近藤亜美1/2
柔道日本代表女子のトップバッターとして、リオデジャネイロ五輪(柔道)に出場した48kg級の近藤亜美選手。
5歳から柔道を始め、21歳で挑んだ今大会では、2月に行なわれた柔道グランドスラム・パリで、初戦敗退を喫した選手とのリベンジマッチに勝利するなどの活躍を見せ、見事銅メダルを獲得しました。近藤選手の柔道への思いを、インタビューを通じてご覧下さい。
5歳で始めた柔道
私が柔道を始めたのは、先に柔道を習っていた兄の影響が大きかったと思います。兄が持っていた柔道大会の金メダルを見て「ちょうだい」とねだったのですが、「自分で獲れ」と言われたのがきっかけです。
柔道を始めた頃は、「スポーツをやるからには、頂点を目指す」とは思っていたものの、漠然とやってきたところは正直ありました。
小学校2年生のときに、地元の六郷道場から大石道場へと稽古の場を移したのですが、そこではひたすら打ち込みと投げ込みという基礎練習を繰り返す日々。誰でもそうだったと思いますが、あまりにも基礎練習ばかりなのでつまらなく感じていました。
とにかく乱取りをやりたかったこともあり、少し基礎練習の手を抜きがちで怒られることも多かったです。昔を振り返ってみると、本当に怒られていた記憶ばかりが思い返されますね。
大成中学・大成高校時代
中学校は地元愛知県の柔道の名門・大成中学校。高校はそのまま大成高校へ入学しました。実はあまり苦労したと感じることはなかったのですが、しいて言うなら柔道と勉強との両立ですね。朝から柔道の練習を頑張って、授業後ももちろん練習。でもその間には勉強もあるし、なかなか大変でした。
6年間の中で一番印象深い大会は高校3年生(2013年)のときの「講道館杯全日本柔道体重別選手権大会」。この大会で大石公平先生とケンカをしてしまい、途中で「もうセコンドに付かないで」と言ってしまったことがありました。
私の中では「高校卒業までにシニアに上がりたい、そのためにはこの大会で優勝する」という気持ちがとても強かったので、他の選手も出場するので仕方ないとは思いながらも、大石先生が大会会場内をあっちに行ったりこっちに行ったりしていることが気に入らなくて。上を目指していたからこそのケンカでしたね。
高校卒業、実業団柔道部へ
高校を卒業して三井住友海上の柔道部に所属することになりました。このチームは寝技が強いチームです。私も先輩たちに揉まれて、寝技は確実に強くなったと思います。
あとは意識の面ですね。学生のときとは違い、柔道が仕事になっているので、「勝たないと意味がない」というプロ意識が芽生えてきたとは思います。そういう部分での意識は大きく変わりました。
リオデジャネイロ五輪(柔道)を意識したきっかけと代表争い
始めは2020年の東京を目指していました。そのため、最初はリオデジャネイロへの思いは薄かったです。
リオデジャネイロを意識したのは、2014年にチェリャビンスクで開催された世界柔道選手権大会(以下、世界選手権)からです。この大会で優勝したときに「もしかしたらリオデジャネイロに届くかもしれない」と思いました。そして、ここから代表争いにも参加できるようになりましたね。
- 世界柔道選手権大会 2014(女子48kg級)
2016年4月に開催された全日本選抜柔道体重別選手権大会は、リオデジャネイロ五輪(柔道)の日本代表の最終選考会でもあったのですが、正直崖っぷちだと思っていました。
優勝しなければ日本代表になれないと思っていたので、優勝して代表に決まったときは正直ホッとしましたね。
- 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2016(女子48kg級)
インタビュー:2016年9月