著名な柔道家インタビュー

  

日下部基栄1/3

 
   

幼少の頃に難病を患い、また、前十字靱帯断裂という重傷を克服し、シドニーオリンピックで銅メダルを獲得した日下部基栄さん。
そんな日下部さんに柔道との出会いやオリンピックでのエピソード、これからの活動などを中心にお話を伺いました。

   
 

兄と谷先輩の影響ではじめた柔道

日下部基栄

私の父は警察官で当時機動隊員でした。その機動隊の柔道場で東福岡柔道教室が行なわれておりまして、私の兄が、男の子だから体を鍛えなさいということで柔道を習いに行っていたんです。

私も両親がお兄ちゃんの送り迎えをするのに付いて行き、毎日柔道を見ていました。

私は五歳から六歳にかけてネフローゼ症候群という、成長がストップしてしまうかもしれないと言われる腎臓の病気で、一年間ずっと入院しっぱなしだったんです。

なんとか小学校にあがる前には退院できたのですが、運動は絶対にだめで、小学校までの距離を歩いて行くのもだめでした。安静にしておくのなら、という条件で退院させてもらったんです。

そんな状態だったので、柔道なんてもってのほかという感じでした。でも、兄の通う柔道教室を見ていたら、体を動かせるっていうのが何だかとても羨ましく、他の子達が、元気に体を動かして柔道しているのに、「何で私は!」って。「安静にしておきなさい」って言われれば言われる程、反動みたいなものがあったんでしょうね。

それと、小さな女の子が男の子をどんどん投げ飛ばしているのを見たんです。その子が、三歳年上の谷亮子さんでした。そのときからものすごく光っていて、初めて見たときから、わぁすごいなぁ、私もあんな風に男の子を投げ飛ばしたいなぁと思ったんですよ(笑)。

もうその頃から、亮子先輩は何かすごく輝くものがあって…だから、初めて見たときから憧れの存在でしたね。

それで、何回も親に柔道がしたいって言いました。親は、病気のこともあるし、女の子やし、絶対にだめと最初は言ってました。

「それでもやりたい!」ってずっとしつこく言い続けていたら、取りあえず柔道衣を着せてちょっと触れ合う程度やらせてみれば、すぐに納得がいって、もうしないって言うやろうと親は思ったらしく、ついに柔道衣を着せてもらえたんですよ。

そしたらもう嬉しくて、喜んでしまって…安静にしてるわけがありませんでした(笑)。

柔道を始めてから

日下部基栄

柔道の練習を始めてしばらくは、病気のことがあり、父も母も気が気じゃなかったようで相当心配していたんです。

でも結局、普通に柔道をやっていても大丈夫な日がずっと続いていくと、まぁ柔道をやらせていても良いんじゃない?ってなったんです。

そうして、半年後の大会でいきなり優勝したんですが、それまで親が「行かんで良い」って言っていたのが、「毎日行きなさい」に、ころっと変わったんです(笑)。

まぁ、病気の心配もあったんですけど、この調子なら大丈夫だろうっていう感じになって、そこからどっぷり柔道にはまりましたね。

やっぱり他の人より身体を動かせるありがたみというものが分かっていたので、身体を動かせることが嬉しくて嬉しくて、柔道を人一倍に取り組むことができたんだと思います。

ネフローゼ症候群の発症

日下部基栄

ある日、手とか足とか顔とかが、ぱんぱんにむくんだんです。

おかしいなって、近くの小児科に連れて行ってもらったんですけど、まぁ風邪やろうって最初は言われて済んだんです。

何日かすると、突然手がグーパーもできないくらいにむくんで、これはもう大きい病院に行ったほうが良いかも知れないと、すぐに大きい病院に行ったんです。

そしたら即入院って言われました。そこで病名が「ネフローゼ症候群」って分かったんです。ネフローゼ症候群って尿に蛋白が出るんですよ。腎臓が関係していて手とかがむくむんです。

この病気は大人になっても治らないとか、子供がなるとか、繰り返すものだったりとか、何種もあるらしいのですが、私の場合は子供が発症するもので、運良く治まったみたいです。

ただ、その当時はいつ再発するか分からない状況で、後々になって再発しなかったって分かった程でしたので、親もよくそんな状況で柔道をさせてくれたと思います。

退院してからは三年間の内に再発しなければ大丈夫だろうって言われていたんです。それで、退院後の三年間は、病院に通って毎日家で尿蛋白を計っていました。

やっぱり少し疲れると、むくみやすかったり、尿に蛋白が出やすかったりはしましたけど、大きな数値ではなかったので、休みながら柔道を続けていました。

自信がついた井上康生君との引き分け

日下部基栄

初めて優勝したのは、小学生の西日本大会だと思います。

九州大会だったり、西日本大会だったり、県の大会だったり、いろんな大会で、男の子が女の子に負けると、先生に怒られて泣くのが楽しくて、たくさん参加しました。

小学校三年生のとき、九州大会(宮崎開催)の団体戦で同級生の井上康生君と当たったんですが、私は引き分けたんですよ。

そしたら、康生君がお父さんに、「女の子に勝てんのか?」って、相当怒られたみたいで、その後、全日本選抜柔道体重別選手権大会で康生君と会うようになってから、あのとき、お父さんに怒られた記憶が甦るから、「お前の顔は見たくない」って冗談混じりで言われたりしました(笑)。

当時の試合は団体戦で、判定で勝ち負けを決めるのではなくて、試合時間が過ぎたらそこで終了、引き分けだったんです。

康生君は本当に大きかったので、投げられないように必死でしたね。

康生君はまだ柔道を始めてそんなに経ってなかったのですが、もうその頃から「あの子は将来有望だ」みたいなことを言われていました。

本人も勝ち続けていたこともあり、そんな相手に引き分けることができたという、嬉しさがありましたね。まぁ引き分けるのが精一杯でしたけど(笑)。

心の中で葛藤した中学校時代

日下部基栄

小学校までは柔道ができる嬉しさばかりで無我夢中でやっていたんですけど、中学生になると何故か急に柔道をするのが嫌になってきたんです。

友達と遊びたかったり、鍛えれば鍛える程、腕とか足とかが太くなっていくのも嫌でした。

何で私は休日も、誕生日も、クリスマスも、祭日も、毎日腕立てや腹筋をして体を鍛えているんだろうと、そんなことを思うようになったんですよね。

柔道することに、ふと疑問が出てきたというか。それで、部活をさぼって遊びに行ったりとか、道場に行かずに遊びに行ったりとかが増えてきたんです。

大人に対して反抗的で、何だか心がもやもやしている時期で、その当時の中学校の先生には相当迷惑をかけました。

でも、やっぱり、小学校一年生のときから、モントリオールオリンピックの金メダリストである園田勇先生に教えて頂いており、「やるからにはオリンピック出やなぞー」とか、「世界で活躍せなぞー」と普段から声を掛けて頂いていたので、自然とオリンピックに出たいって思うようになっていたんです。

「夢は?」って聞かれたら自然に「オリンピック」って答えるようになっていたので、中学校で反抗期になってふと柔道が嫌になっても、何処かにさぼって遊びに行っても、何だか心のどこかで、「あぁ、私こんなことしていて良いんだろうか?」とか、しないといけないことがあるのにって、遊びに行っても結局心から楽しめない自分がいたりしたんです。

中学校のときって、遊びたい、でも柔道で目標とか夢もある、っていうのでイライラする時期だったんですよね。そうやって何だかんだ言いながら結局は柔道をする道に戻ってきました。

やっぱり、ずっと小さい頃からの夢とか目標があったからでしょうね。

全国中学校柔道大会三連覇

全国中学校柔道大会で三連覇できたというのは、やはり思い出深いですね。

その記録が未だに破られていないっていうのも嬉しいです。

中学校一年生のときは、大会が福岡でありました。何だか小学校のときの感覚が抜けないまま、全国中学校柔道大会といってもあまりピンとこなかったんですね。

そんなに大きなタイトルの試合って思っていなかったんですよ。なので、前日に道場の先生が「明日頑張れよ」って電話をくれたんですが、そのとき私は町内の盆踊り大会に行っていたくらいです。

それで次の日に、「全国大会の前に盆踊りになんて行ってからにー」って、先生に怒られた記憶があります(笑)。

でも、それだけ全国大会がどんなものか実感していなかったし、逆に普通の試合感覚で出られたので一年のときは勝てたのかもしれないですね。

ただ、二年・三年と連覇がかかっていたときは、プレッシャーが出てきて気持ち的に少しきつかったですね。

二年・三年の大会では、一年生のときに勝てたんだからって言い聞かせて、やるしかないっていうのがありました。何とかかろうじて連覇はすることはできましたね。

挫折を味わった高等学校時代

日下部基栄

全国中学校柔道大会三連覇という成績を持って、柔道の名門と言われていた、福岡工業大学附属城東高等学校に入学しました。

ですが、中学校でふらふらしていたツケがまわってきて、すぐ勝てなくなったんですよね。

そのときにはもう、本当に柔道を辞めようかと思ったくらいでした。

せっかく中学で三連覇をして特待生として高校にも入っているのに、負け始めるし、期待にも応えられなく、辞めたくなったんです。

でもそんな中、園田勇先生が、「やればできるんだから」とか、「世界で活躍できる選手になりなさい」と、ずっと言い聞かせてくれたんです。

そうしているうちに、あぁそうなんだ、私はやればできるんだ、やらないといけないんだって自然と思うようになってきて、いつの間にか心のもやもやとか反抗期も、高校二年生にあがるときにはなくなり、それからは一生懸命柔道に打ち込めました。

ただ、それまでは怪我もなくある意味順調でしたが、そこから、高校、大学、オリンピックまでは怪我が増えてきて、今度は怪我との戦いにもなってきましたね。

その後、全国高等学校柔道選手権大会でタイトルを獲ることができて、もう今はなくなってしまいましたが、高校三年生のときに初めて福岡国際女子柔道選手権大会に出られたんです。

シニアの大会で五位以内に食い込んで、初めて出られることになったんですよね。そのときは相当嬉しくて、地元で行なわれる、ずっと憧れていた大きな国際大会に出られるっていうのが本当に嬉しかったです。

それが高校での一番印象深い出き事ですね。初めて出て、そのときは3位だったんですけど。世界の強豪が出場している大会に高校生で出られたっていうのが自分の中で自信になりました。

一回戦で世界二位の人に当たって、その人には勝てたんですけど、準々決勝で負けてしまって、やはり世界は甘くないな、もっと頑張らないといけないと思った大会でした。

 

インタビュー:2011年4月

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