オリンピックメダリスト対談

篠原信一×野村忠宏1/3

   

かつては、先輩・後輩として共に活躍され、現在は、監督・選手として、それぞれ違う立場で金メダルを目指されていますが、実は、先輩、後輩の枠を超えた仲の良いお二人。
そんなお二人に天理大学時代の思い出、一緒に出場した国際試合でのエピソードなどをお伺い致しました。

野村忠宏が現役引退を発表

先輩後輩の枠を越え、親しくなった時期

篠原信一

篠原:
野村は自分が天理大学3年のときの1年生で、当時はほとんどしゃべったことがなかったんです。
野村:
自分が天理大学へ入ったときに、まず寮が重量級と軽量級とで分かれていて、寮自体別で、道場もすごく広く、篠原さんは一番手前の方で、自分らは一番奥の方で練習していたので、一緒に練習することもないし、しゃべることもなかったです。
やっぱり先輩の存在がすごかったですから、こっちから近づくことはありませんでした。逆に避けてましたね、かかわったら、やばいって(笑)。
篠原:
天理大学ではほとんどしゃべりませんでしたけど、全日本の合宿で一緒になったりしたときに、野村に自分の道衣やらTシャツ、パンツなどを洗っておけと言うわけですよ。
野村:
普段は先輩後輩で何かやらされるようなことはなかったですけど、全日本の合宿に行ったら、天理大学の直属の後輩ですから。
後輩が先輩の面倒を見るというか、洗濯したり買出し行ったりするのは当然していました。
篠原:
でも、当時はイヤがってたよな。

野村忠宏氏

野村:
もう完全にイヤでした。海外とか行って、環境が良くないところもあるし。柔道衣は分厚いじゃないですか。手洗いしかないんです。
自分の3倍くらい大きい柔道衣を、練習終わって体がきついのに、洗わなあかんわけですよ。
あとは天理大学の先輩後輩、1年生3年生という立場もあり厳しかったし。とりあえず、怖い先輩でしたからね。
本当にある程度親しくというか、後輩やけど天理大学の厳しい上下関係というのを取っ払った付き合いというのをしてもらうようになったのは、自分が天理大学を卒業してからですね。
篠原:
でも、その前にアトランタ柔道競技(五輪)(1996年)がありましたからね。アトランタのときは、野村が代表で、自分は代表じゃなかったですから。
だから、同じ合宿に参加しても、野村は代表扱いの食事だったり、一人部屋だったりしたわけですけど、自分は代表じゃないから、3人部屋だったり5人部屋なわけですよ。
その頃はもう野村は代表として特別扱いで、それはもう口も利けませんでしたよ(笑)。

初めて会ったときのお互いの印象

篠原信一

篠原:
自分が天理大学に入ったとき、野村は天理高校にいましたから、「ああ、野村か」と。それはなんでかというと、強いとか弱いじゃなくて天理高の野村(基次)先生の息子ということでね。
それに、天理大学にはお兄ちゃんもいましたから。お兄ちゃんもけっこう強かったんですよ。たまに一緒に練習したんですけどね。
野村:
兄貴と練習したんですか?
篠原:
うん。聞いてみ。何回かしたことあるよ。お兄ちゃんは力強かった。70kgくらいやったよなぁ?
野村:
その頃は66kg級。
篠原:
66kgか。でも、力強かったよ。当時の野村は鳥のヒナみたいな感じで。痩せててね。当時何kgぐらいやった?
野村:
高校のときは、たぶん50kgぐらい。
篠原:
50kgぐらいだと、うちの小学6年の息子と変わらないですよ。ちょっと重いぐらい。必死にやっているなというイメージでしたね。

野村忠宏氏

野村:
自分は、篠原先輩の存在というか、そういう先輩がいるというのは知っていたんですけど、交流もなかったし高校と大学やし。
ただ、一回、OB会かなんかのときに天理大学の人が天理高校に練習に来て、柔道部の寮に来たんですよ。そしたら、篠原先輩がいきなり「おら〜」みたいな感じで(笑)。
篠原:
あぁ、そんなんあったなぁ。
野村:
だから、この人ほんまヤバイ人だって、そういうイメージというか、印象はすごくありました。天理大学に入って感じたのは、練習態度・姿勢とか柔道に関してはすごいなぁという印象ですね。ふざけている人がいたら、先輩でもしばいちゃうし。
篠原:
ははは(笑)。

一緒に行った海外遠征での思い出

篠原信一

篠原:
野村が代表になる前、一緒に全日本の合宿で海外に行ったんですよ。そのとき同じ部屋でね。膝を怪我したんです。
内側靭帯を痛めて腫れてね。痛くて歩けないんですよ。で、シャワーは浴びれないし、痛くてパンツもはいたりできないわけですよ。でも、暑いから汗流したくて、シャワーを浴びるから野村に肩を借せと。
そしたらもう、イヤイヤですよ。「うっとうしいな」みたいなね、雰囲気的に。で、パンツもはかせろと。片脚で立っているだけでも痛いぐらいだったんで。
そうこうして、こいつにイヤイヤはかせたりしておったんですよ。そしたら、こいつが起き上がったときに出窓の角に頭をガーンってぶつけてなぁ(笑)。
野村:
血がダーッて(笑)。
篠原:
そのときは自分もちゃんと治療してやりましたよ。テーピングでバッテン(×)って。それは覚えていますね。でも、あれはバチがあたったんだね。イヤイヤやっていたから(笑)。

野村忠宏氏

野村:
海外の合宿ですよ。練習がきつい上に同じ部屋で、先輩の世話もせなあかん。そこへもってきて怪我ですよ。風呂へ連れていって、シャワー浴びたのを待って体拭いて、パンツはかせてって。なんかもうだんだん腹が立ってきて。
でも、そんなん言うわけにはいかんし、それを我慢しながら、パンツはかせて、頭上げた瞬間に出窓の角でガーンですよ。
で、血がダーッと出てきて。けっこう切れたんで、ちょっと練習も休めると思ってラッキーかなと思ったら、細川(伸二)先生につかまって、二人でずっと打ち込みですよ(笑)。
篠原:
野村との思い出はそれが一発目ですよ。その次に会う頃には、もう野村はアトランタ柔道競技(五輪)(1996年)で金メダルを獲っていましたからね。自分はまだ獲っていませんから。
パリの世界柔道選手権大会(1997年)のときには、二人で代表になったんですよね。野村はもう騒がれているわけですよ。次の年も世界柔道選手権大会を獲るだろうと。
自分は、まぁ篠原も獲るだろうなと、そのくらいの雰囲気だったんですけど。その頃ぐらいからですよ、厳しい上下関係じゃなくなったというか、そういう付き合い方じゃなくなったのは。
野村:
先輩の身の回りの世話をするのも、自分の下の天理大学の若いヤツがするようになりましたしね。

天理大学の練習について

篠原信一

篠原:
天理大学の練習は厳しいってよく言われますけど、自分自身ではそんな特別厳しかったとは思っていないです。練習は決まった時間にやるんでね。
野村:
もちろん大学ですから学校始まる前にトレーニングをして、授業に行って、午後に練習ですけど、その時間自体はたぶん今よりも昔のほうが短いですよね。
篠原:
短い。自分らの方が多少短いね、今よりは。だいたい乱取だけで90分とかでしたね。プラスアルファはありましたけど。
部員は、自分らの頃で80人ちょいぐらい。今は、ちょっと前まで100人越してましたけど、だいたい90人ぐらいじゃないですかね。

野村忠宏氏

野村:
だから練習が激しいといっても、そんだけ人数がいるんで、結局、本人次第なんですよ。
篠原:
そういう中で、本当に強くなろうとする選手は自分でやる。実際に、細川先生が野村にずっとついていたわけじゃないんです。軽量級の選手はいっぱいいますから。その中で強くなりたいヤツというのは、決められた時間内で集中してやっているんですよ。誰かに見られているからやるわけじゃない。

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