著名な柔道家インタビュー

  

金野潤1/2

2020年東京柔道競技(五輪)に向けての新体制で、その中心となる強化委員長に大抜擢された金野潤氏。
母校・日本大学で監督を務めて約10年、競技力の強化もさることながら、人間教育に重きを置く指導に定評があります。自身の選手時代から、東京柔道競技(五輪)への思いなどを伺いました。

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「柔道界への恩返し」の思いで引き受けた強化委員長の大役

「柔道界への恩返し」の思いで引き受けた強化委員長の大役

強化委員長の話が来たときはただただ驚いて、最初は「お受けするのは難しいです」とお断りしました。今まで上村春樹先生をはじめ、山下泰裕先生、斉藤仁先生といった、そうそうたる顔ぶれの方々がやってこられた大役を、私ごときが引き受けたら皆様にご迷惑をおかけしてしまうと思ったのです。

でも、よく考えると、お断りしようとしたこと自体が、失敗したらどうしようなどと思って、自分本位の気持ちだったことに気付きました。それで、よくよく考えた末に、「そういう話が来たということは、自分が成長して、人の役に立ちなさいということなのではないか」、「自分が成長していくことで、柔道界に何かしら恩返しができるのではないか」という思いに至り、引き受ける決断をしました。

あとは、前委員長の山下先生からも、「一歩一歩、精一杯やれば良い。誠心誠意やれば良いんだ」ということを言って頂いたので、誠心誠意やることなら自分でもできるのではないかと考えました。「動機善なりや、私心なかりしか」という稲盛和夫さんの言葉を思い出し、動機が自分のため、自分本位の気持ちでなく、柔道界のために、少しでも役に立ちたいという気持ちであると、自分自身でそう思うことができたので、お受けしよう、惜しみなく自分の持てるものを出し切ってみようと思った訳です。

東京柔道競技(五輪)へのプレッシャーと思い

東京柔道競技(五輪)へのプレッシャーと思い

4年後の柔道競技(五輪)の会場は、他ならぬ東京ですから、成功させられなかったらどうしようというプレッシャーはあります。今、強化委員長として考えているのは、もちろん4年後が一番の仕事ではありますが、長い目で見てそのあとの10年間を視野に入れて考えていかなければならない、ということです。

1964年の東京柔道競技(五輪)は、柔道が世界に発展していく大きな分岐点でしたが、2020年の東京柔道競技(五輪)も大きな分岐点になると思うのです。この分岐点である東京柔道競技(五輪)を成功させることも大事ですが、どう成功させるかが、10年後20年後、あるいは50年後の柔道に、ものすごく大きな影響をもたらすということも意識して物事に当たらなければならないと思っています。

リオデジャネイロ柔道競技(五輪)は、非常に素晴らしい結果でした。 それは、井上康生監督や南條充寿監督、そして斉藤仁委員長、山下泰裕委員長をはじめ、かかわった多くの方々の努力の賜物だと思います。東京柔道競技(五輪)に向けても、実際には、現場の井上監督、増地克之監督が中心になると思いますので、私としては2人がやりやすい環境を作るために最大限の努力をしていきたいですね。

正直今はまだ力になれているとは言えませんが、2人が力を発揮できるように、汚れ仕事はなるべく私が受けて、しっかりと現場に集中できるようにしていきたいと思っています。

水泳部に入れず、第2希望の柔道部に入部

水泳部に入れず、第2希望の柔道部に入部

私が柔道を始めたのは中学1年のとき。水泳部に入ろうと思ったのですが、定員がいっぱいで入れなくて、第2希望の柔道部に回されて、柔道をやるようになったのです。柔道を第2希望にしたのも、「隣の友達が柔道って書いていたから」という単純な理由でした。一緒に入部した1年生は30人くらいいましたが、夏頃までにはほとんどやめてしまい5人になっていました。先生がほとんど来ないような部活で、先輩たちには毎日のように絞め落とされるし、試合でも勝てないし、昇段試験は3回も落ちるし。それでも「途中でやめるのはカッコ悪い」という見栄だけで続けていましたね。

中学時代はまったく勝てませんでしたが、教えてくれる人がいなかったので、自分で考えるしかありませんでした。毎日学校から帰宅したあとゴムチューブで打ち込みをしていたのですが、それは 岡野功先生がゴムチューブで打ち込みの練習をしているのをたまたまテレビで見かけて、「こうやったら強くなれるのかな」と自分で考えながら練習していました。

考えるクセというのはその頃についたのだと思います。でもその頃は、まさか自分がこんなに長く柔道をやるなんて夢にも思っていませんでしたね。

全日本柔道選手権大会で2度優勝。「打倒!小川」に執念を燃やした7年間

全日本選手権で2度優勝。「打倒!小川」に執念を燃やした7年間

高校時代も、それ程強い選手ではありませんでしたね。せいぜい東京都の大会で優勝するくらいで、全国には自分より強い選手がたくさんいました。

日本大学に入学し、全国大会の決勝まで進出できるようになり、大学3年のときに全日本柔道選手権大会(以下、全日本選手権)に初めて出場を果たしました。このときから「全日本選手権に出場してみたいな」から「全日本選手権で優勝したいな」に変わりましたね。出場7年目の27歳のときに初めて優勝できました。 全日本選手権は30歳のときにもう一度優勝し、「世界柔道選手権大会や柔道競技(五輪)にも出たい」と思っていましたが、ひとつの壁が乗り越えられない自分の弱さがあって、結局出場はできませんでした。

その頃、自分にとって当時チャンピオンだった小川直也選手は、本当に特別な存在で「小川選手に勝ちたい、倒したい」という思いが強く、四六時中小川選手のことばかり考えていました。トレーニングをするときも、稽古をするときも、ご飯を食べるときも、どうしたら勝てるのだろうと、7年間ずっとそればかり考え続けていましたね。「普通にやったら勝てない、だったらどうすれば勝てるか」、「同じ方向を向いていたのでは無理だな」と考え、奇襲技や色々な技を編み出しました。トレーニング方法も色々と考えて実践していました。

優勝したときは、その小川選手に準決勝で勝利を収めた吉田秀彦選手が決勝に上がってきたのですが、あのときの吉田選手の強さというのは本当に凄くて、組んだ瞬間に「やばい」と感じました。重心移動ひとつ間違えたらやられる、そんな気持ちで戦っていました。紙一重でしたけど、よく勝てたなと思います。

本音を言えば、小川選手に勝って優勝したかったという気持ちもありましたね。でも優勝したことで周りの人にも喜んでもらえて本当に良かったと思いますし、あの優勝があるからこそ、今の自分があるのだと思います。

 

インタビュー:2016年11月

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柔道大会情報や柔道家・選手紹介など、柔道に関する様々なコンテンツを発信する「柔道チャンネル」。「著名な柔道家インタビュー」では、日本の柔道界を支える柔道家達の貴重なインタビューをお届け致します。今回お話を伺ったのは、2020年東京柔道競技(五輪)に向けての新体制で、その中心となる強化委員長に大抜擢された金野潤氏。 母校・日本大学で監督を務めて約10年、競技力の強化もさることながら、人間教育に重きを置く指導に定評があります。自身の選手時代から、東京柔道競技(五輪)への思いなどを伺いました。
柔道好き必見の、金野潤強化委員長のインタビュー。ぜひご覧下さい。

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