田知本遥1/3
2017年10月に引退を発表した田知本遥氏。
リオデジャネイロ五輪(柔道)女子70kg級での金メダル獲得など、輝かしい経歴を持つ田知本氏に、学生時代の思い出や五輪(柔道)への思い、今後の目標などを語って頂きました。
母に勧められて始めた柔道
小学2年生のときに「なにか習いごとをしてみたい」と母に伝えたところ、柔道を勧められ、姉(田知本愛選手)と一緒に小杉少年柔道クラブに通い始めました。
父がもともと柔道をやっていたのですが、寡黙なタイプであまり積極的に話す人ではなかったので、母としては「柔道を通して父と子のコミュニケーションを図ってほしい」という思いがあったそうです。
楽しみながら技を覚えた幼少時代
柔道を始めた当初は、まず受身の練習から始まって、その後は大内刈りや大外刈りなどの基本的な技を教わりました。当時は新しい技を教わることや、技ができるようになることが楽しかったですね。
父いわく、私は飲み込みが早くて、言われたことはすぐにできる子だったそうです。負けず嫌いな性格だったので「教わったことはすぐにできるようになりたい」という思いがありましたし、技を覚えること自体を楽しみながらやっていました。
当時はクラブの時間以外にも、自宅の和室で柔道着を着て綺麗な打ち込みの仕方など、基礎的な部分を父に教えてもらったのを覚えています。
中学時代の印象的な試合
中学は小杉中学校に進学し、朽木淳司先生のもとで寝技などを仕込んで頂きました。思い出に残っている試合は、1年生のときに3位入賞した全国中学校柔道大会(63kg級)ですね。
- 全国中学校柔道大会 2003(女子63kg級)
大会中は、強い選手に先生が付き添うのですが、当時は誰も私が3位に入賞できると思っていなかったんでしょうね。私ひとりでどんどん勝ち上がり、準決勝の前に先生へ「次、準決勝で戦います」と報告をしに行ったのですが、そのときに先生がすごく驚いた顔をしていたのが印象に残っています。
朽木先生からは、在学中に柔道に関する知識や多くのお言葉を頂きました。偉人の名言をプリントアウトした紙が、道場の掲示板に毎月貼り出され、それを見るのも好きでしたし、先生からメッセージが書かれた色紙を頂いたこともありました。当時は多くの刺激を貰っていましたね。
自主性が身に付いた高校時代
高校は小杉高校に進学しました。高校時代は「自分で考えて練習をする」という意識が身に付いた時期だったと思います。高校生だと、通常は決められた環境で決められたメニューをこなす選手の方が多いと思いますが、私は高校生の頃から男子選手と一緒に練習をしていたので、他の女子選手とは少し違うメニューを組まなければなりませんでした。
もちろんコーディネーターの方や女子の監督にも協力はして頂いていましたが、自発的に「今日はこの練習をします」と決めるようにはしていましたね。
高校までは自分の意思でメニューを決める機会が少ないため、大学に入ってからいきなり自由な環境になることで戸惑う選手も多いのですが、私は周りの選手よりも少し早く自発的な練習スタイルを身に付けていたので、大学に入ってからも大きく戸惑うことはなく環境に馴染めました。
男子との練習の成果もあり、国内だけでなく、ベルギー国際柔道大会やアジアカデ・ジュニア柔道選手権大会など、高校時代に国際大会で優勝することができたと思っています。
挫折をバネにインターハイで優勝
高校1年生のときに出場した2006年全国高等学校総合体育大会柔道競技大会(以下、インターハイ)は、団体戦では優勝を果たしたものの、個人としては優勝することができませんでした。中学生の頃からインターハイでの個人優勝を目標にしていたので、団体で優勝してもあまり喜べなかったというのが正直な気持ちです。
- 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)
柔道競技大会 2006(女子70kg級)
3年生になって、インターハイで個人優勝できる最後のチャンスが巡ってきたのですが、その前に北信越高等学校体育大会に出場する機会がありました。
インターハイの出場権はすでに手にしていたのですが、「全国1位を目指すならこの大会でも1位になっておかなければならない」という気持ちがあり、意気込んで出場しました。しかし、この大会では優勝することができず、結果は2位。
そのことがとても悔しくて、そこからインターハイまでの間、父や姉にも協力してもらい、自身を徹底的に追い込みました。
ある日、父の組んでくれたメニューの中に、男子選手何人かを相手に私がひとりで乱取りをするというのが組まれていました。やらなければいけないことだと分かっているのにその稽古がとても辛かったのと、自分の中でくすぶっていた北信越高等学校体育大会での敗退の悔しさなど、色々な感情がこみ上げてきて、思わず道場を抜け出してしまったのです。実は道場の裏にいたのですが、そんな私を皆が必死で捜索してくれていたという出来事もありましたね。
今となっては良い思い出ですが、そうした辛い練習の甲斐もあり、3年生のインターハイでは初の個人優勝を果たすことができたので、その一連の出来事は今でも深く印象に残っています。
- 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会 2008(女子70kg級)
インタビュー:2017年10月