杉本美香1/1
怪我に苦しんだオリンピック前調整
オリンピックに出たいという目標は、柔道を始めた頃からずっと持ち続けていました。
ただ、本当の意味で「目標」となったのは、谷本歩実先輩に連れて行ってもらった北京オリンピックがきっかけです。
目の前で金メダルを獲得した先輩の姿に刺激を受け、「自分もあの舞台に立ちたい! 絶対にオリンピックに出たい!」という思いがどんどん大きくなっていったことを覚えています。
念願だったロンドンオリンピックの代表に選ばれてからは、目標を金メダルに。本番までの約3ヵ月は、普段の練習から自分を追い込み、合宿でも覚悟を決めて厳しい練習に耐えました。
同時に、本番で対戦する可能性のある相手の研究もじっくりと進めました。
特に金メダル争いのライバルとされていたトウブン選手(中国)への対策は、できるだけ本番での戦いをイメージしながら入念にやっていましたね。
6月に右肩の肩鎖関節亜脱臼という大きな怪我をしてしまったときも、決して焦らず「肩が動かせないのであれば違う部分を鍛えればいい」と前向きに考え、主に下半身を強化することに時間を費やしました。
女子柔道は階級が上がるにつれて練習をしない選手が多くなるのですが、自分は練習を重ねて自信を付けていくタイプ。
楽な練習で不安を抱えたまま試合に臨むよりも、「練習のしすぎで怪我をする方がまし」と考えてしまうので、どうしても怪我が多くなってしまうのです。
調整法は選手それぞれ違うものなので、そのバランスは難しいところ。
あの時期に肩に怪我をしたことで、下半身を強化できたことにも意味はあると思いますし、柔道では怪我さえも成長のための試練。
すべてに意味があるのだと思って調整していました。
先輩メダリストの言葉
本番までに合宿がたくさんあったので、ロンドンに到着したときは「やっとここまで来られたのか」という感じ。
さらに自分の試合は柔道競技の最終日だったので、特別に緊張することもなく、普通の国際大会と同じような気持ちでしたね。
現地に入ってからも園田隆二監督やコーチと相談をして、あとになって後悔しないように自分の考えも取り入れながら練習メニューをこなし、練習以外の時間には日本選手団のマルチサポートハウスで治療をしたり、リラックスしたりしながら過ごすことができました。
実はオリンピック前に技のバランスが崩れていたので、試合間近になるまでその修正にも取り組んでいました。
監督からは技術面のアドバイスを頂きましたが、自分としては「今までやってきたことを思い出して、すべて出し切ってこい」という言葉の方が印象に残っています。
女子78kg超級は、シドニーオリンピックで山下まゆみさんが銅メダル、塚田真希さんがアテネオリンピックで金メダルと北京オリンピックで銀メダルを獲得している階級。
塚田先輩は今、イギリスに住んでいらっしゃるので、ウォーミングアップのときに「試合が始まってからはこうした方がいいよ」など、いろいろとアドバイスを頂きました。
また、テレビの解説で現地にいらしていた谷本先輩からも、試合前の過ごし方や、試合への入り方など、金メダリストとしての経験談を聞かせて頂きました。
「初戦の前のウォーミングアップでは、乱取りを5本するくらいの息の上げ方をするといいよ」というアドバイスを実際に実行すると、本当に自然と体がよく動いたんですよ。
やはり、塚田先輩や谷本先輩のような経験者の言葉はスッと心の中に入っていきますし、重みが違いました。
ロンドンオリンピックでの戦い
ロンドンオリンピックの初戦(2回戦)と、その後の準々決勝では、ずっと修正に取り組んできた得意の払い腰で一本勝ちすることができました。
調整は上手く進められていたので不安はなかったですね。狙い通りの技で一本を取れたことで、「やっと感覚が戻ってきた」と確信を持つこともできました。
それでもすぐに準決勝に向けて気持ちを切り替えました。
準決勝に向かう直前、金メダル争いの最大のライバルだったトウブン選手が負けたときの気持ちについてよく質問されるのですが、自分自身の試合がすぐに始まるので、何も感じませんでした。
本当に「あぁ、負けたんだ」というくらいで。
これから自分は目の前の相手と戦うわけで、そのときは準決勝の相手であるカリーナ・ブライアント選手(イギリス)のことしか見ていませんでしたね。
トウブン選手と戦いたいという気持ちを持っていたのは事実です。
トウブン選手に勝つために、いろんな方に助けられ、アドバイスをもらい、支えられ、協力して頂きましたから。
その人達のためにも対戦して絶対に勝ちたいという思いがありましたね。
準決勝で戦ったブライアント選手とは以前にも対戦したことがあり、オリンピックでも勝ち上がってくるだろうと予想していた選手でした。
お互いに研究し合っていることもあり、簡単に勝てる相手ではありませんでしたね。
身長差があるので足技で崩そう、少しでも隙があれば一本を狙おうなど、いろいろな展開を考えて試合に臨んだ結果、有効ポイントでの判定勝ち。
一本は取れませんでしたが、自分としては落ち着いた戦いができたと思っています。
やっぱり、悔しかった決勝戦
金メダルを賭けた決勝の相手はイダリス・オルティス選手(キューバ)。
準決勝までと変わらない気持ちで畳の上に上がったつもりでしたが、やはり緊張してしまいました。
より正確に言えば、それまでよりも「勝ちたい」という気持ちが強すぎて慎重になりすぎてしまったという感じでしょうか。
オルティス選手には2010年の世界柔道選手権東京大会で2連勝(78kg超級と無差別級)していましたが、2011年の世界柔道選手権フランス大会の団体戦では負けていました。
前回の対戦で負けていることは気にはしませんでしたが、前回より体が少し大きくなっているし、準決勝でトウブン選手を倒した勢いもあり、オリンピックにピタリと照準を合わせてきたなという印象を受けました。
実際に組んでみると、徹底してこちらの技に対して返しを狙っていて、かなり研究されている感じ。
もちろん、「仕掛けなければ」とは思いましたが、思い切って攻めることができませんでした。
今振り返ると、「絶対に優勝したい」という気持ちから、知らず知らずのうちに守りに入ってしまったのかもしれません。
旗判定を待っている間は何を考えるでもなく、ただただ祈るだけでした。相手の白旗が上がるのを見た瞬間は「あぁ、終わった」という感じでした。
そして、悔しい気持ちと、応援して下さった人達に対して申し訳ないという思いが大きかったですね。
それに、負けて表彰台に上がるというのは、ダメージが大きかったです。
メダルを首にかけて頂いたときも、やっぱり悔しかったですね。
明らかなポイントを取られて負けたわけではないのですが、自分が思い切り攻められなかったことが敗因。
相手を上回る状態で試合当日を迎えられなかったことも自分の責任だと思うので、いろんな場面で反省するべき点が多いオリンピックになりました。
感謝の気持ちを伝える場
自分の試合があった最終日までに、日本女子柔道が獲得したメダルは2つのみで、金メダルは57kg級の松本薫選手だけ。
大会中には7人の選手が同じ宿泊施設で生活していたので、毎日顔を合わせていましたし、厳しい練習や合宿を一緒に乗り越えてきた仲間意識もありました。
毎朝、試合に向かう選手をみんなで見送ったり、「がんばれ!」と声をかけ合ったりしていました。
自分のときも姿が見えなくなるまで宿舎のベランダに出て応援してくれて。
そんな仲間の思いも背負って畳に上がり、絶対に金メダルを獲りたいと思っていたんですけど…。
ただ、2回戦と準々決勝では、勝ちたいという気持ちが前に出て、一本を狙う自分の柔道スタイルで結果も出せましたし、今は銀メダルを獲ることができ良かったと思っています。
悔しい気持ちのまま日本に戻ってきたのですが、応援してくれていた人達は銀メダルでもすごく喜んで下さいました。
「怪我なく帰ってきて良かった」、「感動したし勇気をもらったよ」という言葉に救われました。
それから、柔道やその他のスポーツをしている子供達から「かっこ良かった!」と言ってもらえたことも嬉しかったです。
自分も次の世代に、何かを伝えられたのかなって。自分の姿を見て、柔道を始めてくれる子がいれば嬉しいですね。
ロンドンオリンピックで戦いを終えるまで、いろいろなことを経験して、いろいろな人と出会って、たくさんの方が応援してくれる声も聞けて、自分は幸せ者だなと感じています。
人間的にも成長できたと感じていますが、もちろん、それは柔道があってのこと。
私にとってオリンピックは、感謝の気持ちを伝える場でした。
金メダルには届きませんでしたが、皆さんの応援が自分にとって大きな力になりました。とても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にたくさんの応援をありがとうございました。
インタビュー:2012年11月