著名な柔道家インタビュー

藤猪省太 天理大教授・全日本柔道連盟審判委員会副委員長インタビューその2

最近は北京オリンピックをはじめ、世界レベルの大会で日本を代表する国際審判員として活躍する藤猪省太氏。

現役時代は対外国人無敗。中量級(1979年は78kg級)で世界選手権4連覇の偉業を達成している藤猪氏だが、その真骨頂は、無差別の全日本選手権での活躍である。藤猪氏に現役時代の思い出、そして国際審判員として今思うことを伺いました。

藤猪省太氏

内股から背負投に

藤猪省太氏天理高校と言えば、全国でいつも1、2番の学校やったから、自分は体も小さいし、「自信ないなぁ」と思ったけど、天理に見学に行ったときに「あそこに歩いているの見てみ、小さいけど来年レギュラーになるよ」と言われて見たのが野村豊和さんでね。こんなに小さい人でもレギュラーになるんやから、頑張れるかなと思って天理高校に入ったんです。高校に入ったときに、同級生はみんな大きいし、5人の選手に入ろうと思ったら内股じゃいかんなと、それで背負投に変えた。野村豊和さんの見よう見まねでね、教えてはくれませんから(笑)。それでも、1年経ったらだいぶ掛かるようになったんですね。今から考えたら、内股をやっていたことで、スピードのある背負投になったんかなと思うんですね。回転が速かったというかね。

修行僧のような高校時代

藤猪省太氏高校時代の練習は、厳しかったですね。なんぼやっても練習が足らないと言われてたんです。学校行くまで30分走らされて、3時間練習して。僕はその後も打ち込みなんかを1時間はやってました。それと、寝る前にチューブ1時間引っ張ってたから、だいたい1日に5時間半から6時間ぐらいやったんちゃうかな。それで、何に困ったかっていったら寝不足ですよ。だから、学校でよう叱られました。授業中に寝ていてね。土曜日や日曜日など、休みのときがあるでしょう。そういうときは押入れで寝たり、図書館に行って寝たり。金のあるときは映画館行ったらね・・・昔は3本立てってあったでしょう。朝弁当持って行ったりするんですよ。でも、映画見てないんです、寝てしまって。それが二回りして夕方頃になるんですよ。夕日を見ながら帰るんですけど、高校に帰るの嫌やなぁと思いながらね。だから、ほんま修行僧やったなと思いますよ、高校時代はね。

機関銃みたいに掛ける

一年先輩の野村豊和さんは、直接何も教えてくれませんでしたが、あの人の影響のおかげでここまで来れたかなと思って感謝してます。野村先輩は、私に対してライバル心なんてなかったと思いますけど、私は先輩に対するライバル心は強かったです。引きずり落としたろうと、いつも思ってましたから。団体戦のレギュラーには2年生からなっていました。3年生が4人で2年生は僕1人。インターハイは鎮西に負けたんですけど、国体は無失点で優勝したんですよ。広島にも勝ったし、強いとこに全部勝って。
私は「この学年にくっついておかな、全国制覇を味わうことはできへんな」と思って、必死になって選手になろうと、しがみついておった。負けたらいかんと思ってね。だから、私が団体戦で負けたのは、中学校1年生の、柔道始めて1ヵ月のときにやった県で一番強いチームとの試合と、2年生の県大会の団体戦で、内股掛けて自分で飛んだその2回きり。あとは負けたことないです。それがなぜできたかと言うと、天理高校の頃、負けたら絶対に使うてくれへんかったから。それで、負けない選手に育ったんやね。個人でもけっこうできたんは、そういう飛ばない選手に育ったというか、受けが強うなったから。選手で全国優勝を味わおうと思ったら、勝てなくても負けない選手になるということでね。そのためにどうするか言うたら、掛けまくるしかないんですよ。機関銃みたいに。ガンガンガンガンと。返されんと掛けとったら、相手は掛けてこれないでしょう。自分が一方的に試合をしたらね。これしかないなと(笑)。
そのために、機関銃みたいに練習しました。小さかったしね。それがよかったんです、自分にとっては。高校から30歳まで団体戦無失点。それが一番の自慢かもしれないですね。天理では7年間失点ゼロでした。

ホッとした団体優勝

私らのときは、上の代に比べると力が落ちると言われていたから団体戦は勝てないと思っていたんやけど、優勝できてね。それは嬉しかったですよ。ホッとした。寮生活して厳しく教育を受けているでしょう。団体日本一しかないんですよ。その前の年は、団体で優勝を逃して、野村さんが個人で優勝して帰ってきても誰も喜んでなかったですもん。天理いうとこは、個人で優勝してもアカンのやなと思いましたね。私は、個人戦も優勝したんですが、それはなんでか言うたら、加藤先生が「お前、体重71kgにして重量級に出え」と言われたんです、70kgしかないのに。「お前やったら面白い背負投やから」って。試合で大きいのも投げていたんでね。だけど、確実に優勝するには中量級(70kg以下)しかないなと思って。俺だけでも優勝しておかないと、みじめな学年になるやろうな、個人だけでも優勝したろと思って「中量級しか出ません。もし中量級に出してもらえなかったら試合には出ません」って言うたんです。そしたら中量級で出してくれて。
団体戦が終わって3日目が個人戦でしたが、一生涯であんなに楽やったのは、初めてですね。みんな相手じゃなかったです。弱いですもん、自分にしてみたら。こんなこと言うと怒られますけどね。団体戦が終わったら、体重は66kgになってたんですよ、痩せこけて。飯を腹いっぱいくって計量しても68kgやった。それにみんなで騒いで寝不足だしね。試合の合間も寝とって、付き添いのやつに呼んでもらって試合して、それで優勝したんですけどね。

※このインタビューは、2009年7月24日に行なわれたものです。


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