新井千鶴1/2
2017年の柔道グランドスラム・パリ、柔道グランプリ・デュッセルドルフの2大会で連勝を達成し、ついにはブダペスト世界柔道選手権大会を制すなど、快進撃を続ける新井千鶴選手。
しかし、今の強さに至るまでには様々な試練や試行錯誤がありました。そんな新井選手に、これまで歩んできた道、そしてこれからの目標などを語って頂きました。
「最初は怖かった」柔道との出会い
幼稚園のときに一度、兄と地元の柔道クラブに入門したことがありました。しかし、そのときは年上の女の子に囲まれたのがとても怖くて、私だけ初日で辞めてしまったんです。
そして、その後勇気を出して再入門。本格的に柔道を始めたのは小学1年生の頃でしたね。
私が通っていた道場は男衾柔道クラブです。ここでは手順を踏んでしっかりと教えてもらいました。まずは受身から、それができるようになったら打ち込みといった流れです。足技のひとり打ち込みをひたすらやったことを覚えています。
足払い、出足払い、送り足払い、燕返しなども繰り返していましたね。この練習と幼少期にサッカーをやっていたことが、足技の上達に繋がったのだと思います。
もっと強くなりたかった中学時代
中学時代、試合ではなかなか勝てませんでしたね。「あともう少し」というところでいつも勝ちきれず、中学3年の最後の大会も決勝で負けて2位。関東大会までしか出たことがなく、全国には届きませんでした。
「もっと強くなりたい」という気持ちを抱いていたので、クラブで大人の人と稽古をしたり、先輩の通っている高校へ出稽古に行ったりしていました。
この頃に「自分で考えて柔道に取り組む」という習慣を確立できたのは大きかったと思います。
高校でついに才能が開花
高校に入ると階級を70kg級へと上げました。中学1年のときは44kg級だったことを考えると、体は順調に成長していたと思います。
技術面でも伸びてきて、全国大会へ出られるようになりました。埼玉県を出て他県の選手と戦えるのが本当に嬉しかったですね。
高校時代はたくさんの試合に出ましたが、忘れられないのが3年生のとき(2011年)の関東高等学校柔道大会と、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)。オール一本勝ちで優勝できたという点と、面白いように技を決めることができたという点で、とても印象的でしたね。
- 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会 2011(女子70kg級)
この大会のときは思った通りに動けて、自然に足技をかけることができていました。「こんなに効くんだ」と思ってしまうくらい技がきれいに決まって、楽しかったのを覚えています。
あまりのレベルの違いに愕然
2012年に三井住友海上の所属となりましたが、社会人となった1年目は想像以上に苦しみました。
高校のレベルとは全く違うし、稽古で倒れて天井を眺める毎日。練習相手が強すぎて、まともに組むことすらできず、自分の未熟さを思い知らされましたね。
そういった中で私は次第に自分の柔道を見失い、試合では高校時代に勝っていた選手にも敗退。それでもとにかく毎日もがくように練習を重ねて、2012年の後半あたりからようやく調子が戻ってきました。
すると、アジアジュニア・ユース選手権大会(現:アジアカデ・ジュニア柔道選手権大会)、柔道ワールドカップ・チェジュで優勝。社会人1年目は苦しみながらも最終的には結果を出すことができました。
インタビュー:2017年9月