって必然だったのです。

また、武士以外の武術の習得は禁じられていましたが、実際には町民や農民の間でも、盛んに柔術をはじめとする武術は学ばれていました。幕末の警察組織である「新撰組」の局長近藤勇も副長の土方歳三も農家の出身ですが、武術を修行していたことから武士以上の活躍を見せ、幕臣にまで取り立てられたのです。

柔道の父・嘉納治五郎

江戸時代には盛んに学ばれた柔術も、明治維新後の西洋化の波に乗って廃れていきます。

柔道の父・嘉納治五郎

しかし、この点は諸説あり、明治初期に多くの藩お抱えの柔術家が職を失ったため、柔術は衰退したとされていますが、実際には、地方の村落等で流行し、戦闘技術として学ぶのではなく、娯楽として広まっていったという記録も残っています。

「柔道の父」と呼ばれる嘉納治五郎は、様々な柔術の流派を極めて研究し、戦闘技術ではなく、心身の鍛錬を目的とした「講道館柔道」を興しました。

講道館柔道の成立

この講道館柔道は、嘉納治五郎の学んだ「天神真楊流(当身技・関節技中心)」と「起倒流(投げ技・捨て身技中心)」を源流としています。嘉納はそれぞれの流派の技を整理し、体系化を図りました。

柔道は、今日では試合で勝敗を決めるスポーツ競技であり、格闘技でもありますが、講道館柔道の基本理念は「精力善用」「自他共栄」であるとしています。競技での勝敗が目的ではなく、心身の力を最も有効に使用する「道」、その修行は精神身体を鍛える「教育」であるとしているのです。

講道館柔道の成立

講道館柔道が創設された頃は、まだまだ柔術が主流で、講道館柔道も新興勢力のひとつでしたが、やがて警視庁に採用され、学校教育に進出したことで、全国に広まり、柔道のスタンダードとなっていきます。

実戦の際の戦闘技術や護身術であり、技を磨くことを目的としていた柔術に対して、柔道は技を磨くこと以上に「精神修養」を目的とするという嘉納治五郎の思想を加えていることが大きな特徴です。その思想は柔道のみならず、他の現代武道や多くの武道家たちにも多大な影響を与えていきました。柔道が現代武道の筆頭に挙げられるのはそのためなのです。

表の剣、裏の柔

柔術は、戦国時代に合戦で刀を持った相手の剣術を素手で封じることから生まれた武術です。江戸時代以降も、柔術と剣術は深くかかわっていきました。その関係について見ていきます。

「剣」と「柔」は表裏の関係

柔術は、剣術を封じる目的で発展したため、柔術の稽古相手は剣術家である必要があり、柔術家自身も、当然剣術に通じていなければなりません。

どちらかと言えば、剣術がまずあって、それを封じるための柔術であり、剣術と柔術は表裏一体の関係でした。表の剣術なくして、裏の柔術だけを習得することはありえなかったのです。

柔術には、剣術の動きがそのまま活かされています。剣術を学ぶことが、柔術の上達にも繋がるのです。

「剣」と「柔」は表裏の関係

現在の柔道は素手で戦うのが基本ですが、講道館柔道の祖・嘉納治五郎は柔術の定義について「無手或いは短き武器を持って居る敵を攻撃し又は防御するの術」としていました。また、嘉納の考える理想的な柔道も、無手のみではなくて、剣や槍などの武器術を含むものだったと考えられています。

柔術と剣術は切っても切れない関係だったのです。

武士の心得「武芸十八般」

江戸時代の武士が、「剣」も「柔」も極めていたのには、もうひとつ別の理由があります。江戸時代には「武芸十八般」と言って、武士が習得するべきとされた18の武芸がありました。現在のように柔道や剣道のひとつだけを極めるのではなく、武士は柔術家であると同時に剣術家でもあることが当たり前だったのです。

武士の心得「武芸十八般」

武術の流派は柔術の流派を名乗っていても、柔術だけなく、剣術などの武器術も教えていました。もしくは、一道場で複数の流派、例えば柔術メインの流派、剣術メインの流派などをそれぞれ伝承するのが通常とされていたのです。

ですので、柔術を習得する場合、その仮想敵は武芸十八般の武士であることを前提で、武士は稽古をしていました。

余談ですが、十八般には柔術や剣術だけでなく槍や弓、水泳、手裏剣まであります。江戸時代、天下泰平の世になっても、武士は忙しかったのです。

武器相手の現代護身術「講道館護身術」

現代の護身術として、1956年(昭和31年)に制定された「講道館護身術」には、「徒手の部」と「武器の部」があり、さらに「武器の部」は、短刀、杖、拳銃に分けられます。槍や棒ではなく、杖や拳銃であることが現代風です。

短刀の技は、「突掛(つっかけ)」「直突(ちょくつき)」「斜突(ななめつき)」の3つ。これらは、「極の形(きわめのかた)」の当身技に近いものです。また、この護身術の大きな特徴は、一度柔道体系から削除された関節技がいくつか組み込まれていることです。

武器相手の現代護身術「講道館護身術」

「殺傷の技」である当身技は、スポーツとしての柔道では危険とされ、敬遠されがちですが、武器の携帯が法律で認められていない現代日本においては、自分の身が危ういときには、非常に有効で心強い味方となる技。ましてや相手は刃物を持っているので、生やさしいことを言ってはいられません。

戦場で短刀を持った相手に発達してきた護身術である柔術は、現代の護身術にも活かされているのです。

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戦国時代より、柔術と剣術は密接な関係にありました。柔術は「組討(くみうち)」の術が発展して柔術になったとも言われており、相手の剣術を封じることを目的に発展していきました。また、柔術は柔道の起源とも言われており柔道の発展にも大きく関係しています。柔道チャンネルでは、柔術と剣術の関係性から柔道の起源をイラストと共にご覧頂けます。

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