著名な柔道家インタビュー

篠原信一 天理大学准教授&全日本柔道男子ナショナルチーム監督インタビューその1

北京五輪(柔道)(2008年8月)後に全日本柔道男子ナショナルチーム監督に就任した篠原信一氏。先のロッテルダム世界選手権(2009年8月)では「金メダルゼロ」という結果でスタートすることとなってしまいました。

それでも、「今が一番のどん底なので、あとは這い上がるだけ」と、ロンドン五輪(柔道)(2012年)に向け決意を新たにする篠原氏に、全日本男子柔道の現状と今後、そして自身の選手時代についてもお話をお聞きしました。

篠原信一氏

プロフィール

  • 生年月日:1973年1月23日 出身地:兵庫県神戸市長田区 
    身長:190cm
  • 主な戦歴

    • 1994年 | 嘉納治五郎杯東京国際柔道大会 95kg超級 3位
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 95kg超級 3位
      1995年 | 世界柔道選手権大会(日本:幕張) 無差別級 3位
       | フランス国際柔道大会 95kg超級 優勝
       | アジア柔道選手権大会(インド:ニューデリー) 95kg超級 優勝
       | アジア柔道選手権大会(インド:ニューデリー) 無差別級 優勝
       | 全日本柔道選手権大会 2位
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 95kg超級 3位
      1996年 | 嘉納治五郎杯東京国際柔道大会 無差別級 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 95kg超級 3位
      1997年 | 世界柔道選手権大会(フランス:パリ) 95kg超級 2位
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 95kg超級 優勝
      1998年 | 全日本柔道選手権大会 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 100kg超級 優勝
      1999年 | 世界柔道選手権大会(イギリス:バーミンガム) 100kg超級 優勝
       | 世界柔道選手権大会(イギリス:バーミンガム) 無差別級 優勝
       | 全日本柔道選手権大会 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 100kg超級 優勝
      2000年 | シドニー五輪(柔道) 100kg超級 2位
       | 全日本柔道選手権大会 優勝
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 100kg超級 優勝
      2001年 | 世界柔道選手権大会(ドイツ:ミュンヘン) 100kg超級 3位
       | 全日本柔道選手権大会 2位
       | 全日本選抜柔道体重別選手権大会 100kg超級 優勝
      2003年 | 全日本柔道選手権大会 3位

最初は断った全日本の監督

篠原信一氏今、私は全日本の監督をやらせてもらっているわけですが、それまでコーチとしての経験もありませんでしたし、いきなり監督ということで戸惑いや不安もありました。
それに、私は現役を引退してから、テレビや新聞の解説をやっていたので、だいたいの日本の状態も分かっていましたから、正直、監督をやるのは厳しいだろうというのはありましたね。
だから、はじめは「無理ですよ」と断ったんです。「コーチの経験もない私が全日本の監督なんてとんでもないですよ」と。でも、「それでもいいんだ」「篠原が今まで経験してきたことを、篠原らしい素直なやり方で進めればいいから」と言われて。そこまで言われるのであればということで、引き受けることにしたんです。
はじめるにあたっては、前監督の斎藤(仁)先生はじめ、細川(伸二)先生や正木(嘉美)先生もおられますから、いろんな話を聞きながらやればなんとかなるだろう、と思っていたんです。
でも、いざやりはじめたら、ランキング制が導入されて国際大会も増えたり、ポイント制になったり、ルールもどんどん変わってきていますしね。これは大変だなぁというのが、実感です。

今回の世界選手権ひとつとっても、日本にとってはじめての金メダルゼロということで、「篠原は何を強化してきたんだ」と言われますしね。
そうならないように、厳しく金メダルを獲るためにやってきたつもりなんですけど、それでも結果が出せなかった。結果がすべてで、結果ありきの過程ですから、そういった負けを踏まえて、反省しながら、今後どういうふうにしていくのかを考えて、今やりはじめているところです。
自分として、今いちばん大事にしているのは「活き活きと生きる」ということ。「いきいき」のいきは「活」。活きのいい魚の「活き」です。


今の選手に見られない気迫と貪欲さ

今後の強化を考えたとき、大事なのは技術的なことよりもまず精神的なことだと思っています。試合に対する姿勢、日本代表ということの意味、自分の夢であったり、目標であったり…。
なんのためにこんなにきつい練習をしているのかということを、選手自身が分かっているのか疑問に思うんですよ。それが試合にも出ている。今の選手には「何がなんでも勝ってやる」という気迫や勝つことに対する、ひたむきさや貪欲さが見られないんですよね。

今まで、五輪というのは、良くてトップの選手が1回チャレンジできるかできないかだったと思うんです。世界選手権なら今までは2年に1回でしたから、平均2回から3回。私は幸いに4回出させてもらいましたけど…。
そう考えて今の日本の代表クラスを見たとき、五輪を経験した選手が2人、世界選手権を経験したのが2〜3人いる。今度また野村(忠宏)が4回目の五輪を狙おうとしている。何を言いたいかというと、入れ替わりができていない。つまり、若い選手が出てきていないというところがやっぱり一番大きい問題だと思うんです。
普通であれば、世界選手権、五輪を経験して、勝った負けたは別として、そこでひとつ燃え尽きて。そこに勢いのある若手が出てきて、「ああ、もう俺にはついていけないな」と。そういうところがあったと思うんですけど、今は下からの突き上げがないから、まだまだできるという感じになってしまっている。
だから、私が監督になったからには、厳しいトレーニング、厳しい練習の中で勝ち残ったベテラン組と、這い上がってくる若手を競わせて次の大会に向けて強化していきたいなと。
例えば来年東京で世界選手権がありますけども、そこで若手が、代表に選ばれたときに、仮にメダルが獲れなくても、私の最終目標はロンドン五輪(柔道)ですから。そこに照準を合わせてやっていきたいと思っています。

精神的な強さとハングリーさを出させる

斎藤(仁)先生が監督をやられていた頃の強化の仕方と私のやり方とはかなり違うと思います。
でも、約1年間やってきて、今回の世界選手権が示すように、結局、金メダルゼロだったということは、選手がいくら「練習している、頑張っている」と言っても、結果が出なかったら、頑張ったことにはならない。結局、稽古が足りないんだと。
だから、これからは今まで以上に厳しくしていくつもりですし、それについて来れないヤツはもういいぞと、そういうやり方でやっていこうと思っています。

今の選手たちは、恵まれすぎていると思うんです。だから、もっと頑張ればもっといい生活ができるとか、自分で今以上のいい環境を作り出すんだという気持ちもあまりない。
だからまず、精神的な強さやハングリーさを出させるために、「俺はこれだけきつい練習をしたんだから、負けるはずがない」と思えるような、全日本合宿をしていこうと思っています。
それと、全日本の合宿のときだけじゃなく、所属に戻ってからも、合宿のときのような厳しさを持って練習しなくては意味がないということを、選手たちにしっかり植え付けていきたいと思っています。

目標に向かって頑張れる選手だけを使う

野村(忠宏)のように、結果を残しているベテランの選手はまだいいんですよ。彼らの場合は年齢も年齢ですし、自分のペースで調整して、金メダルを獲っていますから。だから、練習のやり方に関しても、ある程度は自分のペースを認めることもある。
でも、それを若い選手が見て「俺も」と言ってくる。五輪も世界選手権も獲ってないヤツまでが言い出すからかなわんのです。そのへんで大きな勘違いをしている。世界を獲っている選手と、獲っていない選手では違うだろうと。
「同じ強化選手なのに、なんでですか?」って思うのもなかにはいるでしょうけど、1回でも2回でも世界を獲っている選手と獲っていない選手とは、その時点で同じレベルじゃないわけですよ。言葉は悪いですけど、差をつけているわけです。差別まではいきませんけど、区別しているわけですよ。
と言っても、そういうベテラン組をすべて自分任せにさせているのかというと、そういうわけではありません。でも、やっぱり世界を獲った選手というのは頑張ってやってきた結果として、優勝という実績を残しているわけですから、自分に合ったやり方というのに気が付いていると思うんですね。

それと、一度金メダルを獲った選手は次に負けると、やはり悔しいわけです。その悔しさがあるから頑張れるんですよ。なぜかと言ったら、彼らは一番高いところの喜びを知っていますから。
本来、精神力というのは、自分で目標を持って、それに向かって頑張ることで身に付いていくと思うんです。でも、環境や周囲の状況もあって、人間はどうしても楽なほうに楽なほうにといこうとしますから。
だったらこちらからノルマを与えて、本当に目標に向かって頑張れる選手だけを使っていこう、そういう選手を作っていこうというのが今の考えですね。

練習にもあまり行かなかった中学時代

私自身が柔道をはじめたのは中学1年生なんですけど、べつに好きで始めたわけではないんですね。
学校に新しく柔道部ができて、体も大きかったですし、悪さもしないようにということで、先生に無理やり入れられたような感じでした。
正直、興味も関心もなかったですから、練習にもあまり行かなかったです。帰宅部って言うんですかね、友達も部活に入っていなかったんで、授業が終わったらすぐに帰ってました。
でも、そうするうちに先生が「なんで来ないんだ」ということになって、無理やり連れていかれて。それでイヤイヤというか、適当にやってました。

当然、試合でも勝てませんでした。中学1、2年生のときなんて、地区大会で1回戦負けとかそんな感じでした。やっぱりちょっと体が大きいくらいで勝てるもんじゃないですよね、周りは小学校のころからやっている子ばかりでしたし。
それが、たまたま3年生のときに、市の大会で3位になって。そのときに育英高校の有井(克己)先生が見に来られていたんです。それで、体は大きいし、3位にもなったからということで声をかけてもらって…。
でも、当時は進学するつもりはなかったんです。就職して、働いて好きなことをしたい、好きな物を買いたいとか、そんなふうに思っていたんです。うちの親もべつにそれでいいって言ってましたしね。

先生が怖くて高校を辞めれず

だから、高校へ行くことになっても、嫌だったら辞めればいいやくらいに思っていたんですね、柔道をじゃなくて、高校を。
母親は普段は何も言わないんですが、そのときは「行けるんだったら、高校ぐらいは行ったほうがいいよ」というようなことを言ったんですよ。それで私も「そうか…」という感じで、行くことにしたんですけどね。
高校を辞めなかったのはなぜかと言ったら、先生が怖かったからですよ。「辞める」とはよう言えなかったです。自分の同級生は言いましたけど、ボコボコにされてましたからね。それを見て私はよう言えませんでした。

先生が怖いから続けていた柔道だったんですが、やっているうちに力も付いてきて、技もある程度覚えて、勝てるようになって。そうするうちに「ああ、面白いな」と。それで高校3年のときに県で優勝、全国でベスト16に入るくらいまでになったんです。でも、将来は柔道で…、なんてことはまったく思いもしなったです。
天理大学に入ったのは、高校の有井先生が天理大時代に正木先生の同級生だったので、それで、正木先生のいる天理大学に行けと。無理やり行かされた感じでした。

※2010年1月現在


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