著名な柔道家インタビュー

山口香 筑波大学大学院准教授&全日本柔道連盟国際委員会副委員長インタビューその1

筑波大学大学院准教授としてスポーツマネージメントに関して教鞭をとる傍ら、女子柔道クラブの一員として柔道の普及活動をしたり、講演、柔道教室、テレビ解説など多忙な毎日を過ごしている山口香さん。

「女三四郎」と呼ばれ、日本女子で初の世界柔道選手権大会チャンピオンに輝くなど、女子柔道のパイオニアとして女子柔道を牽引してきた山口さんに、日本女子柔道草創期の苦労話を中心にお話を伺いました。

山口香氏

プロフィール

  • 生年月日:1964年12月28日 出身地:東京都豊島区
  • 主な戦歴

    • 1978年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 50kg級 優勝
      1979年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 50kg級 優勝
      1980年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | 世界柔道選手権大会(アメリカ:ニューヨーク) 52kg級 2位
      1981年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | アジア柔道選手権大会(インドネシア:ジャカルタ) 52kg級 優勝
      1982年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | 世界柔道選手権大会(フランス:パリ) 52kg級 2位
      1983年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 52kg級 2位
      1984年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | 世界柔道選手権大会(オーストリア:ウィーン) 52kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 52kg級 2位
      1985年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | アジア柔道選手権大会(日本:東京) 52kg級 優勝
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 52kg級 優勝
      1986年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | 世界柔道選手権大会(オランダ:マーストリヒト) 52kg級 2位
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 52kg級 優勝
      1987年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 優勝
       | 世界柔道選手権大会(ドイツ:エッセン) 52kg級 2位
       | 福岡国際女子柔道選手権大会 52kg級 2位
      1988年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 52kg級 2位
       | ソウル柔道競技(五輪) 3位
      1989年 | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 48kg級 2位

柔道を始めたきっかけは『姿三四郎』

山口香氏今でこそ女子柔道は五輪競技にもなり、日本でも非常に盛んになっていますが、私が始めた頃は、道場でも女子は私一人しかいませんでした。

私は小学校1年生のときに柔道を始めたんですが、きっかけは、『姿三四郎』というテレビドラマでした。当時の私はけっこう外遊びが好きで、おままごとより鉄棒とか、かけっことか、鬼ごっこをやっている、俗に言う「お転婆」で、最初は体操選手になろうか、当時テレビで放映していた『サインはV』も好きだったのでバレーボール選手もいいなぁとか考えていたんですね。そんなときに『姿三四郎』を見て、何が良かったかと言われるとすごく難しいんですけど、他のスポーツにはない何かを感じたんです。
姿三四郎はすごく強いのに、いつも矢野正五郎に怒られている。なんか違うんですよ、他のスポーツと。普通は強くなっていく過程で誉められると思うのに、三四郎はいつも怒られている。そういう、形で見える強さと、内面の強さとのアンバランスさに惹き付けられたというか…。まぁこれも今だからこうやって説明できることなんですけどね(笑)。

あとは、バレーボールとか体操とかは一般的じゃないですか。柔道って、私の周りではあまりやっている女子がいなかったので、「実は私、柔道黒帯なの」みたいなことが言えたらカッコイイかななんて考えたんですね。
柔道のことをまったく知らなかったので、すぐ黒帯になれると思っていたんです。けっこう運動神経には自信もあったし。

当時は女の子で柔道をやっている子なんていなくて、最初、道場に行ったときには、道場の先生(西村進先生)が「女はダメ」って入れてくれませんでした。「どうせ一生懸命教えたって、女なんてすぐにやめるんだから」みたいに言われて。
でも、私が「やりたい、やりたい」としつこく言っているうちに、先生も「女の子だからといって特別扱いはしない。男の子と一緒でもいいんだったら」と認めてくれたんです。両親から反対されることはありませんでした。というのも、実はうちの親も柔道をよく知らなかったんです。おそらくテレビのイメージしかなかったんですね。それで、さぞかし礼儀正しくなるだろうと考えたみたいで。
それに、お転婆の割には風邪をひいたりしていたので、身体も丈夫になるんじゃないかと。当時はまだ女子の試合もありませんでしたから、まさか試合に出るなんて考えなかったでしょうしね。「まぁいいんじゃない、やりたいなら。月謝も安いし」みたいな感じでした。


ひとつ一つのことに厳しかった道場の先生

小学生の頃、私は結構強かったです。試合では男の子にも負けませんでした。負けず嫌いでしたしね。私が、というより、うちの道場が強かったんです。月曜日から土曜日まで週6日練習していましたし。道場に行かないと、先生から「今日はどうした?」って電話がかかってきましたから。
30畳ぐらいの小さな道場に30〜40人くらいの子供達が来ていましたが、厳しい道場でしたから、やめていく子もいっぱいいました。

私が今でもよく覚えているのは、昔の柔道の先生ってそうだったと思うんですが、ものすごくひとつ一つのことに厳しかったことです。例えば、柔道衣というのは自分を守ってくれる物なんだから、絶対粗末に扱っちゃいけないとか。なぜ、礼法があるのかとか。 お坊さんや和尚さんのように、一日一講話、講話まではいかないけど、毎日1〜2分はそういう話をしてくれて。そのときは何を話しているのか、全然分からなかったですけど、自分が成長していくなかで、「あのとき、こういう話をして教えてくれた」とか、「こういう意味があったんだなぁ」とか。子供の頃に聞いたことって意外に残っているんですよね。あとは、基本にすごく忠実で、柔道というのは、絶対に自分もケガをしちゃいけないし、相手にもさせてはいけない、ということを繰り返し言われました。
「投げたあとは、絶対に転ぶな」と。だから、掛け潰れるなんていうのは、許されなかった。剣道でいう残心みたいなもので、投げたあとの姿勢も美しくなくてはいけない。しっかり安定した技を掛けるようにと、いつも言われていました。そういう基本的なことをすごく教えこまれて身体に染み付いているので、技術を伸ばすことができたと思います。

でも、練習は毎日で、しかもかなり厳しかったですから、楽しくてしょうがないというわけではありませんでした。なんというか、学校と一緒で、この時間になったら行くという、習慣みたいな感じ。高校卒業するまで、練習はそこでやっていました。

中学2年で全日本体重別チャンピオンに

山口香氏中学2年生(1978年)のときに全日本選抜柔道女子体重別選手権大会が始まって、チャンピオンになって。そこから道場での立場も一変し、それまでは“one of them”(その他大勢)って感じでしたけど。それだけ小さな道場でチャンピオンが出ると先生も力が入るじゃないですか。テレビの取材もいっぱい来ましたし。それで、私を中心に道場も回りだして。私的には望んでいなかったんですけどね(笑)。だから、ますます練習は厳しくなり、週6日だけでも充分だったのに…という感じでした(笑)。

私がチャンピオンになって、道場にも入門者が増えましたけど、うわついた気持ちで来たって続かないんですよ。その当時の道場は、「来たければ来てもいい」というスタンスで、サービスしてまで引きとめようなんて気持ちはさらさらなかったですからね。
怖かったですもん、西村先生。私、今は普通にしゃべりますけど、道場にいたときは「はい」しか言えなかったですから。黒い物を白と言われても答えは「はい」しかありませんでしたからね。


仕事も辞め、柔道にかけていた昔の女子選手

私はけっこう飽きっぽい性格なんですけど、それがなぜ、全日本選抜柔道女子体重別選手権大会で10連覇(1978〜1987年)もできたかというと、やはりそれは「女子柔道」だったからだと思うんです。

私が中学2年のときに初めて試合が始まり、日本女子柔道の競技の歴史はそこから始まったわけです。だから、社会的に認知されること、世界で勝つこと、そのすべてがまさにゼロからのスタートでした。

世界柔道選手権大会が行なわれることになって、その予選をやらなければいけない。「いるのか、選手は?」から始まったんですから。
その大会に私は最年少の13歳で出場し、最初にやった試合の相手は、今でも時々お会いしますけど、当時36歳くらいで、もう3人のお子さんがいる方でした。そういう方もあの頃は結構出場していて、珍しいことじゃなかったんです。

それから競技のレベルもだんだん上がっていって、競技に専念できる人じゃないと、勝てない時代になっていきました。でも、昔の女子ってすごかったんですよ。最初の世界柔道選手権大会(1980年)のとき、私は高校生でしたけど、他に行った6人の選手のうち3人は無職でした。なぜかと言ったら、世界柔道選手権大会の代表になったから仕事を辞めているんですよ。仕事なんかやっている場合じゃないと。みんなそれぐらい、柔道にかけていました。

※2010年1月現在


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