著名な柔道家インタビュー

山下泰裕東海大学体育学部長インタビューその3

この4月に東海大学体育学部長に就任した山下泰裕氏。

柔道界の顔として、日本のみならず世界中で活躍されてきた山下氏に、現在、大事にしていること、プーチン氏との交友エピソード、現役時代の思い出話など、幅広い内容のお話をお聞きしました。

山下泰裕氏

柔道教育ソリダリティー

日本の心、柔道を世界へ伝えるため、柔道を通じた文化交流、異文化理解のため、そして青少年の育成を目的に立ち上げたNPOは、たくさんの人たちに協力して頂きながら、いろいろな活動をしています。
最近の大きな活動としては、外務省の草の根文化無償資金と協力しながら、南京に日中友好柔道会館を、来年3月ぐらいを目処に開館するのがひとつ。それから、来年、私と井上康生がイスラエルとパレスチナの中間点に行って、柔道教室を行なう予定です。そこで、たぶん私が、柔道の和の心、自他共栄の精神について話をします。それから、NPOが中心になって、パレスチナ、イスラエルの子どもたちを日本に招待して、日本の子どもたちとの交流を図りたいと思っています。
もうひとつ、富田常男の小説『姿三四郎』を英語で翻訳して世界の国々に配ったり、世界の図書館に寄贈するという活動を進めています。
もちろん、リサイクル柔道衣を贈ったり、外国からの指導者を受け入れたりという活動はずっと続けています。日中友好柔道会館にしても、箱物を作ればいいというものではなく、そこで日本の心を理解してもらうこと、正しい柔道を伝えることが目的なので、指導される方々を呼んで研修をするとか。NPO設立の目的や主旨をよく踏まえて活動したいと思っています。
いろんな方に支えて頂いて、参加して頂いて、自分自身が頭で描いていたよりも、はるかに大きな役割を果たしてこれたのではないかと思っています。

松前重義前総長の教え

山下泰裕氏東海大学の創設者である、松前重義前総長は、私に常々こう仰っていました。「単に試合で勝つだけではなく、日本で生まれ育った柔道を通して、世界の若人と友好親善を深めなさい。さらにそれだけでなく、スポーツを通して世界平和に貢献できる人間になってほしい」。松前前総長はそういう思いで私を応援してくれていたのです。
松前前総長の仰っていたことは、まさしく嘉納治五郎先生が提唱してきた自他共栄の精神です。私はできる限り、それを実現していきたいと考えています。
いろいろな国を訪れて感じることは、日本というのは我々が思っている程、世界では理解されていませんし、日本に対する認識はそんなにあるわけではありません。経済的には大国だと言われていますが、日本というのは資源のない国ですから、もっと世界との交流を盛んにし、お互いに相手を理解しあう、共存共栄の道を図っていくことが大事だと感じています。私にできるのは柔道ですから、柔道という切り口で、自分のできることをやっていきたい。柔道がスポーツになり、スポーツがスポーツを含んだ文化になり、そして経済とか学術とか様々な分野で世界の人々と交流していく。そうすることが、日本が世界において、なくてはならない国、信頼できる国になるために不可欠なのかなと思います。

周りがどう思うかは関係なかった

山下泰裕氏現役時代の思い出?私はあまり過去を振り返ることはないのですが、強いて言うなら、大会としては3つあります。それは、初めて日本一になった全日本選手権。ロサンゼルス柔道競技(五輪)。そして、現役最後の全日本選手権です。瞬間としては、ひとつは全日本選手権で初めて優勝して白石礼介先生、猪熊功先生、佐藤宣践先生の胸に飛び込んでいった瞬間、もうひとつはロスの五輪で優勝して、日の丸を仰ぎ見ながら「君が代」を歌っている瞬間、この2つです。
現役時代、勝つことが当たり前と言われることへのプレッシャーというのは、あまりなかったです。逆に相手が「俺は負けて当然で、かないっこないよ。山下しかいないよ」と諦めてくれたらこんなに楽なことはなかった。でも、周りの人がどう思うかは、私にはあまり関係なかったです。自分がどう思うかの問題ですから。
ロスの五輪でも「山下さん、負けられないから大変ですね」と言われましたけど、「バカ言うんじゃないよ、勝つってそんなに簡単なもんじゃないんだよ。負けられないんじゃない、勝たなきゃいけないんじゃない、俺が一番勝ちたいんだ」というのが、そのときの気持ちでしたね。私自身が受け身は嫌なんですよ。そのときに自分がどう思うかですよ。

大会成績

全日本柔道選手権大会
(1977年〜85年)
  • 1977〜85年 … 優勝
ロサンゼルス柔道競技(五輪)
(1984年・無差別級)
  • 1984年 … 無差別級 優勝
世界柔道選手権大会
(1979年・1981年・1983年)
  • 1979年 … 95kg超級 優勝
  • 1981年 … 95kg超級/無差別級 優勝
  • 1983年 … 95kg超級 優勝

現役引退で、気が楽に

そう言いながらも、現役引退を発表したその日、実はすごい気が楽になったんです。ちょんと飛び上がったら3mぐらい上がりそうなくらい(笑)。そんな身軽さだった。背負っているときには分からなかったけどやはりプレッシャーがあったんですね。そのときには「いいな、こんな気軽な身もいいよな。でも、またいつか、再びそういうものを背負える人間になりたいな」というのが率直な感想でした。周りの期待というのは重荷ではあったけど、やり甲斐であり、自分の誇り、プライドでもあったわけです。ちなみに、全日本の監督を辞めたときは2mぐらいでしたね(笑)。

勝ち続けることができた理由

山下泰裕氏私が、どうして勝ち続けること(203連勝)ができたかというと、それは、過去を振り返らなかったからだと思います。現役時代は、自分の考える理想の柔道と比べ、決して満足できるものではなく、「俺はこんなもんじゃないはずだ」といつも思いながら、上を向いて、前を向いて頑張った。
で、現役を辞めて初めて自分が登ってきた道を振り返ったわけです。そしたらね、びっくりした。「わ〜、俺、こんなに頑張ったのか、すげえなぁ」と。ただ、理想の山の頂点を目指してやってきて、「こんなもんじゃいかん、こんなもんじゃいかん」と頑張ってきた結果が203連勝、全日本選手権9連覇、五輪優勝だった。登山と一緒ですよ。これがもし途中で、「ちょっとひと息つこうかとか、どれぐらい登ったか下を見て、おぉ、なかなかじゃん、俺もやるじゃない」なんて言ってほっとひと息ついていたら、きっと最後まで登れなかっただろうと思います。

過去は変えられないけど、未来は変えられる

現役時代も今も同じですよ。今はまた違う山に登っているので、途中で下を見たりしません。私がいつも「過去は振り返らない」と言っているのはそういうわけです。
でも、自分に対するご褒美、自分で自分を誉めてあげることは大事だと思います。ただひとつ言えることは、過去は忘れているようでも、それは頭の中に残っているんですよ、潜在意識で。自分が何か大事な決断や判断を下すときには、必ずそういうのが甦ってくる。過去のマイナスな面を引きずって生きても何もない。過去は変えられないけど、未来は変えられる。今、頑張れば未来は変わっていくわけです。そして、これからの人間が、過去の自分の成果に満足したり、あぐらをかいたりして、これでいいだろうと思ったら、それは堕落の始まりだと、私は思っています。

※このインタビューは、2009年6月5日に行なわれたものです。


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